炎天の塊として歩くかな 岩岡中正
今年の夏は、記録的な猛暑日が連日続き、日中の外出となると、まさしく覚悟の外出となった。さて、炎天を歩いている自分の姿を、「塊として」とは、何ともユニーク。自嘲と思われる措辞だが、「塊」とは、すでにどんな知性も感情も持たない、人間の形をした「塊」である。その塊が、歩くのだから、無我の境地、といったところだろうか。炎天ならではの一句である。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)
今年の夏は、記録的な猛暑日が連日続き、日中の外出となると、まさしく覚悟の外出となった。さて、炎天を歩いている自分の姿を、「塊として」とは、何ともユニーク。自嘲と思われる措辞だが、「塊」とは、すでにどんな知性も感情も持たない、人間の形をした「塊」である。その塊が、歩くのだから、無我の境地、といったところだろうか。炎天ならではの一句である。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)