十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

十薬

2018-05-31 | Weblog
十薬のさげすむたびに増えてをり     大牧 広

一読して、くすっと笑える一句。十薬を植えたものの、その繁殖力に辟易としているのだ。誰もが認める十薬の特徴を言い止めて、平明。こんな句を詠めるようになりたいな~♪講談社『花の歳時記』より抄出。(Midori)

入梅

2018-05-29 | Weblog
九州北部は、8日早い梅雨入りとなった。降水量は平年並みか多い予報だとか・・・。雨はなくてはならぬが、ほどほどという訳にもいかない。(Midori)

    入梅や天に漕ぎ出す月の舟

薔薇

2018-05-27 | Weblog

                         (南関町茶屋跡の薔薇展より)
今日も家先の赤い薔薇を見かけたが、やはり薔薇の美しさが格別。薔薇は手入れをすればするほど、美しく咲いてくれるとか・・・。今年は、薔薇の句をたくさん詠んだ。(Midori)

    王妃の名持ちたる薔薇の香を愛す
    *岩岡中正選

麦の秋

2018-05-24 | Weblog
今月の南関の句会の兼題は、「麦の秋」。その日の熊日新聞の一面にも嘉島町の見事な麦畑の写真が掲載されていたが、「麦の秋」は、「麦畑」とは違う。「麦の秋」は、麦の穂が色づく頃を言う時候の季語である。昨日もたくさんの「麦の秋」の句が出されたが、「麦畑」と混同している句がいくつかあったのが気になった。(Midori)

    思ひ出の中の駅舎や麦の秋  

植木市

2018-05-22 | Weblog
うしろ手の決めかねてゐる植木市     保科幸江

「うしろ手に」とすれば、「決めかねてゐる」のは、作者であるが、「うしろ手の」である。「決めかねてゐる」のは、「うしろ手」ということになるだろうか。助詞の使い方一つで、印象は随分と違ってくる。植木市をうしろ手にして、あれかこれかと迷っている作者の映像が鮮明に立ち上がってくる。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

猫柳

2018-05-20 | Weblog
尼様の小さき菜園猫柳     太田和代

尼寺の片隅の菜園を、「尼様の小さき菜園」と表現されて、いかにも愛情深い。仏門にある尼様の小さなお暮らしぶりが垣間見られる一句だが、「猫柳」の効果は、愛らしさにあるのだろうか?「猫柳」は、小さな句会の2月の兼題であった。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

春隣

2018-05-18 | Weblog
橋の影ゆらゆら映し春隣     児玉胡餅

「ゆらゆら映し」と、 川の存在が省略されているが、ゆったりと流れる川面の映像が立ち上がってくる。川面は、穏やかな日射しを受けてきらきら輝いていることだろう。「春隣」と置かれて、橋のすぐ向こうまで春がやって来ていることを思わせる一句ではないだろうか。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

梅林

2018-05-16 | Weblog
また一人梅林に影置く忌日      上村孝子

「また一人」とは、一人来てはまた一人と、途絶えることのない様である。「梅林に影置く忌日」と、心憎いまでの叙法に、忌日への思いの深さが偲ばれる。白梅の咲く先師の墓前に詠まれた掲句は、土曜例会で主宰特選となった。私も5句選の一つに頂いた記憶に残る一句である。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

球磨川

2018-05-14 | Weblog


日本三大急流の一つとして名高い球磨川。この日は雲ひとつない快晴で、コバルトブルーの大河が、万緑の市街を流れていました。球磨川を天然の城塞とした人吉城址もあり、想像以上の絶景でした。



2日目は、朝から雨・・・。夏霧にすっぽり覆われた風情も素晴らしかった!またいつかゆっくりと行きたい場所です。(Midori)

新緑の雨にけぶれる瀬音かな

蝌蚪

2018-05-12 | Weblog
母許へいくつも跨ぐ蝌蚪の水     本田久子

「蝌蚪の水」をひとつ跨ぐたびに近づく故郷。跨ぐたびに覗く「蝌蚪の水」は、作者にとって郷愁そのものであるに違いない。「いくつも跨ぐ」の母許への小さな距離は、作者と母をつなぐ優しい距離でもあるのだろう。御母堂様を亡くされてはじめての春。変わらぬ故郷に、何を偲ばれたことでしょう。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

2018-05-10 | Weblog
梅ひらく空の青さに触れたくて     杉本康子

梅の花が開いたのは、空の青さに触れたかったから?答えはノー。しかし、この句には、そうかもしれないと思わせる力がある。「空の青さ」に触れたかったのは、梅よりも作者自身であり、その思いが梅へと投影されたのだ。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

春光

2018-05-08 | Weblog
春光の十方浄土より満ち来     堀 伸子

「十方浄土」とは、八方に、上下を加えた、十方に存在する浄土。あらゆる方向に存在する浄土を意味する。さて、輝くような大海を眼前にしている作者である。「春光」が、「十方浄土」という詩的空間より満ちて来るという壮大なロマン。「春光」への限りない喜びと畏敬の思いが、感じられる一句ではないだろうか。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

若布刈舟

2018-05-06 | Weblog
瀬戸をゆく巨船に揺るる若布刈舟     井芹眞一郎

瀬戸とは狭い海峡のこと。最近、高層ビルを積載したような巨船が停泊しているのをよく見かけるが、巨船が瀬戸を過る時、どれほどの波が立つのだろうか?大きな波は、小さな海辺の和布刈舟にも達するものなのだろう。「巨船」と「和布刈舟」の対照的な船と舟。現代的な詩情の切り取りに心惹かれた。 「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

毛糸編む

2018-05-04 | Weblog
不器用な愛でありけり毛糸編む     岩下律子

「不器用」なのは、「愛」なのであるが、もちろん「毛糸編む」にも掛かっている。日本人らしい不器用な愛。懸命に毛糸を編む姿が、とっても健気。取合せの上手さはお見事!「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

2018-05-01 | Weblog
花下といふ静かな時間ありにけり    岩岡中正

今年は例年になく早い初花に出会い、天候にも恵まれ、満開の頃、落花の頃、残花の頃と、折々の桜を堪能することが出来た。さて、「花下」とは場所を示す言葉でありながら、ここでは「静かな時間」であるという。それぞれの「花下」に、作者はどんな安息の時間を過ごしたのだろうか。「花」の持つ死生観が作品の根底を支えている一句ではないだろうか。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)