十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

海鼠腸

2015-12-30 | Weblog
海鼠腸やソ満国境立つ中隊      菅原鬨也

「海鼠腸や」と大きく切れて、時間は現在から一気に過去へと切り替わる。戦後70年が過ぎた今でさえ、「ソ満国境」という言葉の響きには、当時の緊迫感を伝えるのに充分である。今尚、日本本土を目指して国境を発つ中隊の姿が見えるようだ。「海鼠腸」という日本固有の珍味、そして「ソ満国境」「中隊」という言葉のつながりに、解釈を超えた詩情に魅了される。「滝」1月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)

余韻

2015-12-29 | Weblog
初しぐれ旅の余韻を濡らしけり
来世へと浪漫飛行や冬銀河
逆光に散りゆく銀杏黄葉かな
笙の音にまじる風音冬ざるる     みどり


*「滝」1月号〈滝集〉菅原鬨也主宰選

 有季定型という制約の多い詩形にもかかわらず、今年も楽しく俳句を詠むことができました。五七五の定型に言葉を嵌めるということは、左脳派人間に案外向いているのかもしれません。(Midori)

外套

2015-12-28 | Weblog
外套を預け主賓の顔になる     森野 稔

名の知れたホテルのレストランなどでは、入口で外套を預かってくれる。日頃慣れないサービスなので、いくらかの戸惑いはあるものの、言われるままに預けてしまう。実際に、暖房のほどよく効いた会場では、外套などは邪魔になるだけだ。さて、ここでは「主賓の顔にある」である。外套を預けるという西洋風の習慣が、特別な顔にさせるのかもしれない。2016年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori)

氷柱

2015-12-27 | Weblog
君の心は氷柱の名所だと思ふ      筑紫盤井

「君の心」は、氷柱ができるほどに冷たいということだろうか。しかし、「氷柱の名所だと思ふ」のであるから、決して一般論ではなく、作者限定の名所であると思われる。これ程までに冷たくなれるのも、「君」が、女性であるからに違いない。2016年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori)

湯ざめ

2015-12-26 | Weblog
独り居や六畳にまた湯ざめして     進藤剛至

「六畳」という広さは、日本家屋としては丁度一人のための空間。もし「リビング」であれば、そこは家族の空間であり、湯冷めなどすることもないのかもしれない。「また」が、一句の中のポイントとなって、哀れみを誘うのだろうか。日本伝統俳句協会「花鳥諷詠」332号より抄出。(Midori)

木守柿

2015-12-25 | Weblog
木守柿汝は選抜か居残りか     能村研三

柿の木に一つ二つ残された「木守柿」は、来年への収穫を祈るため、あるいは小鳥たちに残しておくものとされるが、ここでは、そんな木守柿の趣旨を全く無視した詠みが楽しい。「選抜か居残りか」とは、木守柿にとっては同じことではあるが、人間の競争社会ではまるで意味が違ってくる。2016年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori)

湯婆

2015-12-24 | Weblog
湯たんぽを蹴とばす寝惚け力かな       山地春眠子

「湯たんぽ」は、いつか蹴飛ばされる運命にあるとは言え、その蹴飛ばす力を、「寝惚け力」とは、言い得て妙である。昭和10年の生れであれば、「寝惚け力」にどこか俳諧味とも、自虐とも思えるニュアンスが含まれているような気がして、楽しい一句である。2016年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori)

雪女

2015-12-23 | Weblog
雪女撞きたる鐘か風音か     安原 葉

新潟県長岡市在住の作者である。九州に住む私から見れば大変な豪雪地帯だ。雪に閉ざされた静寂の中でも、説明のつかない物音はするものだろう。ふと御寺の鐘の音が聞こえたような気がした作者だが、こんな時間に鐘を撞く者などありはしない。「雪女撞きたる鐘か」と、冗談とも本気ともつかない独語である。そして「風音か」への現実。「か音」が畳みかけるように続き、静かな中にも不気味な雪の夜が迫ってくるようである。2015年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori)

スケート

2015-12-22 | Weblog
フィギュアスケート重心は今渦の中      猪俣千代子

フィギュアスケート男子史上初のグランプリファイナル3連覇を達成した、羽生結弦選手の華麗な演技を思い出す。氷上での4回転ジャンプやスピンなどその技術と演技力は史上最高だ。さて、彼の演技の重心は何処にあるのか?重心は、彼自身でなく、「今渦の中」という発見に躍動感があって、映像も鮮明。2015年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori)

山茶花

2015-12-21 | Weblog
栄華とは山茶花の散り敷くやうな     岩岡中正

「栄華とは」ではじまり、「やうな」で終わり、「栄華」という言葉を視覚的に定義づけた作品である。山茶花の花びらが散って、敷き積もっていく様を、「散り敷く」と詠まれて、的確である。しかし、「栄華」はそう長くは続かないのが一般的である。散り敷く山茶花もやがては色褪せてゆく。だからこそ、その一時が美しいのかもしれない。第3句集『相聞』より抄出。(Midori)

白息

2015-12-20 | Weblog
白き息ふれ合うてゐる初対面     進藤剛至

白い息が触れ合う二人の距離というと、付かず離れずの普通の会話の距離だろうか?触れ合うのが、どこでもなく、「白き息」だという発見が素晴らしく、初対面ならではの緊張感が感じられる句である。日本伝統俳句協会「花鳥諷詠」332号より抄出。(Midori)

京都漫遊

2015-12-18 | Weblog
尼寺につづく細道赤のまま   
残菊や平家ゆかりの一古刹      
天平の空の色せし小鳥かな      
晩秋の離宮をめぐる水の音
石庭の渦より生るる秋の蝶
鎮もれる糺の森や月の舟     みどり


*「滝」12月号〈渓流集〉自選句6句掲載
 
 今年は、紅葉には少し早い10月の京都を訪れました。寂光院、二条城、龍安寺、下鴨神社などを巡りましたが、それぞれに日本の歴史に触れるよい旅となりました。(Midori)   




冬牡丹

2015-12-17 | Weblog
刀身のかたき光りや冬牡丹     庄子紀子

刀身は、固有の美しい反りと輝きを持っているが、その光りを、「かたき」と表現されて秀逸である。「冬牡丹」が配されて、名刀としての長い歴史が感じられる格調高い一句である。「滝」12月号〈誌上句集〉より抄出。(Midori)

2015-12-16 | Weblog
十六夜や淡き思ひにつまづきぬ     佐藤芳弘

「淡き思ひ」は、郷愁の思いだろうか?父母のこと、古き良き時代、あるいは恋かもしれない。そんな「思ひ」にとらわれて、思考が前に進めなくなっているのだ。「つまづきぬ」に、予期しない心の戸惑いを感じさせる一句である。「滝」12月号〈滝集〉より抄出。(Midori)