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沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

金田一と歩く旅@岡山(後編)

2019年12月07日 | 県外 8 Scene

  ついに清音駅(きよね・えき)に着きました。駅名もきれいですが、外見もとても小さくてかわいいですね。 名探偵金田一耕助の顔出しパネルがありました。

 倉敷駅からの電車内にも、金田一耕助にふんしたコスプレの集団がいたのですが、彼ら、彼女らは電車を降りると早速記念撮影。金田一耕助の記念すべきデビューシーンを体感するなんて、粋ですね。

 実は8郎も当初はコスプレを考えたのです(笑)。一生に一度くらいは・・・と。しかし、コスプレとなると、写真を写す側から写される側の被写体へと立ち位置が変わり、このツアー内で終始「集団行動」を取らざるを得ないはめになります。それは、好き勝手に写真を撮ることが難しくなるデメリットも意味しています。この旅を一生の思い出として残すためには、絶対に多くの写真が必要なのです。という理由で、コスプレはあきらめました。集団行動から外れたかった確信的な理由はほかにもあるのですが、それについては後ほど。

 ちなみに、もしコスプレをするなら、どのキャラクターを想定していたかというと・・・もちろん、これです。

 

 【閲覧注意】もし8郎が横溝ワールドのコスプレをするなら

 

 だれですか?  頭部に白いペンキ塗るだけで完成あらに、とツッこんだ人は? その通~り。

 ツアーの受け付けは駅の東側の広場で行われていました。数人のマスコミらしき人達も散見しました。

  おそらく地元の市職員であろう受付の方に、「コスプレに参加せず、写真だけ撮影したい」旨を伝えると、なんと「参加料(500円)はいりません」とのこと。「写真をたくさん撮って、このイベントをもっとひろめてください」とまで言ってくれるではありませんか。感激した8郎、せめてもの地域貢献として記念グッズを買うことにしました。

  購入したのは以下の3つ。計1600円程度でした。使ったり、飾ったりするシチュエーションが想定できないので(笑)、純粋に旅の思い出となります。真備町の復興のためなら安いもの!(2000円で買いたいという方いれば即売いたします)。

 晴れの国とはまさにこの青空のこと! 

 上写真の左下にパトカーが停まっているのが、いかにも金田一ワールドでウケましたね(イベントの警戒だと思いますが)。このパトカーから磯川警部コスプレが降りてきたらもっとウケたのですが。。。司会の方はじめ、コスプレの3分の1は金田一耕助でしたね。人気はもちろん、金田一だけ貸衣裳(¥1000)が用意されていたこともあるでしょう。

 ほかにも、落武者や妙連の尼久野医師ら「八つ墓村」ファミリーがいました。みんな殺される運命です(笑)

 意外に若い女性も多かったです。横溝氏の没後に生まれたはずなのに。やはり名作は世代を超えるのですね。下写真のお二人とも快く撮影に応じてくれました。左の女性は、希代の悪女犬神松子とその息子、スケキヨをコラボさせるという奇抜なアイデア、素晴らしい! 横溝氏も著作権侵害を主張したりしないでしょう(笑)。 

 駅に戻って全員で記念撮影。壮観!

 さあ、出発です。目的地の横溝正史の疎開宅&記念館まで5㌔の道のりです。過去最多の143人となったため、先発の「金田一耕助」と後発の「八つ墓村&その他」という2グループに分かれました。そのため、先頭集団は老若男女、金田一耕助ばかりです。

 時間が停まったかのような真備町ののどかな風景を横目に歩きます。

  みんな楽しそう!

  川辺橋です。長蛇のコスプレが一番絵になるということで、地元の各マスコミもそろっていました。ネットで見る限り、メディアでの露出は毎年、ここからの絵が使われているようでした。

 マスコミがどいた後、どどーっと押し寄せてきました。最初からここで撮った方がいいんじゃない(笑)

 それにしても、これだけ名探偵がいたら、そこらじゅうの難事件は即解決ですな。っていう~。

 8郎が“ただ撮っただけ”の動画もあります。雰囲気だけ感じていただければ。

 『1000人の金田一耕助』@川辺橋

 

 ところで、この旅行記において、書いておかなければならないことがあります。

 この真備町、実は昨年2018年7月の西日本豪雨で大水害に見舞われ、51人が亡くなるという惨事に見舞われていたのです(「晴れの国」とうたう県ですら水害の危険性に直面する時代です)。真備町は今も復興活動の途上です。しかし、その大災害の直後でも、昨年のこの金田一イベントは中止となりませんでした。それどころか、復興の呼び水として全国から寄付が届き、10回目となるイベントを行ったのです(昨年行きたかった、というのはそういう意味です)。地域の方々も金田一耕助は地域のシンボルであると思っているのでしょう。

 散策コース沿いにも復興の途上の光景がまだまだありました。

 更地のそばを歩く金田一たちも真備町の復興を願う気持ちは一つです。

 この日の夜に配信された地元メディアの山陽新聞(デジタル版)の記事はこんな感じでした。ただのコスプレイベントというより、復興支援の側面を強調したいのでしょうね。それでいいと思います。

 

 『“金田一耕助”が真備復興見届け』(山陽新聞デジタル 2019/11/23)

 

 地元有志らによる寸劇第一幕が始まりました。『本陣殺人事件』で、金田一耕助シリーズ最初の怪奇キャラクターともいえる「3本指の男」が売店に水をもらいに訪れるシーンです。原作を読んだ方はおわかりでしょうが、原作におけるこの「3本指の男」の存在意義たるや! 田治見要蔵の使い方と同様、横溝氏のミスディレクションの極致です。

 地元テレビ局もしっかり取材。夕方のニュースでしっかり使われていました。後半で動画をアップしておりますので、後ほどご確認ください。

  歩きに歩いて、やっと看板が見えてきました。

 かわいらしい看板です。

 寸劇第二幕が始まりました。「やだわか」ではなく、一膳飯屋の「川田屋」です。

 

 ところで、8郎はこの寸劇第二幕を最後まで見ることなく、ひとり、集団から離れます(その判断を多少後悔する後日談あり)。

 単独行動に出た理由は一つ。「真備ふるさと歴史館」(実質、横溝正史記念館)の近くにある大池周辺の散策コースを、一人でゆっくり歩いてみたかったのです。そこは、横溝正史が小説のプロットとトリックを考えながら、鬼のような形相で歩きまくった道だと、中学生時分のころ、関連本で読んだ記憶があったからです。33年のときを経て、46歳おっさんも自分の足で歩き、横溝文学のルーツを体感してみたいのですよ! 

 歩いて5分程度で「真備ふるさと歴史館」に到着。まずはここから。

 入口にある金田一耕助像。写真では分かりにくいのですが、像の全校は50㌢ほど。小さくて素通りする方も多いでしょう(笑)。ほかのキャラクターも同じようなサイズですが、金田一だけはもっと予算かけて大きく作ったほうがよかった気がします。まぁ、架空の人物だからでしょうが。

 歴史館を含むこの一帯は「大池ふるさと公園」というようです。

  記念館に入ります。無料! 本陣(大名らが宿泊できる公式の宿場)などで栄えた真備町の古い歴史を一覧できます(『本陣殺人事件』の題名ももちろんこれが由来)。この館は写真撮影OK! 

 横溝氏のご遺族の希望で、疎開宅から移転展示されている書斎がありました。

 この机で『八つ墓村』をはじめ、『獄門島』『本陣殺人事件』『悪魔の手毬唄』などを世に上梓したのだと思うと、一ファンとして感無量です。シンプルです。

 手書きの原稿です。

 ここで、おそらく地元の方でしょう、初老のガイドさんが近づいてきました。この方、右目に眼帯をかけていました。8郎、眼帯をかけている人を生まれて初めて見たので、「誰のコスプレですか?」と思わず聞きそうになったのですが、万一、持病だったりしたら大変失礼なことになります。質問を飲み込みました。コスプレするようなハイな方には見えなかったというのもあります。

 眼帯ガイドさんは、ていねいに、かつ長々と(失礼)、展示物の説明をしてくれました。

 横溝氏の息子さんは音楽家になったそう。偉大なる父の思い出を書き記したパネルがありました。

 横溝氏の執念がにじんだ傑作推理小説がズラリ。

 イラストレーター杉下一文ワールドともいえます!

 横溝ワールドに浸っていると、時間が過ぎていることに気づきました。一生懸命説明してくれる眼帯ガイドさん(コスプレと聞かないことが逆に失礼かもと思いながら・・・)にお礼を伝え、そそくさと退館することに。やばい、予定より遅れている!

