十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

陽炎

2014-06-30 | Weblog
かげろふになる迄佇てる別れかな     安田眞葉子

もう二度と会うことはないと決めているのか、その別れはまるで映画のワンシーンのようだ。佇んでいるのは、作者だと思われるが、次第にフェードアウトしてゆく映像は、別れを鮮明に印象付けている。一句に流れる時間がとてもドラマティック。「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

花のころ

2014-06-29 | Weblog
手鏡の中へ散りゆく桜かな
魚跳ねて花のしじまを濡らしけり
腕時計外してよりの日永かな
あめつちへ一香一華虚子祀る     みどり


*「阿蘇」7月号、岩岡中正主宰選

手鏡は、使うというより、今や魅力的な詩の素材、
友人とよく行く荒尾市の加藤清正ゆかりの静かな人口湖、
一匹の魚が跳ねた瞬間、濡らしたものは、花のしじま?
日永は、腕時計を外してから思うものでしょうか。(Midori)

緑蔭

2014-06-28 | Weblog
緑蔭といふまなざしにをられけり     岩岡中正

夏の暑さの中にあって、茂った青葉が作りだす緑蔭は、ひんやりと心地よく、最高の癒しの空間だ。さて、思い思いの緑蔭を見つけては、思索にふけっている姿は吟行だろうか。緑蔭の中より向けられている静かな眼差しが、緑蔭と一体化して、「緑蔭といふまなざし」という把握が見事である。実景でありながら、遠くからじっと見守ってくれる師の眼差しのようでもあり、感慨深い作品である。「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

百合

2014-06-27 | Weblog
指さしてわがものとする崖の百合     橋本美代子

たとえ口約束であっても法的には有効とされるが、さて指をさすだけで、自分の所有とすることは可能だろうか?しかし、「崖の百合」であれば、それは可能になりそうな気がする。きっと、「崖の百合」は、指をさされた瞬間から、もう他の誰のものでもなくなったのだ。「指さしてわがものとする」とは、あたかも自分だけに許される特権を知っているかのようだ。角川書店「必携季寄せ」より抄出。(Midori)

茅の輪

2014-06-26 | Weblog
御利益のごとき茅の輪の雨しづく     大坪蕗子

6月晦日に行われる夏越祓の神事。茅の輪をくぐって厄を祓い浄めるというものだ。さて、折しも雨が上がり、つぎつぎと茅の輪をくぐってゆく人に続いて、茅の輪をくぐる作者だろうか。ちょうどその時、雨雫が頬か項を濡らしたのだ。「雨しづく」を、「御利益のごとき」と捉えて、楽しい。夏祓らしい気持ちの良い作品となっている。句集『野の百合』より抄出。(Midori)

葛饅頭

2014-06-25 | Weblog
ほのかにも水まんぢゆうに闇宿る      宮崎夕美

水饅頭は、一般に葛饅頭、葛桜と言われる涼しげな夏の味覚。半透明の葛に包まれた餡子がほのかに透けて見えて、いかにも美味しそうだ。食べ物は美味しく詠むこととも言われるが、ここでは、「闇宿る」と、何やら不気味ではある。しかし、水饅頭の闇の正体は、とろりと甘い餡子だから、許せるような気がする。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

柿の花

2014-06-24 | Weblog
無医村となりて久しや柿の花      藏本聖子

かつて村には、代々続いていた医師の家があったのだろう。しかし、いつしか絶えて今では久しく無医村であるという。きっと村を出て行く若者たちも少なくはないだろう。それでも村には、静かな暮らしと今も変わらぬ自然があるのだ。「柿の花」に、そんなメッセージが感じられた。2014年「日本伝統俳句協会カレンダー」より抄出。(Midori)

