十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

初詣

2010-03-31 | Weblog
      みどり児を玉と抱きて初詣   荒牧成子

その日は、菊池神社で行われた初句会だった。そして私も、この嬰児を抱いた御一家とすれ違っている。生後間もないらしく、お包みの中の赤ん坊は、ぐっすりと眠っているようだった。「玉と抱きて」の形容通り、幼子を見つめる静かな眼差しは慈愛に満ちていた。「阿蘇」4月号より抄出。(Midori)

強霜

2010-03-30 | Weblog
    強霜や城垣ひしと噛み合へる    井芹眞一郎

城は、慶長12年(1607年)に加藤清正によって築城された熊本城だ。日本三大名城の一つに数えられ、熊本が誇る市街地のシンボルだ。さて、「強霜」が、城に攻めのぼってくる強兵のように思えてくるから不思議だ。「ひしと噛み合へる」の擬人化にも似たフレーズに物語性が感じられた。作者は、ホトトギス同人。「阿蘇」4月号より抄出。(Midori)

初句会

2010-03-29 | Weblog
     ふるさとの山河讃へん初句会    渡邊佳代子

ふるさと、そして日本の原風景でもある山河・・・。熊本県北端に住む私にとって、山河はあまりにも身近過ぎて、その存在に生かされていることすら忘れかけていた。「ふるさとの山河讃へん」の初句会における作者の決意に、俳句の原点を示されたようで、身が引き締まる思いがした。「阿蘇」4月号より抄出。(Midori)

山茱萸の花

2010-03-28 | Weblog
      山茱萸黄いつも日暮のやうな庭    岩岡中正

山茱萸の花は、白梅、紅梅から少し遅れて、梅とは異なる趣きと色彩で、庭に早春の華やぎをもたらしてくれる。さて、「いつも日暮のやうな庭」とは言いながらも、どこかユーモラスな響きが感じられるが、庭木が月日とともに大きく成長し、春の陽光を遮っているのだろう。山茱萸の黄に、庭は一時の明るさを取り戻したようだ。作者は、「阿蘇」主宰。ホトトギス同人。「阿蘇」4月号より抄出。(Midori)

さくら

2010-03-27 | Weblog
    にほへどと行書で散つてゆくさくら   木下節子

「色は匂へど散りぬるを・・・」のいろは歌を、一句にしたような作品だ。
桜の花びらが、はらはらと散ってゆくさまは、まさに行書のように優しく
美しい。作者は、「泉」所属。2009年「全国俳誌巻頭句一覧」より抄出。

2010-03-26 | Weblog
     底無しの花の闇なら落ちてよし    森 敏子

「春の闇」には、ビロードのような手触りと、官能的な感触があるが、「花の闇」というとそれ以上だろうか。そして、花の闇でも「底無しの花の闇」だ。「落ちてよし」の捨て身の情熱が、私にはちょっと羨ましくもなった。桜には、情念のような感覚を抱かせる何かがあるようだ。作者は、「白桃」所属。句集「薔薇枕」より抄出。(Midori)

花見

2010-03-25 | Weblog
     電気工一人花見の灯を点す    守屋明俊

夜桜の仕掛人、電気工にスポットライトを当てた作品だ。点灯の瞬間を見逃さなかった作者もすごいが、こんなところにも感動のドラマがあったとは・・・。俳句ならではの詩情を覚えた。句集「日暮れ鳥」に所収。「俳句」3月号より抄出。(Midori)

2010-03-24 | Weblog
     人類に春限定のエンドルフィン   佐々木花茨

人類は、進化しているのか、それとも環境ホルモンの影響で退化しているのか・・・。「笑う門には福来る」というけれど、ヒトは笑えば、脳内モルヒネの分泌も高まるらしい。「春限定のエンドルフィン」で心も体もリフレッシュしたいものだ。作者は「藍」所属。2009年度「全国俳誌巻頭句一覧」より抄出。(Midori)

春日影

2010-03-23 | Weblog
    スコップにぼんのくぼあり春日影   小川軽舟

「ぼんのくぼ」は、項の中央のくぼんでいるところをいい、身体の一部だが、スコップにもあったとは驚きだ。スコップを見てみるまでもなく、スコップの裏側には確かに「ぼんのくぼ」らしきところがある。「スコップにぼんのくぼあり」という小さな発見の句であるが、「春日影」の季語を配したことによって、ぼんのくぼに陰影を生じさせることに成功している。春日と影も、ぼんのくぼの在りようの一つなのかもしれない。「俳句年鑑」2010年版より抄出。(Midori)

草餅

2010-03-22 | Weblog
    草餅の指何本かねばりをる   加藤かな文

草餅は、指で摘んで食べるが、表面に片栗粉が付いているため、指がベタつくことはない。と思っていたが、やっぱり食べ終わった指は、どことなく餅でねばっている。「何本か」の確信的な曖昧さが、実感の一句だ。句集「家」より抄出。(Midori) 

卒業

2010-03-21 | Weblog
 僕たちといはず俺たち卒業す   吉岡葉子

「僕たち」が、失ってしまったもの、そして、
「俺たち」が、手に入れたものは、一体なんだろうか?
そこには、たくさんの青春のドラマがあったに違いない。
卒業は、「俺たち」という結束からの卒業でもあるのだ。
作者は、「運河」所属。「俳句」平成21年6月号より抄出。


菠薐草

2010-03-19 | Weblog
     赤い根のところ南無妙法菠薐草   川崎展宏

ほうれん草の根っこに近い赤いところは、ミネラルが豊富で栄養価が高いと言われるが、妙に甘くて苦手だ。「南無妙法菠薐草」と、唱えて食すれば何だか、滋養が増しそうな気がしてくる。「南無妙法蓮・・・」のパロディに言語感覚の面白さ、「俳」の心を感じた。「平成秀句選集」より抄出。 (Midori)

風船

2010-03-18 | Weblog
      風船を手放す自由ありにけり   櫂 未知子

この風船の中には、ヘリウムが充填されていて、手を離せば、空高く飛んで行ってしまう。ここに「手を放してみたい」という衝動と、「手を離すわけにはいかない」という思いとの間に小さな葛藤が生じる。風船の運命は持主の意志に委ねられている訳だ。風船を手にした時の微妙な心理が詠まれて興味深い。「ありにけり」の余韻に、自由とは結構不自由なものかもしれないという認識を新たにした。「俳句年鑑」2010年版より抄出。

すみれ

2010-03-17 | Weblog
     すみれ草造化の神を恋ふ日かな   鍵和田秞子

造化は、天地の万物の創造主だ。季節がめぐり、季節ごとの生命の輝きを、この上なく美しいものと感じることはあっても、果たして、創造主である造化の神を恋うたことはあっただろうか・・・。すみれのその完成された小さなフォルムに出会ったとき、きっと造化の神の存在に感謝せずにはいられなくなるだろう。「俳句」平成21年9月号より抄出。(Midori)

猫の恋

2010-03-16 | Weblog
    人生の話退屈猫の恋   加藤かな文

人の生き方は、人それぞれで、マニュアルなどありはしない。「人生の話退屈」と言われれば、確かにそうだ。人の真似など決してできないのだから。そこで、配された季語は、猫の恋・・・。まるで、「猫を見習いなさい」とでも言いたげだ。作者は、「家」編集長。句集「家」より抄出。(Midori)