十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

冴返る

2009-04-30 | Weblog
折鶴に鋭角多し冴返る   江藤豊子
                        「阿蘇」5月号〈雑詠〉
一枚の正方形の紙を折って作る折鶴は、角々が鋭く尖っていることが、重要な
ポイントだ。角と角の合せ目がちょっとでもずれていたり、いい加減に折って
いると、不恰好な折鶴になってしまう。「鶴は千年、亀は万年」という慣用句
から、折鶴、特に千羽鶴は、いろんな願いを込めて贈られることが多い。
ピンと折り上がった折鶴に、作者の感覚がますます冴返るのを感じた。(Midori)

初音

2009-04-29 | Weblog
初音してただの岬でなくなりし   竹屋睦子
                             「阿蘇」5月号〈雑詠〉
「鶯の谷よりいづる声なくは春来ることを誰か知らまし」と古今集にある
ように、初音といえば鶯の初音であり、春が来たことをはじめて実感でき
るものだ。初音を聞いた瞬間、「ただの岬」がただの岬でなくなったという。
それは、これまでの岬が、初音とともに輝きだす瞬間でもある。作者の感
動をそのまま平明な言葉で詠まれた作品に、大きな共感を覚える。
睦子さんは、「ホトトギス」、「阿蘇」同人。

2009-04-28 | Weblog
オムライスふんはり花のレストラン   岩岡中正
                                「阿蘇」5月号〈近詠〉
半熟卵にケチャップソースがとろりとかかったオムライスは、誰だって大好きな
メニューのひとつだ。春光あふれガラス張りのレストランの外は桜が満開で、
店内は花衣の花見客で、一層華やかだ。動詞のない作品は、何も語らない
だけにいろいろに想像が膨らむ。3月27日、熊本城観桜俳句大会で詠まれ
た「阿蘇」主宰の新鮮な花の一句だ。吟行ならではの作品に、読む者の心も
ふんわりと温まってくる気がした。(Midori) 

春眠

2009-04-27 | Weblog
手枕に春眠といふ重さかな  白濱一羊

唐の詩に「春眠暁を覚えず・・・」とあるが、春の眠りの心地のよさは
格別だ。手枕に眠り落ちる「春眠」という重さは、何となく感じていな
がらも一句にできなかった感覚ではないだろうか。春眠の重さは眠り
の深さでもあるのかもしれない。眠りが浅いとやはり軽そうだから・・・。
一羊氏は、「樹氷」副編集長。

春塵

2009-04-26 | Weblog
ビル一つ消え春塵となりにけり   山下接穂

昨日は、福岡県大牟田市までショッピングに出かけたが、大型百貨店が
二つも姿を消した街に、かつての賑わいはなくなっている。お気に入りの
珈琲喫茶の場所も目印のビルがなくなって、何だか違うところみたいだ。
ビルが林立する新都心もあれば、ビル一つが春塵となって消える町もある。
俳諧味あるさらりとした一句に、どこか諦観の思いも感じられた。
句集「ふる里」より抄出。

耕す

2009-04-25 | Weblog
ふるさとを耕すために帰り来し   山下接穂

家族総出の苗代の準備が始まると、村中が急に活気づいて見える。
しかし、一方で休耕田のままに放置された田畑を見るのはやはり寂しい。
農業後継者の不足、そして地方の過疎化はすごいスピードで進んでいる。
掲句、耕すのは「田畑」でなくて「ふるさと」だと仰る。そこに深い詩情が
生まれ、故郷を守り、ふるさとを愛する思いがしみじみと伝わってくる。
このほど金婚を記念して接穂、君子ご夫妻の句集、「ふる里」が上梓された。
作者は八代市在住。「ホトトギス」「阿蘇」同人。


春風

2009-04-24 | Weblog
春風に微弱電流ありにけり   石母田星人

たとえ微弱といっても、電流と名のつくものは苦手だけれど、「春風に」とな
ると話は別だ。南洋から吹いて来る軟らかな風は、わずかに帯電している。
春風の微弱電流が、万物の目覚めと成長を促すかのようだ。ヒトの体内電流
の調整にも、超微弱電流は有効だと言うが、春風は心身を心地よく癒してく
れる。星人氏の第二句集『膝蓋腱反射』が、このほど「ふらんす堂」より上梓
された。表層・中層・深層の三章に分かれ、三層は心のなかの位置を表す
という。「春風」を硬質な側面から捉えた掲出句は、中層に収められている。
星人氏は、仙台市在住。「滝」無鑑査同人。(Midori)

*膝蓋腱反射(しつがいけんはんしゃ)

