十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

夏祓

2019-06-29 | Weblog
行きずりの茅の輪の縁くゞりきし     石山佇牛

氏神様でなく、たまたま通りかかった神社の茅の輪である。やはりくぐらずには居れないのは、民間信仰ならでは、楽しさだろうか。くぐったのが、「茅の輪」ではなく、「茅の輪の縁」だという「行きずり」ならではの控え目さが何とも奥ゆかしい。さて明日は、氏神様の大津山神社をお詣りして茅の輪をくぐって来ましょう。『ホトトギス新歳時記』より抄出。(Midori)

田植

2019-06-24 | Weblog
しわしわと鴉飛び行く田植かな     高浜虚子

『虚子俳話』の中の昭和32年6月16日付の一句。このときの記事には、「俳句も文章であるから、やはり時間的ではあるが、比較的空間的な効果を持ってをる。」とある。掲句、「田植」という平面的な事象に、「しわしわと」という鴉の羽音のオノマトペと、「鴉飛びゆく」という空間的な措辞を取り合わせた力量は流石!昔ながらの田植の様が見事に表出されている。(Midori)
 
*「しわしわ」の二つ目の「しわ」は、繰り返し記号表記となっています。

2019-06-21 | Weblog
無為に過ぐ黴の季節や無精髭     大輪靖宏

あの嫌な黴の季節もいつになったらやって来るのか?梅雨入り宣言もないまま、今日は夏至。さて日本人ほど成人しても本を読む勤勉な国民はいないと聞くが、「無為に過ぐ」ことの罪悪感にも繋がる。「無精髭」がまるで人間に生えた黴のようにも思えて楽しい一句。『花鳥諷詠』330号より抄出。(Midori)

6月号ⅶ

2019-06-18 | Weblog
春愁を隠しきれざる歩幅かな     徳永文代

春愁が、「歩幅」にまで出てしまうとは、言われてみて納得!気落ちしている時は、とぼとぼと歩幅も小さく、心が高揚しているときは、溌溂と歩幅も大きく・・・。「隠しきれざる歩幅」に、落胆の様が想像されるが、「春愁」であるから、そんなに深刻でないことが救い。どこかユニークな一句である。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

6月号ⅵ

2019-06-16 | Weblog
ピアニッシモで終る暮春のコンサート      古荘浩子
フォルテからピアニッシモの暖かし          〃


フォルテ、メゾフォルテ、ピアノ、メゾピアノ、ピアニッシモ・・・。これらは、譜面に見られる音の強弱の記号である。迫力のある「フォルテ」から、やさしい調べの「ピアニッシモ」。「暮春のコンサート」の余韻が、記号を用いて詩情高く詠まれた佳句である。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

蝸牛

2019-06-14 | Weblog
今回の兼題は、「蝸牛」。最近では滅多に見られないが、時に見るのは菜園の中の害虫としての蝸牛。イラストで描かれる蝸牛とは大違いだ。しかし、幼い頃見た愛すべき蝸牛として詠みたいところ。(Midori)

   文学の端にでんでん虫這はす     *中正特選 in NHK

6月号ⅴ

2019-06-11 | Weblog
ふるさとや富士のかたちに山笑ふ     藤井久子

わが町にも、「富士のかたち」をした標高400mにも満たない小さな山がある。町のシンボルでもあり、北原白秋が作詞した校歌にも登場する山だ。さて、「ふるさとや」と、「や」の詠嘆ではじまる掲句。「山笑ふ」という擬人化に対して、「富士のかたちに」という具体性が、いかにも晴れやかで、春の喜びが感じられる一句である。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

6月号ⅳ

2019-06-09 | Weblog
旅明けの鍵穴にある余寒かな      西村孝子

旅から帰って、久しぶりの我が家。「鍵穴」に鍵を挿し込むときの感覚は、やはり誰も居ないという一抹の寂しさ。「余寒」は、感覚的な寒さでもあるのだろう。誰もが一度は経験したことのある思いを、「鍵穴」を通して見事に表現された作品。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

6月号ⅲ

2019-06-07 | Weblog
末黒野の色して牛の二三頭    井芹眞一郎

阿蘇路を行くと、黒牛と赤牛のそれぞれの群れを見かけるが、「末黒野の色して」という黒牛の喩えはいかにも楽しい。黒牛まで末黒野の一部になったかのようである。「二三頭」という措辞が、一句をより立体的なものにしている。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

6月号ⅱ

2019-06-05 | Weblog
妻旅にある花冷の二三日     岩岡中正

「妻旅にある」という省略の効いた措辞に、妻を思いやる作者の胸中が伺える。「花冷」は、体感だと思われるが、妻の居ない寂寥感にも繋がる。「二三日」という数字が、一句に物語性を与え、漱石の小説をふと思い出した。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

「阿蘇」6月号

2019-06-01 | Weblog
一書にも扉ありけり春灯
木々芽吹く風を嗅ぎゐる麒麟かな
初花や空に弾んでゐる言葉
爪痕のやうな残月猫の恋

*「阿蘇」6月号、岩岡中正選

【選評】 そういえば今開いたこの本にも「扉」があるという小さな発見とよろこびである。それはまた、本との出会いのよろこびであって、「春灯」がいかにも明るくあたたか。「一書にも」の「にも」に、軽い感動がある。(中正)

 「扉」の概念は、建物の付属物とされることが多いと思われるが、本にも「扉」があることを知って、日本語の言葉感覚の豊かさを思ったことだった。(Midori)