 急いで、大池周辺の散策路へ。ついに来ました。横溝文学を生んだ、まさに「金田一の小径(こみち)」です。横溝氏はこの道を繰り返し歩きながら頭の中で描いた原案を、さきほどの書斎で形にしたのですね。池からのさわやかな風が吹き込み、気持ちいい小径でした。向こうから、鬼の形相でプロットを考える横溝正史が、てくてく歩いてきそうではありませんか! 8郎の胸にも感慨がこみ上げてきました。

 道の脇には、赤い藻がなんともミステリーな大池。『犬神家の一族』の名シーン、スケキヨの足が突き出ていても不思議ではありません。

 散策路を歩いていくと、地蔵と小さな銅像がありました。銅像をよく見ると、『悪魔の手毬唄』の“おりんさん”ではありませんか! 

 頭巾で顔が見えない「おりんさん」らしき老婆と、金田一が峠ですれ違うシーンは、横溝文学の中でも、屈指の名シーン。

 「おりんでござりやす。お庄屋さんおところへ、もどってまいりました。なにぶん可愛がってやってつかあさい」

 せっかくなので逆光で撮影。原作を読んだ、または映画を見たファンなら知っています。すれ違ったとき、金田一がおりんさんの顔を確認さえしていれば、あんな惨事は起こらなかったはず! 

 銅像の顔は老婆なのか、はたまた美しい女性なのか、試しに見てみました。感想はもちろんここに書きません。 

 周辺の田園風景。あの傾斜はまさに、田治見要蔵が猟銃と日本刀で大暴れした場所?

 そんなくだらぬことを考えている間に、8郎は時間配分ミスをしていることに気づきました。まるで、すべてが後手にまわった『八つ墓村』での金田一耕助のように。

 ついに、この旅のクライマックスともいえる横溝正史の疎開宅(下写真左)が見えたのですが、コスプレ集団がすでにその直前までたどりついていたのです。それはすなわち、第三幕にして最大の見どころである濃茶の尼の寸劇がすでに終わっていることを意味しているのです。まじか! ここまで来て「たたりじゃ~」🔥を聞けないなんて! 

 走って濃茶の尼の祠に到着。やはり人っ子一人いません。ショック! ここで、金田一ファンにとって最高の歓迎セリフ『来るな、来るな、帰れ、帰れ、八つ墓明神はお怒りじゃ』を聞きたかったのですがっ。

 ぼけ~と立ちすくむ46歳です。

 

 しかし、この地に眠る巨匠横溝正史の魂は、遠く沖縄からやってきた46歳のファンを見捨てることはしませんでした。

 

 がっかりして振り向くと、なんと、助手の方と一緒に車のトランクに荷物を詰め込んでいる濃茶の尼の後姿を見つけたのです!(爆)。もちろんコスプレの中は一般の方(当然)で、地域の商工会関係者のようです。

 「すいません!写真撮っていいですか」。46歳のおっさんは恥も隠さず、頼み込みました。

 濃茶の尼(だから一般人だっちゅーの)は、とてもにこやかな笑みで「いいですよ」と応じてくれたのです。そして、トランクから今しまったばかりの大鎌を持ち出して(笑)、「日の向きはどこがいいかな」と立ち位置まで考えてくれたのです。助手の方が8郎のスマホで撮ってくれました。記念すべき、たたりじゃ~!🔥 カシャ! 

 この旅で、一番思い入れのある写真となりました。この旅一番の写真は、愛機D300ではなくスマホで、しかも他人様に撮ってもらった、という結果と相成りました。濃茶の尼、お名前も知らない方ですが、本当にありがとうございました! 「呪」の鉢巻きが本当にチャーミングでした。

  いざ、遅ればせながら横溝正史の疎開宅へ、コスプレ集団と合流します。意外に豪邸! 

 金田一耕助も入ります(笑)

 しっかりとした日本庭園があり、とても品と風情のあるお屋敷です。ただ今日はコスプレのみなさんでごった返しています。

 紅葉あふれる美しい庭園でした。戦時中の疎開先というので、もっとしなびた屋敷を想像していたのですが。。。この地が、空襲や地上戦に見舞われなかったからでしょうね。74年前にほとんどが焼き尽くされた、わがふるさとを思いました。

 

 美しい庭の動画もアップします。

横溝正史の疎開宅跡

  玄関には粋な2枚の名札が。そして奥には金田一耕助のシルエット! ネットでみたやつだ。ついに来たぞ~(嬉)。たとえ偶像でも、少年時代のヒーローに会えることは、男として感無量以外なにものでもありません。

  動画でもお分かりのように、まるで『本陣殺人事件』さながらの琴の演奏がありました。ちなみにこの部屋こそ、横溝正史の仕事場だったそうです。さきほどの記念館でみた書斎がここにあったということです。70年前に『八つ墓村』はじめ、日本の本格推理小説の夜明けとなる傑作群をここから世に送り出したのですね。再び感無量。 

 いろいろな資料があって、ゆっくり見たかったのですが、ごった返していて、余裕はありませんでした。写真もいまいち。

 裏庭では即席記念撮影会が始まっていました。菊の花はまさに『犬神家の一族』の世界。そして、横溝ワールドの怪奇キャラの中で、最大知名度を誇るスケキヨは、もちろん一番人気でした。8郎も白塗りしていれば、和服のきれいなお姉さんたちに囲まれたかもしれません(笑)

 ところで忘れてはいけません。和服女性の後ろに鎮座しますは、まさに横溝正史大先生の銅像です!(これまたちっせ~。笑)。国民的ベストセラー作家ですよ、もっと大きくして~。

 地域のお母さんたちが甘酒をふるまってくれました。

 集団はこの後、さきほどの記念館へ移動し閉会式を行うのですが、8郎は、すべて見切った、とい満足感があったので、先に切り上げることにしました。電車で込み合うのもいやだったので。

 途中で、さきほどの寸劇第二幕の舞台だった一膳飯屋「川田屋」の中を拝見。しっかりメニューがありました。70年前当時、「豚キムチ丼」などがあったのか疑問ですが(笑)、手作り感に心打たれました。

 街中まで歩きましたが、足が限界。20分待ってもタクシーを捕まえきれないので、スマホで地元のタクシー会社の電話番号を検索し、呼びました(ネットってすごい)。車中で自分の体が非常に汗臭くなっているのが分かりました。コスプレしていた皆さんはもっとそうだったことでしょうね。おつかれさまでした。清音駅から岡山駅まで戻りました。真備町では結局往復7㌔ほどのウオーキングだったのですが、その倍くらい歩いたような疲労感でした。

 

 ホテルに戻ると、早速地元テレビ局のニュースをチェック。放送されていました!

 金田一ニュース

 ちなみに、すべてのメディアのカメラに写らないよう、慎重に動いた8郎ですが、後姿だけちょっとだけ写ってしまいました。妻と10郎はすぐわかったようです(笑)。お暇な方は探してみてください。

  最終日の夜の予定は本来、ホテルから歩いて10分の「後楽園」でライトアップされた紅葉を見るはずだったのですが、足があまりに棒のようになっていたので、断念。「ホテルの部屋付けのせまい風呂に入る」というめったにやらない行動で体を癒しました。多少回復したので、街へ繰り出します。ビールを飲まなければ!

 これまたネット予約していた「魚河岸えびす」という店。酒場詩人こと吉田類さんが選びそうな、こってこての居酒屋でした。

 昨夜と同じくカウンターの隅っこに案内されたのですが、このカウンターと厨房と仕切る壁が高く、大将や店員さんと気軽に話せるつくりではありません。同じくカウンター席の3席となりには二人の若い女性が座っていたのですが、聞こえてくる話の中身からすると、なんと離婚の相談をしているではありませんか! とても、お友達になる気力が起きず(笑)、疲れもあって、純粋に酒とつまみを楽しむことにしました。

 女性店員さんおすすめの「でびら」。木の葉カレイの干物、だそうです。瀬戸内レモンサワー(写真左上)と合いました。 でもエイヒレのほうが好きですね。

 おとなり広島県の名産牡蠣を使ったカキフライ。これは問答無用においしゅうございました。

 実は一番おいしかったのは、刺し盛り(特にハマチ)だったのですが、写真を消してしまい、ご紹介できません。料理は大満足の居酒屋さんでした。

 特に誰とも会話することなく(寂)、1時間ほどで店を出ました。にぎやかな酒場通りには、ひとり旅の身にはちょっと冷たい風が吹いていました。さぁ、明日は一便で沖縄に帰ります。朝食を食べる時間もないほど早めにチェックアウトしなければなりません。このままホテルに帰ろう。そう、82㌔を超えないためにも、コンビニにすら寄らないぞ!・・・。そう心に言い聞かせた46歳です。まっすぐ後楽ホテルに向かいます。

 気づくと、豚の角煮がたっぷり入ったつけ麺を完食していました。

 ホテルに帰り、妻子と電話で会話したあと、爆睡。膨満感に多少苦しんだものの、充実した一日を振り返ると、何かを達成したかのような気分で心地よく眠れました。

 翌朝は午前5時半起き。胃の中の太麺はもちろん消化しきれていません。でも、晴れの国の朝はさわやかです。絶品朝食を取らずにチェックアウト。 

 岡山駅へ向かって歩いていると、ギャー、ギャーという鳴き声とともに黒い影が上空を舞っています。な、なんだ!