春の川

2009-04-23 | Weblog
春の川跳びこせて抱き止めらるる   太江田妙子

跳び越せそうな気がするのだけれど、何だか自信がない。
向こう岸まで跳んでみたいけど、失敗したらずぶ濡れだ。
向こう岸には、じっと見守り、勇気付けてくれる人が待っている。
夫、恋人、あるいは作者でなくお孫さんのことなのかもしれない。
「春の川」の、ほのかな相聞の香りに癒される一句は、平成20年
「阿蘇」5月号の巻頭句。(Midori)

種蒔

2009-04-22 | Weblog
種蒔いて後の月日の所在なし   菊田一平

一般に、種籾を苗代に蒔くことをいうが、野菜や花の種を蒔くこともいう。
植物の成長に最も重要なことは、やはり土づくりだ。酸化した土壌を苦土
石灰で中和し、適量の肥料を混ぜれば、凡そ完成だ。そしていよいよ種蒔き。
ばら蒔き、筋蒔きといろいろあるが、肝心なものは愛情だ。最後に如雨露で
水をたっぷりかければ、あとは天地の神の知るところ。所在ない月日に種は
しっかりと育っている。第二句集「百物語」より抄出。(Midori)

剪定

2009-04-21 | Weblog
珈琲の香の中コート脱ぎにけり
剪定や島に波音もどりたる
うすらひや女人高野に杓の音
魚は氷にのぼり月影したたらす    平川みどり


*「滝」4月号掲載 

流氷

2009-04-20 | Weblog
流氷や一期一会のオフォーツク    森田光子
                                「滝」4月号 〈滝集〉
オホーツク海といえば、日本人にとっては千島列島、樺太、カムチャッカ半島
に囲まれた北方の海域という印象が強い。厳寒期には、海面は凍ってしまうが、
流氷期になると、はじめてオホーツク海を「流氷」として見ることができる。
流氷は春を告げる季語であり、光子さんにとって「一期一会のオフォーツク」
なのだ。スケールの大きな作品に郷愁にも似た感動が伝わってきた。( Midori) 

蜃気楼

2009-04-19 | Weblog
蜃気楼いちづな恋のありにけり    相澤さつき
                               「滝」4月号 〈滝集〉
一途な恋をしたのは、一体いつの頃だったのだろうか。それは、恋愛の中でも
かなり限られた時期のみ訪れる貴重な経験なのかもしれない。さて、「いちづ
な恋」は成就したのだろうか?選ばれた季語は、「蜃気楼」である。恋が蜃気
楼だったと気づいたとしても、それはそれで大きく成長したことの証である。
坊城俊樹氏によると、男の恋は六十歳からだと言うが、女の恋はいつでもは
じまる。いつか幻でない本当の恋がやって来そうだ。(Midori)

末黒野

2009-04-18 | Weblog
末黒野や七十歳のど根性   古屋河童
                           「滝」4月号 〈滝集〉
古希は、杜甫の『曲江詩』の中の「人生七十古来稀」の詩句に由来する
が、七十歳は、今では稀どころか、まだまだ人生の壮年期とも思える年
齢だ。ど根性は、最近、ど根性大根、ど根性スイカ、ど根性イチゴなど、
厳しい環境にありながらも、りっぱに育ったものを指すようだが、ここ
では「七十歳のど根性」である。末黒野に新たな生命が芽吹くように、
古希を迎えられた河童さんのど根性の新境地が楽しみだ。(Midori) 

啓蟄

2009-04-17 | Weblog
啓蟄や納屋を出てゆくトラクター     櫻井アエコ
                                  「滝」4月号 〈滝集〉
啓蟄は、十四節気の一つで太陽暦三月六日頃、冬ごもりをしていた虫が
戸を啓いて穴から出るという意である。木々は一斉に芽吹きはじめ、万物
の生命が春の訪れを待っていたかのようだ活気づく。掲句、アエコさんは
家族の運転するトラクターが納屋を出てゆくのをじっと見まもっているのだ。
省略の効いた「トラクター」の擬人化に、春耕の喜びと農家の要であるト
ラクターへの深い愛情が伝わってきた。(Midori)

白菜

2009-04-16 | Weblog
白菜を八つに切りて一人なり     渋谷益子
                               「滝」4月号 〈滝集〉
白菜は、日本の食卓には欠かせない冬の野菜だ。その名の如く白菜の瑞々
しい「白さ」は、冬を象徴する美しさでもある。白菜の葉を一枚一枚剥ぎ取る
利用法もあるが、ここでは「八つに切りて」と大胆である。きっと天日に干して
漬物に使うのかもしれない。「に」がなければ「八つ切りに」となり、少々物騒
でもあるが、そこに俳諧味が隠されているのかもしれない。漢数字の列記も
効果的に働き、哀歓のある作品となっている。(Midori)