猪垣 2020-10-29 | Weblog すでに刈田が広がり、秋晴の日が続いているが、稲の穂が色づきはじめた頃より田圃の周りには、金網柵が張り巡らされていたが、これは猪の侵入を防ぐためのもの。つまり、それほど猪の被害が大きいということを物語る。せっかく植えた100本の里芋もすべて猪にヤラレタという知人が、「もう作らん」といっていたのを思い出した。(Midori) 猪垣に眠らぬ闇のありにけり *中正選、土曜例会
「阿蘇」10月号 *山翡翠 2020-10-22 | Weblog 山翡翠の眼に球磨川の夜明けかな 杉本康子 想像もしなかった球磨川の大氾濫は、多くの人家を呑み込んでいった。掲句は「山翡翠」の眼が捉えた球磨川である。「夜明け」が意味するものは、氾濫のあとの時間の経過としての「夜明け」とも取れるが、「山翡翠の眼」に映ったものは、災禍からの「球磨川の夜明け」であったに違いない。(Midori)
「阿蘇」10月月号 *梅雨夕焼 2020-10-18 | Weblog 避難所は母校でありし梅雨夕焼 永村美代子 7月6日の豪雨では、まさに経験したことのない濁流に命の危険さえ感じられたほどだった。作者もそんな中、避難を迫られたのだろう。しかし、避難所が母校であるいう信頼感は大きい。地域の小学校や中学校が避難所に指定されることは珍しくはないが、こうして一句にされると思わぬ発見に気づかされる。「梅雨夕焼」に安堵感を覚える一句である。(Midori)
「阿蘇」10月号 *花柘榴 2020-10-03 | Weblog 巻貝の中よりオラショ青葉潮 母許に一夜の寝茣蓙敷きにけり 金剛のひかり湛へてゐる泉 つま先に旅の疲れや花石榴 *「阿蘇」10月号、岩岡中正選 ようやく句会が再開されるようになった頃の句。吟行には行けなかったものの、どの句も過去の映像が元となっているので、「記憶の再現」と言ったところでしょうか。自粛が続く中では仕方のないことですが、これからは過去や既成観念にとらわれない新たな目線を持ちたいものです。(Midori)