 まさか『悪霊島』のぬえが大群で押し寄せたのか。ぬえの泣く夜、だけでなく、朝も恐ろしいのか~。

 ネットで調べると、鳥はスズメの仲間ムクドリの群れで、この時期になるとよく見られる光景だそうです。

 ぬえではなかったのですが、ご参考までに、ぬえの鳴き声を録音したマニアな動画をYOUTUBEで発見。きれいですが暗闇で聞くと確かに怖いですね! お暇な方はぜひ聞いてみてください(笑)。横溝氏はこの鳴き声に着想を得たのでしょうね。

 鵺の鳴き声

 さて、駅発の空港行のバスですが、余裕ぶっこいてバス停に時間ギリギリで到着したところ、何と満席! 予約すればよかったのか。先日のアルプスの旅のような大どんでん返しかと思い、冷や汗が出ましたが、奇跡的に最後の席を空けてもらうことができました(補助席をすべて使ったうえでの最後の1席ですよ!)。旅行は時間に余裕をもって動かなければなりませんね(アルプスの旅の教訓を生かし切れていない46歳です)。

 30分かけて到着した空港では、空腹を我慢できずに、牡蠣弁当を購入(牡蠣好きね~)。1000円近くした割には手のひらサイズでした。アルプスの旅で食べた駅弁「かきめし」を横綱とすると、前頭14枚目くらいのお味でした。

 旅立つ朝も晴れの国、岡山、さようなら。

 帰りの便の座席は、往路よりも空いていました。3列席を独り占めです。気楽~。

 窓からは紅葉の山々が。妻に見せたかったなぁ。

 飛行機の影が雲海に映る珍しいショットです。しかも太陽が落とした光に包まれている? 幻想的なシーンとなりました。

 名残惜しむかのようにまた手に取ります。

 2時間立つと、美しい青空と雲海の世界に入りました。愛しきふるさとももうすぐです。

 帰ってきたぞ~。わったーうちなー。

 空港からはバスで30分かけて、自宅に到着。まだ正午ごろでした(早!)。もっと便数があれば、岡山での時間を有効に使えたのにな~。

 帰宅して、早速体重計に乗ります。せこく100㌘でも軽くするために、もちろん全裸監督状態です(映画『全裸監督』山田孝之主演はネットフリックスで絶賛公開中)。さぁ、こい。

 なんとか、誓いを守りとおせました! でも、あのつけ麺さえ我慢できていれば、81㌔を切っていたはず(悔)

  

 ・ ・ ・ ・ ・

 

 46歳にして、やっと聖地の旅が完結しました。いい年こいて子供っぽい、と笑われても全然構いません。そう言われたと仮定してみると、子供のころのヒーローに会いに行くことが目的だったこの旅は、同時に子供のころの自分に会いに行ったようなものかもしれない、と考えたりもします。33年前の伏線を回収する旅の結末は、『八つ墓村』の章見出しを借りれば、そう、大団円でしたね。

 ありがとう、横溝正史。ありがとう、金田一耕助。そして、復興の途上ながら、毎年、金田一ファンを迎えていただいている真備町のみなさんに感謝とリスペクトの念が絶えません。

 岡山県、倉敷市、真備町。いつか、また、きっと訪ねます。巨匠横溝正史が岡山で書き上げた物語には、8郎が気づいてすらいない伏線がまだ隠されているはずですから。

【後日談】地元のライターさんが書いたイベントの記事が、後日WEBにアップされていました。そこには何と、8郎が中座した寸劇第二幕で、積年の目標だった「延べ1000人目の金田一耕助」が誕生したセレモニーがあったようです。見たかった!(悔) ところで、このWEB記事には、これまた8郎が見逃した濃茶の尼の寸劇の様子も詳しく報告されているので、8郎と記念撮影してくれたあの女性の一世一代の大芝居を確認することができます。ぜひこちらも! ちなみに、すべての写真を確認しましたが、8郎はどこにも写っていません(ほっ)

『倉敷とことこ』


金田一と歩く旅@岡山(前編)

2019年11月28日 | 県外 8 Scene

 突然ですが、40代後半男性こと8郎から、同世代の殿方たちに質問です。

 

 子どものころにできなかったことを、50歳を前に急にやってみたくなる瞬間ってありませんか? 

 

 もちろん働き盛りの一サラリーマンとして、仕事が第一、家族を最優先に、という使命は肝に銘じているところですが、ただ単調に繰り返される日々を漫然と生きることに無常観を感じることも多い今日このごろ。同時に、発散できていないエネルギーが蓄積し、オーバーフロー状態であることを感じていました。世の中にはそのエネルギーを、起業する、親の後を継ぐ、陶器を焼き始める(笑)などいろんな選択肢に向けている方もいると思います(エネルギーを安易な脱サラ、または不倫に向けると人生計画は破綻しますが)。幸運にも脱サラするほどの計画性・資金力もなく、さらに不倫するほどモテない悲しいおっさん8郎ではありますが、心の水面下で30数年来、消えることなく静かに燃え続けてきた火が、ここ数年で一気に強まったので、一つの決断を下しました。

 それは・・・。

 

 そうだ、金田一耕助のふるさと、岡山行こう! 

 

です(笑)。なんちゅうマニアな夢だばぁ~。

 上写真は、岡山県倉敷市真備町(まび・ちょう)にある「真備ふるさと歴史館」の入口に立つ、名探偵・金田一耕助の銅像です。真備町は、金田一耕助の生みの親、故・横溝正史が戦時中に疎開していた場所で、同館内には横溝氏の特設コーナーもあります(ファンにとっては横溝正史記念館でしかありません!)。

 ということで、2泊3日(実質1泊2日)、8郎の少年時代のヒーローである金田一耕助と作者の横溝正史の足跡を追った岡山一人旅を敢行してきました。寂しい一人旅ではありましたが、無常観に包まれる40代後半おっさんの心を、まるで『八つ墓村』の冒頭シーンにある杉の木に落ちた落雷のように、ビビビ⚡と充電してくれた旅となったので、横溝氏の晩年の超大作『病院坂の首隘りの家』にならい、前後編の2回に分けてご報告いたします!

 

(補記)ちなみに岡山県は、降水量が1㍉未満の日が日本一多いことから、「晴れの国」をキャッチコピーに観光地をPRをしているそう。確かにずっと青空でした!

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

 

 とはいえ、横溝正史が傑作を書き上げた地、ということ以外、ほとんど岡山県のことを知らない8郎(もちろん桃太郎くらいは知っていましたが・・・)。とりあえずネットで出身有名人を検索すると、アーティストではB’Zの稲葉浩司、甲本ヒロト(超大物が二人も)。スポーツ選手では燃える男こと星野仙一、今を時めく女子プロゴルファー渋野日向子選手。タレントではブルゾンちえみ、千鳥などBクラス(謝)。政治家で言うと、犬養毅、菅直人という総理大臣を生んでいるようです。ちなみに横溝正史は岡山県出身ではありません。前述のとおり、戦時中に疎開していただけです(父親の出身地らしいです)。終戦後にこの地で執筆活動を本格的に再開し、岡山の文化、風俗、景色、人情を取り入れながら、『八つ墓村』などの傑作を立て続けに世に送り出したことから、熱烈なファンからは“聖地”とされているわけです。間違いなく金田一耕助生誕の地であります。

 しかし、8郎的には、結婚15周年アルプスの旅で散財した直後です。「金田一のふるさとを見てみたい」というだけの理由では岡山行きを決断できません。決断した大きな理由は、もちろんほかにあるのです。それは、今年で11回目を迎える「1000人の金田一耕助 コスプレイベント」なる催しものが真備町で行われることを知ったからです!(実際に1000人集まるわけではありません。イベントの詳細については後ほど)。10月にネットでそれを知ってから、46歳、1カ月迷いに迷いました。妻に相談したところ、快く決裁してくれたのです! ぎりぎりホテルパックが取れました。本当は節目の昨年に行きたかったのですが、去年知ったときにはイベントは終わっていたのです。今行かなければ来年以降もタイミングを逃すかもしれない、今行くしかない!

