沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

駆け抜けた松本清張記念館

2016年12月18日 | 県外 8 Scene

 年の瀬の慌ただしい中、駆け足で北九州市へ出張へ行ってまいりました。写真は霧雨けぶる小倉駅南口です。気温は7度ほど。白い息が出ました。

 業務内容は1時間ばかりなのですが、先方が時間を指定してきたこともあり、タイトな日程となりました。しかも、右肩下がりであるわが社の事情からか、上司から、費用を抑える目的での「日帰り」命令が下りました。個人的には、実質1時間なので「そりゃそうだろう」と納得しました(そもそも出張しなくても可能な業務なのですが建前主義の世界だとこうなります)。しかし、先週福岡出張した先輩には宿泊決済が下りていたようです。8郎周辺の先輩同僚は「(上は)費用対効果すら考えない明らかな差別」と嘲笑しておりました・・・。

 とはいえ、せっかくの出張。しかも未経験の北九州市の小倉(こくら)という町。なにかしら得るものはないか事前にネットで調べてみました。北九州市に関しては中学校時代に習った「工業の街」というイメージしか浮かばなかったものの、「小倉」という響きにぴんときました。ある国民的作家が思い浮かんだのです。

 それは、没後四半世紀がたとうとする松本清張です。8郎はマニアというほどではありませんが、多くの国民同様、「なんてすごい作家なんだ」と作品を読むたびに思っていた一人です。人間の汚くも悲しい部分を描きつつ、底辺には人間が好きでたまらないという情熱が漂う作風です。現代の国民的作家、横山秀夫氏を読むと、そのルーツに清張を感じます(横山氏も清張をリスペクトしています)。どちらも好きな8郎ですが、清張には横山氏のさらに上を行く人間へのあくなき探求心をいうものを感じるのです。分かりやすくいうと、横山氏はエンターテイメントに徹し、清張はあくまで人間探求に徹するということでしょうか。二人とも希代のストーリーテラーなので「どんでん返し」が得意なのですが、横山氏は「ちくしょう、そういう落ちがあったか。これは思いつかなかったわい」という衝撃ですが、清張の場合、「人間ってこわ!」と背筋が寒くなるような、これまでの人生経験では分からなかった人間の裏の顔を見せられる衝撃、ということになります。

 清張は1953年、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞しデビューしました。8郎も20年ほど前に読みましたが、そのとき、清張自身も小倉出身だというのを解説か何かで知っていたのです。「出身地ということは記念碑的なものがあるに違いない」とネットで調べてみると、その名もずばり「松本清張記念館」なるものがあるではないですか!(笑)。しかも出張目的地である大企業本社から歩いて10数分ほどの場所にあります。「これは寄るしかない」と決断しました。

 福岡行の便でも、家の本棚から持ち出した「松本清張短編集」(下写真)を読みました。その中に「或る『小倉日記』伝」があったからです。1時間半ほどのフライトで読破しました。20年ぶりですが、あらためてじんとくるものがありました。 障害をもつ青年が、文豪・森鴎外の小倉在住時代の「日記」を証言などを取材して記録化することに情熱をかけるというストーリーです。青年への偏見による差別と、青年を献身的に支える母の行動が胸に迫ります。結局、青年は目的を遂げられないまま亡くなってしまうのですが、清張はそのあとにさらなる現実の冷たさを用意しているのです。そして、これをわずか最後の三行でまとめる清張の筆力。文章がそっけないだけ、その分、いろいろなことが頭の中をよぎるのです。恐れ入ります。ストーリーが骨太なら、饒舌な文章なんかいらないということを教えてくれます。

 さらに、この作品の一番素晴らしいところは、青年が「自分がやっていることに意味はあるのだろうか」と絶望に襲われ、のたうちまわる姿を描いたことです。人間ってそんなものでしょう。サラリーマン8郎にはわかりませんが、特に研究者や文学者たちというものは凡人にはわかりえないストレスと戦っているのだと思います。青年の努力は結局報われませんでした。しかし、悲しい人生だったのでしょうか。何かを追う、ということに情熱を傾け続けた青年の生きざまはとても神々しいものだったのではないでしょうか。そして、わが子に障がいというハンディを与えてしまったという思いから、青年の行動を支え続けた母にとっても、青年の努力する姿に生きる希望を見い出したのではないでしょうか。清張は一句たりともそんなきれいごとは書いていませんが、そう思わせる余韻のすごさ、まさに文学界の巨人です。

 その青年の葛藤に焦点をあて、日の当たらない作業に努力する虚しさと美しさを同時に表現した、芥川賞受賞作「或る『小倉』日記伝」。当初は直木賞候補だったのが、文学としての完成度の高さに直前に芥川賞に変わったという伝説をも持つ傑作です。みなさんも一度読んでみてください。

 下写真の表題にある「西郷札(さいごうさつ)」も面白いです。投資に狂った人間の凋落ぶりを描き切っています。半世紀後のバブル崩壊を予言したような内容です。8郎的には映画化もされた、ハンセン病患者の苦悩を描いた「砂の器」がマイナンバーワンですね。読んだ作品どれもが期待を裏切りませんでした。

