十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

竃猫

2015-02-28 | Weblog
うす目してあの世この世や竈猫
初氷星のささやき蔵しけり
しあはせのまん中に置く炬燵かな
ポインセチア心に灯る星ひとつ     みどり


*「阿蘇」3月号、岩岡中正主宰選
 

 「竈猫」というユーモラスな季語があるが、これが「うす目」してうつらうつらと「あの世この世」の間を行き来しているというのも、楽しい。実は猫を見ている作者も次第に竈猫となってうす目となってゆく。どこか世の中を斜交いに見ている漱石の猫の視線を思わせる一句である。(雑詠選評より)

野遊

2015-02-27 | Weblog
野遊の果の夕日に立ちつくす     渡辺久美子

時を忘れて野に遊んでいる作者であるが、ふと山際に迫る夕日に気づいたのである。生活に追われてばかりいると、その美しささえつい見過ごしてしまいがちだが、ここは大自然の中である。神々しいばかりの夕日の美しさに、一時我を忘れて立ち尽くす作者であるが、その姿もまた美しく輝いていたことだろう。句集『立田山』より抄出。

下萌

2015-02-26 | Weblog
下萌のすでに下塗りほどの色    有吉桜雲

「下萌」というにはまだ早く、うっすらと緑を掃いたような状態を、「下塗りほど」という比喩によって詠まれた作品である。「下塗りほど」であっても、「下萌」を詠まれた作品であることは確か。2015年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

2015-02-25 | Weblog
貝の上男雛は袖をうちひろげ     深見けん二
貝の上女雛は袖をかき抱き         〃


一対の男雛と女雛が、それぞれを同じ視線で詠まれ、下五で大きく転換。 「うちひろげ」と「かき抱き」の措辞の「うち」と「かき」の強調による大胆な詠みぶりが見事であるが、「貝の上」であればまた雛らしい愛らしさが際立つのだろうか。句集『菫濃く』より抄出。(Midori)

2015-02-23 | Weblog
とざしたる老の我儘梅が門     高浜虚子

多くの俳人や門人たちを、時に閉ざしてしまいたいと思うこともあったのだろうか。それを、「老の我儘」だと、弁明している虚子だが、ただの門であれば、拒絶感があるかもしれないが、閉ざしたのは、「梅が門」である。誰も訪れることのない門に、紅梅が咲き誇っているのだろう。第4版『虚子俳話』より抄出。(Midori)

熱燗

2015-02-22 | Weblog
熱燗や五臓六腑の位置知らず     佐藤 博

おおよその見当はつくものの、五臓六腑の正確な位置は案外と外れていたりする。だからと言って、正確な位置を知ろうとも思わないが、熱燗が体内に沁み渡るときに感じるのは、やはり五臓六腑である。「位置知らず」の着地に、人生に身構えることも無い、どこか達観した作者であるような気がした。「滝」2月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

漱石忌

2015-02-21 | Weblog
陽の射して膝のさみしき漱石忌     佐々木博子

冬日はとても貴重。陽が射して膝が温もれば、心地よくもあるけれど、どこか寂しい。温かな膝には「猫」という取合せは、日本の原風景でもある。さて、漱石の代表作といえば、何といっても『吾輩は猫である』。漱石忌に、「猫」を出さずに「猫」を想像させるレトリック・・・。「陽の射して」とプラスオーラから、「さみしく」のマイナスへの展開。「漱石忌」が、動くことなき一句である。「滝」2月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

白息

2015-02-20 | Weblog
白息を豊かに刀自の津軽弁      大友みつ子

明治以降、日本語の標準語は、東京の「山の手言葉」を標準に整備されたというが、それ以外はすべて地方の言葉となるのだろうか。さて、「津軽弁」は、その鼻にかかった発音の故か、フランス語にも似ているとも言われる。作者は仙台在住であるので、いくらかは理解できると思われるが、「白息を豊かに」と、言葉よりも「白息」に注目している。「豊かに」の措辞により、女性の表情豊かな津軽弁が聞えてくるような気がした。固有の方言が詠み込まれたユニークな一句。「滝」2月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

除夜

2015-02-19 | Weblog
村の灯は村より出でず除夜の鐘      相馬カツオ

宇宙から見た夜の地球の映像を見たことがあるが、明るく灯る大都会がとても印象的だった。さて、「村の灯は村を出でず」と、小さな山村だろうか?除夜の鐘の静かな音に、村人の一年の平和な暮らし、そして明日への安らかな眠りが、ここにはあるのだと感じられた。「滝」2月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

毛糸玉

2015-02-18 | Weblog
青春へ忘れてきたる毛糸玉      服部きみ子

先日、店内に並んでいる毛糸玉を見かけたが、懐かしいと思いながらも、かつてのようなときめきを覚えることはなかった。毛糸玉は、「何かを編みたい」という大きな欲求がなければ、それはただの毛糸玉でしかなかった。さて、毛糸玉を青春時代に忘れて来たというのである。忘れて来たのは、「毛糸玉」であり、「青春」そのものなのだろう。眼前にない毛糸玉が詠まれているが、色鮮やかな毛糸玉が蘇ってきた。「滝」2月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

暖炉

2015-02-17 | Weblog
暖炉燃ゆ解きしままのリボンかな     中井由美子

リボンは、結ぶ、そして解くもの。帯状の布が、結ばれるのと解かれるのでは、大きく違う。美しく結ばれたリボンを解くことは、いくらかの躊躇があるが、結ばれたリボンは解かれるためにあるもの。「解きしままのリボン」には、そんなプロセスを経て得た状態であり、ある種の解放感にも繋がる。配された季語は、「暖炉燃ゆ」。絶妙な季語の選択によって、ドラマティックな想像が膨らんだ。「滝」2月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

冬鴉

2015-02-16 | Weblog
素描めくメタセコイアや冬鴉     鈴木要一

生きた化石とも言われるメタセコイアは、秋になると紅葉し、冬にはすっかり落葉してしまう針葉樹である。季節を通して、空に聳える美しい樹形が特徴的だ。さて、落葉したメタセコイアを、「素描めく」と形容し、「冬鴉」を、点景として置かれた構図。一枚のモノクロームの世界が空高く伸びた美しい作品である。「滝」2月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

柚子

2015-02-15 | Weblog
柚子の実を郵便受に入れて来る     加藤信

たくさん収穫できた柚子の実の御裾分けだろうか。わざわざ声を掛けるほどでもないと遠慮したのか、それとも単に不在だったのか?柚子を届けに来たことに気付いてくれるのに、郵便受は格好の場所だ。頂いた方も、柚子の実の送り主が誰だか、ちゃんと分かるのだろう。柚子の実を介しての何でもない日常のひとコマが良かった。「滝」2月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

春日影

2015-02-14 | Weblog
かたちあるものにより添ふ春日影     酒井恍山

どんなものでも、平等にその形を映し出す春日影である。「もの」ではなくて「春日影」に焦点を当てて詠まれ、「春日影」ならではの艶やかで、情感のある作品である。「滝」2月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

2015-02-13 | Weblog
透明に爪塗る夜や兎死す    成田一子

悲しみを説明する言葉が見つからない時、あるいは、それを誰かに伝える必要もない時、無意識にすることは、果たして何だろうか。作者にとって、それは、透明に爪を塗ることだった。兎の死は大きな悲しみであったのだろう。無心に爪を塗る姿は、まだ兎の死を現実のものとして受け止めることを拒んでもいるようにも見える。「滝」2月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)