 ついでに言うと、傑作『八つ墓村』が世に出てから今年で70周年(8郎調べ)。世間様は一言も触れてくれませんが、横溝ファンにとっては大きな節目であります。聖地を目指すためには何でもこじつけるのがファンというもの。

 

 新規購入した一人用トランクに準備。先のアルプスの旅には帯同させなかった愛機一眼レフ、NIKON D300もしのばせました。購入から11年を迎えた老体なので、今のうちにいい景色を見せておきたい、撮らせてあげたい、という親心からです。2年ほど前にNIKONに問い合わせたところ、もう部品を生産しておらず修理できないとのこと。それはつまり、今度故障したら即引退ということを意味しています。さらに、文庫本の『八つ墓村』も忘れないように入れます。この日のために買ったのですから!

 タイミングよく、NHKのBSプレミアムドラマ『八つ墓村』が再放送されていたので録画していました(これもきっと八つ墓明神のお導きじゃ、と勝手に妄想する46歳)。自宅を出る前に流し見しましたが、残念ながら完成度はイマイチでしたね。流し見のせいかもしれませんが。前回の記事の通り、この傑作の映像化には限界がありますよ。横溝氏の執念が文字となった原作を読みましょう!

  岡山行きは一日一便。夜の便で向かいます。多少の空席ありで、8郎の隣も空席。おかげさまでゆったりできました。

 この旅のために百均で購入した老眼鏡(2.0)をかけ、コーヒーを飲みながら『八つ墓村』を堪能します。おかげさまで2時間弱、どっぷりと横溝ワールドに浸ることができました。傑作は何度読んでも面白いですね。それにしても読書にブラックコーヒーの合うこと、合うこと。「金田一が生まれた町に行ってみたい」という40代後半夫のまるで中2病のような希望に、快く決裁してくれた妻に、地上3千㍍の上空から感謝しきりです。 

 岡山の夜景が見えてきました。

 岡山桃太郎空港に初上陸。那覇空港に比べるとこぶりでした。

 歴史ある風景を残す岡山県は映画のロケ地にも多く利用されているようです。

 バスで30分かけて夜の岡山駅に到着。岡山の代名詞ともいえる桃太郎が迎えてくれました。しかし、8郎にとって岡山県イコール金田一耕助なのです! 沖縄イコール安室奈美恵だっていう岡山県民だって、きっといるでしょうから、許しくてください。

 駅から歩いて5分、2泊お世話になる「後楽ホテル」に到着です(写真は翌朝撮影)。スタッフさんの対応がとてもよくて、清潔感のあるホテルでした。ここにしてよかった。

 エレベーターホールには、日本六古窯に数えられる「備前焼」も陳列。

 とても静かな廊下。ロビーに客はそれなりにいたのに、2日間、誰ともすれ違いませんでした。

 部屋もとてもきれい。散らかしたのはおっさん8郎です。

 時計はすでに21時半。あとは遅めの夕飯を食い、ビールを飲んで、明日に備えて寝るだけです。ホテルを出て、事前に予約していた、歩いて5分のおでん屋「くじら」へ入りました。

  思っていたより、上品な店内(失礼)。リニューアルして半年だとか。店員さんに常連客と離れたカウンターの端っこに案内されます。こう見えても一人飲みのカウンターで友達をつくるのが得意な8郎、離れ席はちょっと残念でしたが、仕方なく(笑)、大将とバイトの男子大学生に話しかけます。まずはモルツで乾杯。今回は搭乗前の一杯がなかったので、余計うまい! でもピントは合っていない(笑)

 和歌山出身という大将はケツメイシのリーダー大蔵(だいぞう)似の気さくな方でした。しかも、8月に沖縄を観光したのだそう。調理、接客で忙しいにも関わらず、沖縄で撮影した写真をスマホで見せてくれるなど、8郎の相手をしてくれました。

 おすすめの創作おでんをまず注文。ボルチーノソースに浸された大根。最高です! これは食べる価値あり。ソースも完飲間違いなしです。

 牛すじと一緒に煮込んだものグレードアップしたやつも注文。値段は倍以上しましたが、やはりうまい! 最初からこれにすればよかった(笑)

 岡山は日本酒に使われる米の大生産地とのこと。せっかくなので地酒も飲んでみることに。大阪出身というバイトの男子大学生が勧めてくれた「十八盛」(じゅうはちざかり)をいただきます。甘さマイナス6と書かれていた通り、甘い甘い。それにしてもこの店のスタッフに岡山県民いないのですか!?(笑) 別にいいけど。

 ところで、日本酒はおいしいのは間違いないのですが、水割りや炭酸に慣れたウチナンチュの飲み方ではきついっすね。この一杯だけで翌日の二日酔いがきつかったです。

 と、ここで若い女性客👩が一人で入ってきました。8郎との会話よりまな板に集中したい大将が「ちょうどいい」と思ったのか、女性を8郎の隣席に案内します。臨席は肩が触れ合うくらい近かったので、8郎は「まさかや」と思ったのですが、心配ご無用。女性客はこわもて8郎をチラ見したあと、1席空けて着席しました(爆。女性はそれくらい警戒心が強いほうがいいっす)。しかし、この女性、Iさんとしておきますが、なんとウチナンチュだったのです! 8郎と大将の、沖縄の有名おでん屋「東大」に関する話が聞こえたらしく、8郎に「もしかして沖縄の方ですか」と声をかけてきたのです。

 それからはIさんも加わり、楽しく飲みました。Iさんは、年は8郎より20近く下(もはや娘世代ですね)でしたが、何と、沖縄での互いのオフィスがかなり近いことが判明。日々利用するコンビニまで同じことが分かりました。何という偶然でしょう! 横溝ワールドでも“偶然”は頻繁に起こりますが(笑)、別行動のウチナンチュ2人が岡山のおでん屋でたまたま隣に座る、ってどれほどの確率でしょうか? 

 Iさんは一人旅ではなく、出張中の旦那さんと山陰地方で合流するために、一人先んじて県外に出たのだとか。京都行きの便が満席だったので、仕方なく岡山(悲)を経由地に選択、明日朝すぐに鳥取に移動するのだそう。寒かったので、おでん屋に入ったのだと(ウチナ―女性の行動力!)。今日岡山入りしたということは、もちろん飛行機もバスも8郎と一緒だったということです。お互い「全然気が付かなったねぇ」と盛り上がりました。

 Iさんは金田一耕助なるキャラクターのことをほとんど知りませんでした(20代だから当然か)。それより悲しかったのは、大将が翌日の金田一イベントを全く知らなかったことです!「え? キンダイチのイベントが? 明日、真備で? よう知らんですわ」(by大将)。地元は盛り上がっていないのか!?

 閉店時間の12時を前に退店。大将にお礼を言い、Iさんとも沖縄での再会(@日々利用するコンビニ)を約束し別れました。それにしてもこんな偶然ってあるんですね。

 と、初日はこんな感じで終了。いい店と素晴らしい出会いのお陰で、寂しい一人旅の夜を楽しく過ごせましたね。

 

 ・  ・  ・  ・  ・

 

 さて、メーンとなる2日目は早起きして、午前7時すぎに出発です。「1000人の金田一耕助」は午後なので、午前中はせっかくだからと、岡山一の観光スポット、倉敷美観地区に寄り道するためです。そうです、倉敷はあくまで脇役で、真備が主役です。こんなの金田一ファンだけでしょうね。

 後楽ホテルは朝食バイキングの品が豊富でよかったです。ところで、気軽な一人旅とは言え、食事の時はさすがにさみしいですね。妻にLINEしたところ、10郎の野球チームの試合は雨で中止になったそうです。

 この旅を前に、個人的に誓ったことがあります。それは旅を終えた時点で82キロを超えないこと(笑)です。いつもの旅なら、恒例の「もったいないお化け」が登場し、必要以上にたくさん食べてしまう8郎。何度後悔したか分かりません。今回はその誓いを守るために、バイキングを抑えめにし、お代わりもしませんでした。下写真のセレクト、どうです?(笑) 

 しかし、なぜ、あれだけ種類がそろったサラダ系を取らぬ!