 さて旅行記・・・いや、業務出張報告書に戻します。

 福岡空港から駅に移り、博多駅まで徒歩。そこから新幹線のぞみに乗ります。もちろん自由席です。 

 新幹線って早いっす~。

 最初の写真のとおり、着いた小倉駅は「小倉日記伝」をほうふつとさせる、どんよりとした寂し気な空模様でした。対照的に駅構内はクリスマスモードでした。

  新幹線で早めに到着したために、業務までの時間が多少空いていました(遅刻だけは絶対NGだったので、田舎者8郎のために、庶務の女性Mさんが3パターンくらい経路を考えてくれたのです。感謝)。昼飯はネットで探したうなぎの「田舎庵」。駅から歩いて数分です。2700円(高!)という高級ひつまぶしを注文しました。うなぎのカリカリ具合はかつてない食感でおいしゅうございました。 

  そして、満を持して「松本清張記念館」へと。雨だったのでタクシーを使用。思っていたよりも豪勢な施設でした。おんぼろちっくなものを想定していただけに、さすが、国民的作家、と感服。ちなみに後ろにそびえたつ高層ビルは、なんと北九州市警察署。さすが暴力団の街、ということになるのでしょうか? 政令指定都市に設置されるとのことですが、普通は政令指定都市に県都があるのに、福岡県ではそうでないために(福岡県警も福岡にある)、異例の警察本部となっているようです。沖縄県警の2倍の高さはありました!

  清張記念館は、とても静かで、客も8郎一人の様子(驚)。まぁ、平日の雨空ですから、仕方ないでしょう。でもおかげさまで、じっくりとみることができました。3万冊の書庫がある自宅を再現した空間など圧倒的です。この記念館は過去に施設としては珍しく「菊池寛賞」も受賞しているようですね。これからもずっと、日本文学というより、日本人の生きざまの証として、いつまでも維持してほしい記念館です。

 最後に、清張の残した名ぜりふをご紹介します(記念館にも掲げられています)。インタビューで「好奇心の根源は?」と問われた答えがこれです。


 「疑いだね。体制や学問を鵜呑みにしない。上から見ないで底辺から見上げる 」


 自分が見て調べたものしか信じない。しかも庶民目線で。という意味ですよね。かっちょいいっす~。

 清張の執念からパワーをもらったような気がしつつ、記念館に別れを告げました。ちなみに入館料は500円です。安いとしか思えません。


 次は、近くにある小倉城を撮影。時間がないので中には入らず。なんでも、あたまでっかちの城として有名なようです。昭和43年に再築されたもののようですね。詳細を知りたい方のために、以下、公式HPからの抜粋をご参照ください。 

 小倉城の歴史は、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。その後、高橋鑑種(たかはしあきたね)や毛利勝信(もうりかつのぶ)が居城し、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興(ほそかわただおき)によって、1602年に本格的に築城が始まり約七年の歳月を要しました。この天守閣は「唐造り(からづくり)の天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根のひさしがなく五階が四階よりも大きくなっているのが特徴的です。また、城の石垣は切り石を使わない野面積み(のづらづみ)で、素朴ながらも豪快な風情にあふれています。

 だそうです!

 城もきれいでしたが、まわりの紅葉もきれいだったので何枚かアップします。 沖縄では見られない景色です。

 

  業務を無事に終えたので、新幹線に乗り(時間ぎりぎりでした)、福岡空港へと戻りました。前半でタイトに動いたため、空港では余裕ある時間を過ごせましたね。夕飯は、出張でよく食べるロイヤルコーヒーレストランのロイヤルカツカレー。おいしゅうございました。

  ビールを飲み、駐機場を眺めながら、まどろみました。そして思いました。こんな業務で一泊なんかせんでええ!

 悪天候のため、出発が30分以上おくれ、ほぼ最終便と同じ時間帯で那覇空港に着きました。あ~、つかれた。業務より移動でね。


 妻子のお土産に、福岡空港内の「ヌフヌフ」というスイーツ店でフロマージュ・フレというケーキを買って帰りました。妻子も喜んでくれました。おいしゅうございました。

 自分へのお土産として、清張記念館の売店スペースで、清張の長編小説「砂漠の塩」と湯呑み(笑)を購入していました。まるで寿司屋にある魚の名前が書かれたやつのように、清張の作品名が彫られています。ご愛敬ということで買いました。売り子のお姉さんに聞くと「あまり売れていません」と正直に笑っていました。

  以上、松本清張のルーツをたどる旅・・・訂正、業務出張報告書を終わらせていただきます。


  ところで、清張をめぐって、多少の縁を感じるできごとがありました。

 明日出張だという夕方どき、かつて仕事でお世話になったTさんから久々に飲みの誘いがあったのです。Tさんは、以前当ブログで退職激励会の様子を紹介させたいただいた、普通のうちなーオヤジです。そのTさんも松本清張ファンで、「これを読め」と手渡されたのが短編時代小説「佐渡流人行」でした。時代劇小説というジャンルに入り込めない8郎でしたが、だまされたと思って読んでみると(どんでん返し的に清張にはだまされたのですが)、Tさんの推薦の言葉に偽りなしでした。激オモです。「或る『小倉日記』伝」「砂の器」などに比べ、エンターテイメント性もあり、またとても短いので読みやすいです。あっという間にどんでん返しの奈落の底に落とされます! みなさんも、ぜひご一読を。

 Tさんの誘いは出張前日ということでお断りしたので、今週中に再セッティングすることになりました。記念館に行ったことを自慢してこようと思います(笑)。

 仕事がたまっているので、今日はこれにて。