紫陽花

2014-06-23 | Weblog
紫陽花の海近ければ海の色      岩岡中正

梅雨入りの頃から咲きはじめる紫陽花は、雨がよく似合う花である。紫陽花の色は、土壌によって変化するとも言われるが、「海近ければ海の色」という断定が心地よい。時折、潮風が吹き抜け、波音も聞こえているかもしれない。海に近づくほどに紫陽花の藍は、ますます深まっていくことだろう。大自然との融和にロマンが感じられた。第2句集『夏薊』より抄出。(Midori)

明易し

2014-06-22 | Weblog
明易や人憎むことまだやめず     大輪靖宏

憎むのは、過去の出来事に対しての感情であり、その感情が変わらない限り、人は憎むことを止めることはできない。「人憎むことまだやめず」とは、きっと作者を含めての一般論でもあるのだろう。過去にこだわるよりも、未来に生きようとでも言っているような「明易」ではないだろうか?2014年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

2014-06-21 | Weblog
花の夜の眠りの淵に掉さしぬ
六道に点る狐の牡丹かな
メレンゲのやうな浮雲春の昼
手に触れて心痛めし薊かな     みどり


*「滝」6月号〈滝集〉、菅原鬨也選

入学

2014-06-20 | Weblog
東京に口座を開き入学す     長岡ゆう

親元から離れての東京での入学だろうか。まずは金融機関に本人名義の口座を開き、月々の生活費を送金する手だけをする。もちろん授業料や家賃などが引き落とされる口座も必要だろう。しかし、これも子供の成長の大きな一つの過程。「東京に口座を開き」の生活に密着した具体性が、とてもユニーク。希望に溢れる一句にエールを送りたい。「滝」6月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2014-06-19 | Weblog
五能線津軽に桜運びくる      小野憲彦

花と言えば、桜を意味するほど、日本人は昔から桜が大好きだ。桜の開花は、冬の閉塞感から解放されて本当の春の訪れを実感するもの。さて、桜前線が日本列島を北上し、津軽に桜が届くのは、4月中旬頃だろうか? 五能線は、秋田県東能代駅より北へ青森県川部駅を結ぶローカル線である。桜は、五能線に沿って開花がすすむのだろう。まるで五能線に乗ってやって来たかのような「運ぶくる」に、桜を待ち望む作者の思いが伝わって来た。「滝」6月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

春夕焼

2014-06-18 | Weblog
潜水服に春夕焼のしたたれり     遠藤玲

レジャー目的のスキューバダイビングもあるかもしれないが、ここでの潜水服は、海中で何らかの調査や作業を行っている人、という気がする。「春夕焼」という季語がもたらす印象なのかもしれない。海から上がって来たばかりの潜水服からしたたる海水が、春夕焼に映えているのだろう。それを「春夕焼のしたたれり」と詠んで、感慨深い。何かしら無言のメッセージが感じられた。「滝」6月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2014-06-17 | Weblog
アザレアの駅華やげる別れかな       芳賀翅子

「アザレア」という名前とその華やかさに惹かれて、一度購入したことがある。どう見ても躑躅によく似ているので、調べてみるとやはり躑躅の英訳がazaleaだと知って納得したが、正しくは、日本や中国の躑躅がヨーロッパで改良されて日本に逆輸入されたものらしい。さて、「別れ」は、「華やぎ」とは、本来無縁のものであるはずだが、ここでは「アザレアの駅華やげる」と、意外な展開である。素敵な時間を共にした満足感、そしてまたの再会を約しての「別れかな」に、華やかな余韻が感じられた。「滝」6月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

紫陽花

2014-06-16 | Weblog
紫陽花の家酸性の土の上     成田一子

紫陽花の花の色が、土壌によって変わるということは、今ではたいていの人が知っている。酸性の土だと青くなり、アルカリ性だとピンク色になる性質を持つ紫陽花は、リトマス試験紙と同じ役目を果たす。さて、紫陽花が青いのを見て、「酸性の土の上」と判断したわけだが、クールな現代的な視線が、どこか可笑しい。「滝」6月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)