 さて、外に出ると、口から白い息が。気温は10度を下回っていたようです。街路樹もシーズンでした。とてもきれいな街並みでした。

 文化の日かつ土曜日ということで、ラッシュアワーもなく。地下通路もとても静か。10郎がいたら絶対にダッシュしていたでしょう。

  倉敷駅に到着。何だか横浜に来たかのようなおしゃれな街でした。

 西洋風の時計台。 

 駅から歩いて10分ほどで、「倉敷美観地区」に到着。倉敷市の町並保存地区・観光地区です。8郎の記憶は定かではないのですが、これまた岡山県が舞台の『悪霊島』で金田一耕助が駆け足で観光する描写があるようですね。横溝氏の岡山愛は無尽です。

 白と黒のコントラストが美しい倉敷名物「なまこ壁」。白い部分が漆喰で黒は何と瓦だそうです。なぜ、こんなつくりなのかは、8郎のネット取材だけでは分かりませんでした(謝)。

 朝日の入る角度によっては、このようなコントラストの世界も。

 消防班の施設を発見。10月末に焼失してしまった首里城にはこういう設備がなかったのかなぁ。

 なんだか親しみのある名前がついたギャラリーも。

 美観地区の中央を這う水流。倉敷川だそうですが、流れがなく、まるで池のように静か。“晴れの国”らしく雲ひとつない青空だったこともあって水面は鏡のようでした。

  逆光での撮影はなぜかD300よりスマホの方がいい写りです(驚)。でも、心配するな、わがD300よ。スマホには写真みたいな“絵”は撮れても、君が撮る、真を写した“写真”は撮れない!(今年の流行語大賞にご推薦願います)。

  明治時代に建てられた倉敷紡績所の本社工場を再開発し、複合文化施設として再生したのが下写真の「アイビースクエア」。アイビーとはツタの意味らしいです。ツタがからまる赤いレンガが目をひく敷地内には、陶芸が体験できる工房やホテルなどがあるようです。

 入ってみると異国情緒あふれる赤レンガの光景が。

 ここで後述のお土産を買って、また倉敷川周辺に戻ります。

 沖縄では見られない越しの風景をパチリ。

  古きよき街並みの上には、墓が乱立! まるで八つ墓村です(笑)。さぁ、金田一ネタ、3連発です。

 三本の木が。これはまさに『犬神家の一族』の美魔女3姉妹こと、松子、竹子、梅子をイメージ?

 豪邸の前を人力車が走る。これはまさに『病院坂の首隘りの家』のラストシーン!?

 しつこい金田一ネタは後編に譲るとして(笑)。美しい秋の倉敷をご紹介します。 

 紅葉に彩られた倉敷川はそれだけで美しいのですが、舟が加わると、旅情度が格段にアップしますね。

 野鳥も絵になる。

 人からもらえる餌を待っているのか、ずっと8郎の前をうろつく小鳥。

 ちょっと歩きつかれたので、なぜか陶芸店で売っている謎のコンセプト飲料「抹茶ビール」(600円)を買い、川辺のベンチで一服しました。お味は文字通りそのままの組み合わせ(合わねぇ~)。日差しも気温も本当に心地よかったです。妻を連れてきてあげたかったと心底思いました。

 途中でこんな看板を発見。昨年国会を揺るがした、あの学園!? 

 ところで、このほど安倍政権は憲政史上最長記録を更新したそうです。あの問題も国家権力によってもみ消されましたね。長期政権にいいところなど一つもありません。国民で監視しなければなりませんが、無関心層が爆発的に増えていますね。これも長期政権のなす罪です。

(注)8郎の愚痴はこの立派な美術館とは一切関係ない、はず!

 ところで、倉敷市は日本で初めてジーンズをつくったところでも有名だそうです。この美観地区にも「倉敷デニムストリート」なるものがあり、デニム一色。こんな食べ物まで!

 8郎も1つ買って食べましたが、お味はただの豚まんです! 通りすがりのカップルの男性が女性に向けてはなった一言が耳に入りました。「は食べ物に使っちゃいけない色だよ」。全く同感です(笑) でも今はSNS映えという楽しみもあるし、ここは観光地だからいいのではないでしょうか。ただ、どうせなら生地表面をデニム風に粗くするとか、もうひと工夫ほしかったですね。注文の多い46歳のおっさんです。

 ちなみに8郎は、前述の通り、先ほどのアイビースクエアで「おにぎりポーチ」(1540円)を購入していました。デニム生地がかわいいですね。妻にプレゼントすると喜んでくれました。10郎の野球の応援の際に使ってほしいと思います。

 岡山出身の燃える男、星野仙一! その記念館がなぜかデニムストリート内にあります。

 8郎は特に星野氏のファンではないのですが、せっかくなので入館。

 母子家庭で生活が厳しいながらも、母が買ってくれたというグローブが陳列されていました(もちろん半世紀以上前のものなのでボロボロでしたが)。星野氏は、どんなに苦しい練習でも母の気持ちを思い出し、乗り越えたのでしょうね。グローブが現存することがその証拠ですよね。そのグローブを見ただけでも、入館料500円を払った価値がありました。ちなみに館内の写真はありません。一人で受け付けしていた、きれいなお姉さんに「撮影は可能ですが、SNS等での拡散はお控えください」と言われたので、おっさん、守っています!

 倉敷美観地区、予想以上にすばらしく、心地よい時間が過ごせました。駆け足だった金田一耕助とは違い(笑)、ゆったりとした時間を過ごせました。ありがとう。

 歩いて倉敷駅へ戻る途中、こんな看板が目に飛び込んできました。「波照間」。こんな街並みで沖縄に出会うとは。しかも日本最西端の有人島!

 裏に回るとこんな感じ。ネットで検索すると、沖縄料理と沖縄民謡が売りの居酒屋のようです。さすがに行きませんでしたが(笑)。もし、オーナーさんがウチナンチュなら、ぜひ頑張っていただきたいものです!

 気持ちよいウォーキングのあと、倉敷駅に到着。ドトールで軽めのランチ(82㌔だけは超えないぞ!)。ドトールに入ると、いつも思い出すことがあります。8郎の姉妹が高校時代に生計を助けるためにドトールでバイトをしていたことです。一人旅はいろんなことを思い出させてくれます。

 いよいよ、金田一イベントへ向かいます。目的駅は清音駅(きよねえき)。この駅自体が、横溝ファンにとって一つの聖地なのです。なぜなら、金田一耕助のデビュー作である『本陣殺人事件』で、金田一が初登場する駅がこの清音駅だからです。横溝は実際にある駅を金田一の記念すべきデビューの場に選んだのですよ。

 電車が来た、いざ、 清音駅へ。金田一耕助のふるさとへ!

 清音駅から始まる「1000人の金田一耕助 コスプレイベント」の模様は後編でお伝えします。

 表題通り、8郎の幼いころのヒーローである金田一耕助の記憶とともに、歩きまくった聖地巡礼となりました! 


祝15年 アルプスの旅(最終日)

2019年10月22日 | 県外 8 Scene

  結婚15周年記念旅行の最終日5日目です。早朝5時、目が覚めると、すでに妻が起きており、暗がりの中でスマホを見ていました(背中からものすごい執念が漂っていました)。8郎が起きたのに気づくと妻は「長野駅までの臨時バスが出ている!」というではありませんか。さらに長野駅から東京までの新幹線も減便ながら出るとのことで、新幹線はネット予約できたそうです。よくやった! とはいえ、臨時バスはおそらく早く並んだもの勝ち。早く行かなきゃ。

 どちらにしろ、東京に戻れる手段が見つかったのです! ほっとしました。神様、ありがとう!

 臨時バスは9時発。どれだけの人が並ぶか想定できないので、とりあえず早めに行くことにしました。10郎を起こし、朝食も取らずにホテルを出ました。どちらにしろスーパーホテルの朝食はコンビニに劣りますので。。。

 先日も利用したバスターミナルで臨時バスのチケットを購入。指定されたホームに行くと、すでに女性が一人並んでいました。2時間以上も前ですからすごい。彼女もどうしても帰らなければならない事情があったはずです。

 その後、徐々に並ぶ人が増えてきます。半分は外国人でした。彼らの情報収集力に驚かされます。スマホの翻訳機能を活用したのか、それとも外国語が得意な駅スタッフがいるのか。8郎は外国でここまで動ける自信は全くありません(笑)。

 どちらにしろ、ここで、ほっと一息。ネット予約の新幹線に無事乗れるかはまだ分かりませんが、長野駅まで行けることがはっきりしたからです。コンビニのチーズバーガーを食べる10郎。 このあと駅のスタッフが来て、臨時バスは2台あるので並んでいる人全員が乗れるとアナウンスしてくれました。さらに、ほっ。

 予定の午前9時よりちょっと早めにバスが到着。満席になったので出発しました。窓越しに昨日宿泊したホテルが見えました。さようなら~。

  台風災害の現状を目の当たりにしました。

 沖縄で見られない堤防。この地域は決壊しなかったようですね。

 長野I.C.です。高速も利用できました。バックには壮大なアルプスの山々が。これで見納めですね。

  40分ほどで長野駅に到着。長野市も被害を受けたようですが、駅周辺を見る限り、全くそんな感じは受けなかったですね。スタバにも普通に客がいるし、日常的な光景でした。

 しかしチケット売り場には長蛇の列。ダイヤの混乱が明らかです。みなさんも昨日は大変な夜を過ごされたことでしょう。ネット予約の8郎家は並ばずにホームへ向かいます。 

 乗れました! おそらく家族そろってでは初の新幹線。

 体中の力が抜けたような気分です。これで東京に帰れる! そして飛行機に乗れる!! つまりは今日で沖縄に帰れる!!! ということです。

 10郎はコロコロタイム(もうほとんど暗記していそう)。妻はまだスマホで情報収集にいそしみます。キャンセルしようとしていた東京スカイツリーの入場券(時間制限あり)に、間に合いそうだったからです。ここまで来たからには行ってみよう、となりました。

 東京駅でタクシーに乗り換え、東京で唯一の目的地へと向かいます。

 ついに念願の東京スカイツリーです! 愛息10郎、この旅一番の笑顔。やったね。

 制限時間をオーバーしていたのですが、何とか入場できました。電波塔としては堂々、世界1位634㍍建築物としてはブルジュ・ハリファ(828㍍)に次ぐ世界2位だとか。向こうはオイルマネー垂れ流しだから、世界2位でも十分にすごい! 日本人の生産力、技術力の結晶です。まさに「2番じゃだめなんですか?」です。

 ウチナンチュならみな知っています。沖縄一高い山である石垣島の於茂登岳(525.5㍍)より高いということを! 

 ドキドキの初入場。

  まずは高さ340㍍付近の第一展望フロア。3連休の最後だけに人がいっぱい。

 大都会東京。那覇新都心が2000個くらいありそう。

 東京の街並みを詳しく紹介するモニターで遊びます。

 記念撮影です。

 さらに高速エレベータに乗って、高さ450㍍と一般人が行ける一番高い第二展望台へ。その様子は動画でも。

 

 またしても「晴れた日にはここまで見えるんです」的なプレートが。今日は見えませんよ。

 おい、10郎、怖くないのか?(高所恐怖症の父)

  

 立派なカメラ小僧がいました。

 恐怖の「ガラス床」です。10郎は父に似ず高いところも平気なようです。

 恐怖症の8郎、ツリーにいる間、ずっとおしりがムズムズしていました。とはいえ松本城同様、日本人の建築技術の高さに心底感動したものです。

 あまり時間もないので降ります。下りのエレベーターのデコレーションのテーマは夏の花火だそうです。10郎がパチリ。

 空港までのシャトルバスに間に合いました。ラッキー! でもここまで手配、調べてくれたのはすべて妻です。非常に助かりました。

  羽田空港には40分程度で到着。つ、ついに空港にたどり着きました。これで本当に沖縄に帰れる~。 

 この旅行で初めてというくらい、気持ちが安定し、時間や台風被害に脅かされない中で食事ができます。空いていた蕎麦屋に入ります。余裕ぶっこいた8郎はブログ映えを狙い、「ブラックカレー蕎麦」(¥1,200程度)を注文。確かに“映え”ますが、このコラボははっきり言って失敗です。うどんのほうが絶対にいいっす(泣)。

 しっかりとした肉が入っていましたが、ホルモン系も混ざっています。好みは分かれますね。

 さあ、ゆったりと腹を満たしたところで、搭乗口に向かいます。もう急ぐことなんてありませんので。トランクはすでに手荷物として預けていたのですが、リュック2つも預けようと、自動預かり機なるものに初めて挑戦。

 

 しかし、うまくいきません。近くにいたおきれいな女性スタッフさんに聞くと、「バーコードの位置が悪いですね」ということで、やり直しをさせられる始末。しかし、いくらやり直しても機械が反応しないのです。おきれいな女性スタッフもどこかに消えていました。 

 5分くらいかかったところで、今度は違う女性スタッフに聞いたところ、そのスタッフが、いろいろなことがあったこの旅において、最も衝撃の一言を放ったのです!

 

 「あ~。機械が反応しないのは、お客様の搭乗時間がもう過ぎているからです」

 

 「はー!」。その時、確かに妻はそう叫びました。結婚15年間で初めて聞いた声でした。そして荷物をもって搭乗ゲートに向かってダッシュするではありませんか! それは、いつも盗塁のスタートが遅いと監督に叱られる10郎に見習ってほしいほどの点火ぶりです。あわてて追いかける8郎と10郎父子。走りながら腕時計を見ると19時半を過ぎています。出発時刻は19時40分。操作に手間取っている間に門限を過ぎていたのです。やばい! これまで幾多の時間の壁を乗り越えてきたのに、最後の搭乗口で、しかも手続きミスで引っかかるなんて、ありえない! 神様、こんなオチだけは勘弁してください。

 妻はもちろん一人先頭のまま搭乗ゲートに滑り込みます。これが正社員の危機管理能力でしょうか。係官に止められますが、搭乗券を見せ、ちょっとした押し問答の末、なんとかパス。遅れてやってきた父子が同じように見せると、係官は何と「次の便を考えましょう」というではありませんか。まさかや~。家族あらに! 一瞬、目が合った妻は何だか一人だけ乗る気満々。8郎は、これまでハリウッド系パニック映画でしか聞いたことのないセリフがのど元まで出かかりました。

 「あんた、自分だけ助かるつもりじゃねえだろうな!?」(笑)。

 係官とちょっとしたすったもんだの末、奥の若い青年スタッフがさりげなくゲートを開け、父子ともに通してくれました。ほっ。なんとか3人とも搭乗することができたのです。ほかの客の冷たい視線を気にする余裕はありませんでした。

 

 ふ~。あぶねえ!!! まさか、最後の最後に一番焦るなんて。。。神様のいたずらにしてはひどい!

 

 3時間近くかけて、那覇空港に到着。沖縄の地がこれだけ恋しいと思ったことはありません(そりゃ、そうだろう)。疲れ切った3人は帰路のタクシーの中でもほとんど口を聞きませんでした。本当に本当に疲れたんです!

 

 以上、8郎夫妻、結婚15周年記念アルプスの旅のてんまつでした。長々とした記事にお付き合いいただきありがとうございました。

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 振り返ると多くの方に祝ってもらった結婚式から、あっという間の15年でした。8郎夫妻も決して順風満帆ではなく数えきれないほどけんかもしました。妻は流産という悲しい経験もしました。しかし、愛息10郎が妻の誕生日に生まれてくるというスーパースターぶりで登場。結婚生活の主役に躍り出ました。そして今回、いろいろなことがあった15年間を総括、そして妻への感謝を形にする旅をまっとうすることができたのは、支えてくれたみなさんのお陰です。台風19号に見舞われるなど不運もありましたが、美しいアルプスの山々、高原の涼しい風、そして何より家族3人で力を合わせ、幾多のピンチを乗り越えた5日間のこの旅を、8郎家は一生忘れないでしょう。
 
 アルプスの山、川、森、そして風は最高でした! by沖縄生まれ沖縄育ちの一家

 
 
【追記】5年後の祝20周年ワイハ旅行は巨大ハリケーンとぶつからないよう、今からネットで情報収集いたします(笑)。

祝15年 アルプスの旅(4日目)

2019年10月21日 | 県外 8 Scene

 結婚15周年記念旅行の4日目です。朝、起きてニュースを見ると、台風19号による水害が大変なことになっていました。長野県内を流れる千曲川が決壊し、多くの水、土砂が住宅街を襲っていたのです。8郎らがいる浅間温泉はほとんど被害がありませんでしたが、長野市などは多くの被害を受けていました。被災された方々の無事を祈るばかりです。

 さらに、8郎家にも大きな影響が。この日の午前中で乗って東京まで戻るはずだった特急「あずさ」が終日運休となったのです。午後に帰京するという手段も消えました。ほかの手段を探したのですが、長野県内の陸路がほぼ壊滅状態ということで難しそうです。

 そう二人悩んでいるときに、部屋の電話が鳴ったのでびっくりしました。フロントから朝食の案内でした。飯を食うのも忘れるくらい、8郎夫妻、テンパっていたのですよ。スタッフの皆さんのプロ意識に感謝します。

 昨夜、暗さのあまり怖くて近づけなかった階段が、3階の食堂へ通じる道でした。金田一ワールド、意識しすぎ(笑)。

 お姉さん二人が準備してくれていました。山菜中心の健康メニューです。

 食堂はもちろん貸し切り。おいしゅうございました。

  さあ、今日はどう動くか、決めなければなりません。スマホで情報収集する妻。どうやら上高地へのアクセス規制は解除されたようです。ひまな10郎は寝ころんでコロコロタイム。

 ニュースでは悲惨な水害の状況が報道され、見ているだけで心が塞ぎ込み、動く気になれません。しかし、今は、15周年記念旅行の最中であることも間違いありません。畳間でごろごろしている時間がもったいないのです。天気も台風一過の快晴。今、できることは何か。。。窓越しの青空を見て8郎夫妻は決めました。

 

 「そうだ。もう一度、上高地に行こう!」です(笑)。

 

 上高地のシンボル、名山の奥穂高岳が一度も拝めなかったことは、いつまでも後悔しそうだからです。今日の天気なら拝めるはず。行くしかない! そう決めると、動くしかありません。チェックアウトをすませ、旅館を出ました。

 入口には大きな松明がありました。実は昨日とこの日、浅間温泉名物「たいまつ祭り」が予定されていたのですが、台風の影響で中止となっていたのです。これは奉納されるはずだった巨大たいまつなのです。台風さえなければ、祭りも見られたのに~。残念無念。

 ご参考までに ⇒ 浅間温泉『たいまつ祭り』

 さようなら「梅の湯」さん。歴史的な台風直撃の日に、大変お世話になりました。

 レンタカーで松本駅に向かいます。1泊延長したレンタカーですが、台風という特殊な事情ということで、延滞料はありませんでした。とてもありがたかったので、店名を紹介します。松本駅近くのタイムズレンタカーさんです! みなさん、機会あれば使ってあげてください(笑)

 リベンジの思いを込め、バスターミナルで上高地行きのチケットを購入します。ん? 昨日もバスでよかったあらに!? なんで8郎は難儀して運転したのかな?

 とは言え、バス停までは電車で移動です。車窓から見るアルプスの山々。台風とは無縁の美しい光景です。乗客は外国人観光客が4分の1くらいですかね。 

 川は土砂の色になっていました。

 やっとYOUTUBEを見ることができた10郎。昨日は8郎がネット情報収集で使いっぱなしだったからね。ネット料が心配です(汗)。

 新島々(しんしまじま)というターミナルでバスに乗り換え。いざ、2日連続の上高地へバスで出陣! 自分が運転していないと景色も楽しめます。

 10郎が父のスマホで何やらしていたので、後ほど確認すると、自撮りの顔をLINEで妻に送っていたのです。出た! ネズミ!

 アンデッド!

 一人後ろに座るお母さんを楽しませようとした息子の思いやりかな。

 途中で見る川はやはり土砂の色。本来は清流なのでしょうが。 

 途中でこのような山小屋バス停で一人待つ外国人がいました。ていうか、どうやってこのバス停まで来たのでしょうか。何十㌔も林道続きでしたが。結局このバスにも乗りませんでした。ん? 誰です? 8郎と間違えたのは?

  ひまつぶしに愛息の表情を写そうと思っても、隠してしまいます。もう疲れたのかな。

  ついには、このようにダースベーダーのようになってしまいました。でも、つぶらな瞳は隠せません!(笑)

 しまいには完全武装。

  さて、前回も書きましたが、山間部のトンネルは狭くて怖い! 地下鉄なみに壁とスレスレに走るさまを動画に収めているので、体感していただければと思います。

 1時間半近くかけて上高地に着きました! 1日ぶりです(笑)。昨日と違い観光客もたくさんいました。しかし、期待していた天気はそれほど快晴でなく、奥穂高岳など全く見えません。移り変わりの激しい山の天気に期待するしかありません。

 まずはランチ。河童橋近くのカフェです。

 8郎はトマトカレー(¥930)。旅行太りを押さえようと勇気をもってカツカレーを断念したのです。でも、ちょっと足りないな~。

 それを見越した妻が飛騨牛コロッケを半分くれました。

  さあ、出発です。昨日、雨でびしょぬれになった二人。おニューの靴で足取りも軽く。

 沖縄では体験できない高原散策のスタートです。昨日と違い心地よく歩けそうです。

 途中にNIKON製の望遠鏡がありました。今回の旅にもNIKON製のマイ双眼鏡を持参したのですが、結局使わなかったかなぁ。文字通りお荷物になってしまった。

 晴れていたらこれだけの山並みが見えるんですよ、というプレート。雲をかぶって全く分かりません。まぁ、昨日のように雨に打たれないだけいいか。

 途中、昨日宿泊した「上高地ルミエスタホテル」を通過。1日越しに記念写真を撮ることができましたた。やったね。ところでアルプスにもネズミはいるのですね。

 上高地を世界に紹介した英国人宣教師で登山家のウォルター・ウェストンの功績を讚えて日本山岳会が立てた碑、だそうです。

 10郎撮影。

 アルプスの中心で愛を叫ぶ。「やっほー」。

 さぁ、上高地の美しい風景を、父8郎と愛息10郎の写真対決🔥でご紹介します! まずは46歳の父撮影。今回の旅には、台風を想定してスーパーエースのD300は帯同させませんでした。水に濡れても、1㍍の高さから落としても大丈夫の、タフネス2番手のSTYLUS TG-2が5日間フル回転しました!

 湿原を這うように作られたウッドデッキ。

 ススキ?

 川面に半身を沈める倒木に何とも風情がありました。

 いたるところに流れ出るアルプスの清流。

 白樺好きね~。「高原の白い貴公子」と呼ばれているそうです。木材としての評価は低いらしいっす。

 STYLUS TG-2でこそ撮れた半水面の景色。

 まさに高原~。沖縄にこんなところない。

 そして愛息10郎、9歳の渾身の一枚がこちらです! 奥穂高岳とは真逆の焼岳(やけだけ、2,455㍍)方向に焦点当て、逆光でとらえていました。子供ながらの逆転の発想です。親バカながら、美すぃ~。カップルをうまく(無許可で?)モデルに使っています。

 10郎撮影のおまけ。ナナメ感がいい味出していませんか。

 最後に妻撮影も。

 歩いていると、奥穂高岳方面から雲が移動しつつあるのが見えました。もしかしたら! 歩く足もスピードアップ。

 雲がいなくなるの期待して、妻セレクトのカフェでコーヒータイムで時間をつぶします。アップルパイが有名だとか。

 せっかくだからと外でいただきます。ちょっと寒かったけど。

 10郎はリンゴ味のソフトクリーム。長野県はリンゴ🍎の名産地でもあるそうです。 

 8郎はくるみケーキでした。とてもおいしゅうございました。高原という環境が風味を倍増したようです。

  カフェを出て、妻子がお土産品店でお土産を探しているとき、8郎は気づきました。奥穂高岳方面の雲がかなり薄まり、青空が出てきているのです! 慌てて妻に電話しました。走ってきた妻が父子の写真を撮ってくれました。

 母子のも一枚!

 2枚とも10郎の変顔に目が行ってしまったという方、申し訳ございません(笑)

 最後は通行人にお願いしてスリーショット。

 帰り際には青空MAXになりました。上高地の神様から最後で最高のプレゼントです。妻も喜んでいました。もう一度来てよかった! 山の神が15周年を祝ってくれたに違いありません。

 バスターミナルからも美しき連山の姿が。

 ありがとう、上高地。ありがとう、アルプスの神々。

 ついに今回の旅の最大目的を果たすことができました。妻にご希望の景色を見せてあげることができました。満足して帰路に就きます。

 バスの中でぐったりする10郎。そりゃあ、つかれたことでしょう。寝たふりではありませんでした。

(おまけ) 上高地を出る前に、大正池に写る「逆さ穂高」を撮ることができました。窓越しなので画像が粗いですが、ご容赦下さい。

 バスターミナルに着くころにはもう真っ暗。これでも17時半くらいです。

 ここからまた電車。

 やっと松本駅に到着。怪しげな満月が光っていました。松本市内はほとんど被害がなかったようです。

 しかし、これから正念場です。最終日である明日の行動計画を立てなければならないのです。駅校内のチケット売り場で情報を収集していた妻が青ざめた表情で走ってきました。

 「特急あずさが明日も全面運休だって」

 大変なことになりました。つまり当初の計画がとん挫したのです! 最終日に東京に戻れなくなってしまったのです。

 あわてた8郎一家は、急ぎ構内の食堂「花のれん」に入り、緊急鼎談を開くことにしました。

 下写真は8郎が注文した、松本市の名物だという「松本丼」です。なんでも卵とじに山芋(とろろ)を使っているのだとか。しかし、意外にもとろろの存在感は薄く、普通のカツ丼でしたね(笑)。ただ、明日のことが心配で心配で、ほとんど味を感じないまま完食。食事中ずっと片手にスマホだった妻もカツカレーの味をほとんど覚えてないそうです。【閑話休題】

 8郎夫妻は箸、スプーンを片手に、もう片方にスマホ。東京へ戻る代替案として、臨時バス、レンタカー、タクシーを検索。ネット、電話で調べまくります。しかし、ほとんどの道路が水害にあっているということで、陸路🚅は全滅。血の気が引く思いでした。こうなったら別途費用に10数万円かけても仕方ないと、空路🛫まで検討しました。しか~し、長野県から陸路で行けそうなセントラル空港、石川空港発の沖縄便がすべて満席なのです。「最後の最後」の手段として、松本空港から北海道の千歳に生き、千歳から沖縄に帰るという壮大なプラン(笑)も検討しましたが、千歳行きが満席でした。なんといっても3連休の最終日ですから。

 ダメのダメ元で航路🚢まで検索しましたが、なんと、2017年に本土と沖縄を結ぶ旅客フェリーは全廃されていたようです(もちろんLCCの影響です)。そもそもあったとしても一日でたどり着きませんが。

 8郎の心に、これまで歴史小説などでしか字面を見たことがないセリフがよぎりました。 

 「万策尽きたか・・・」

 レンタカー会社には断られ、タクシー会社との連絡もうまくいかず、まさにもうすることがなくなりました。時間なのでホテルに移動することにしました。帰り際、10郎が珍しく「自由帳を買いたい」とだだをこねるので、仕方なく本屋で購入。歩いて3分のスーパーホテルにチェックイン。地ビール「信州浪漫を自販機で購入。350円と高価な割に、あまりおいしくなかったですね(謝)。緊張のせいかもしれません。

 狭い部屋でスマホ片手にピリピリする8郎夫婦。8郎も、この状況で決して妻に言ってはいけない言葉「だからワイハがよかったあらに!」(笑)という言葉を何とか唾と一緒に飲み込みました。顔に出ていたかもしれませんが、なんとか飲み込んだのです。今回の旅は妻への感謝の思いを込めた中身にしたかったはず、と心に言い聞かせました。そして何より、このほど正社員になったばかりの妻だけに、妻の方が「旅行で延泊しました」とは口が裂けても言えない状況なのです(笑)。妻のほうが焦っていたことは間違いありません。

 そんな両親の不穏な空気を読んだのか、愛息10郎が突然「俺、漫画描くね」と言い出したのです。そして、先ほど買った自由帳をめくると、ホテルのボールペンを使って、コロコロコミックを参考に写実を始めたのです! 

 緊張度を高める両親を前に、自分の心を落ち着かせるためか、または、逆に両親を落ち着かせるためだったのでしょうか。8郎にはどちらにも見えました。1時間後立派に描き上げた息子をたくさん褒めてあげました。

 さらに10郎は、シャワーを浴びた後も、すっぽんぽんのまま、コロコロコミックを仁王立ちで読み始めます(おそらく10回目)。 その姿に父と母も爆笑。あまりの面白さにパチリ!

 「おい!勝手に撮んなよ~」by10郎。

 お尻を撮られて恥ずかしかったのか、それとも眠たかったのか、10郎はベッドの2階に逃げ込んでしまいました。

 と思ったら、久々に妖怪「のぞキッズ」の登場です! 早く寝巻着ろ~。

 こういう写真を撮れるのも今年が最後かなぁ(しかもネットに流出してるし)。10郎、和ませてくれてありがとう! 

 とは言え、社会人である父と母の不安とストレスはもちろん簡単には消えません。わずかな望みとしては、①仮予約していた翌日の「あずさ」の奇跡的な復旧(結局、壊滅的被害で数日運休でした)、②連絡つかずの相乗りタクシーに空席発生、③臨時バスの運行、に期待するしかない状況です。つまり運任せの状況なのです。

 それ以上、どうすればいいのか手段を探せないまま、力尽きた8郎夫妻も深夜1時過ぎに眠りに着きました。本当につかれましたね。まさに苦楽両方の面で、この旅の山場となった4日日でした。

 明日、東京に戻れなかったら、延泊するしかありません。会社・学校を休むことになり、最悪の結果となります。費用もどれだけ追加されることやら。一体、どうなる8郎家の旅!

 長々と書いてきた結婚15周年旅行記も次回で大団円を迎えますので、最後までお付き合いください。


祝15年 アルプスの旅(3日目)

2019年10月20日 | 県外 8 Scene

 結婚15周年記念旅行3日目の朝が来ました。台風19号がこの日の夕方に長野県を直撃するということで、時間を大切しなければならない一日でもあります。雨天ではありますが、この旅最大のイベントである上高地散策へ出かけることにしました。10郎は元気いっぱい!

 部屋の窓からの眺め。アルプスの山が雲で見えません(泣)。

 

 フロントで長靴を借ります。

 一夜明けた「ルミエスタ」の外観です。まさに高原ホテル。赤川次郎や東野圭吾のホテルミステリーの舞台にふさわしいたたずまいです。

 早速、河童橋に向けて出発。風は強くないのですが、小雨はずっと続いていました。この雨水の蓄積があの大水害につながったのでしょうね。

 まずは名流梓川の様子を動画で。

 白樺の幹にレインボーの模様があったのでパチリ。

 途中にはこんな注意喚起文書が。怖いっす! 特に家族だけの道中では危機感を感じました。この砂利道でムーンウオークなんてできません。

 「河童橋」に到着。沖縄にいるときからライブカメラでチェックしていた映像とは違う暗い雰囲気です。そして、人がいない! 早朝というのもありますが、観光地とは思えません。

 上高地のシンボル奥穂高岳など、雨雲に隠れて見えません。楽しみにしていた妻に少しでも見せたかったのですが残念無念!

 普段は観光客であふれるところですが、この日は貸し切り状態です。

 はるばる日本アルプスまで来て雨に打たれるウチナンチュ母子。

 雨の河童橋の様子は動画もアップしますね。

 天然水の水道がありました。

 ありがたくいただきます。冷たい!

 上高地バスターミナルまで足を延ばします。 

 歩いて戻るのも難儀ということで、ホテルまでのバスチケットを購入。歩くためにアルプスまで来たのに。。。まさにウチナンチュ一家! まぁ、災害対策でもありますが。

 やっぱり、バスはらくち~ん。

 バスで5分、徒歩で10分ほどかけて、ホテルに戻りました。高原ホテルの朝食ブッフェが待っていました。川魚や山菜を使った山の幸メニューを中心においしくいただきました。

 昨夜のディナーと同じレストランですが、外からの光が入るとずいぶん雰囲気が違います。

 ついにチェックアウトです。とてもいいホテルだったので、本来なら天気のいい日に満喫したかったのですが・・・。妻は「最低でも2回入る」と意気込んでいた露天風呂に、疲れのため、結局1回しか入れませんでした。「いつかまた来ることがあったら2泊しよう」と誓いあった田舎者夫婦です(笑)。じいちゃん、ばあちゃんになった8郎夫妻を、10郎夫妻と孫たちが連れて行ってくれるかな。そんな幸せが訪れたら、8郎翁はいつ死んでもいいんじゃが。

 ホテルから10分ほど歩いて、タクシー乗り場へ。タクシーで、昨日レンタカーを止めた沢渡駐車場へ向かいます。運転手さんによると、この日の夕方に台風が最接近するため、この道はあと数時間で通行止めになる可能性が高いと。早めに脱出しなければ、今日は上高地から出られないだろうということでした(結論からすると危機管理的には脱出して正解だったのですが、旅行的には残ってもよかったのでは? と妻と今でも振り返ります)。

 途中でサルに遭遇。

 画像は粗いですが親子もいました。撮影のためにタクシーの運ちゃんが停めてくれました。母猿の目には、たとえ台風が来ても、おぶった子供を守るんだという決意がにじみ出ていました🔥

 レンタカーを置いてある沢渡駐車場に戻ります。下写真はお土産を買いに立ち寄った「グレンパークさわんど」です。

 沢渡からレンタカーを走らせ、2時間かけて松本駅まで戻りました。台風の影響は特に感じませんでした。。。。アルプスの壁が風を防いでくれたのでしょう。

 予定変更のため、どこに行こうか迷った挙句、少ない候補地(失礼)の中から、国宝の松本城を選択しました。近くにある松本神社で手を清めます。それにしても城下町だけあって松本市はゴミ一つ見つけるのが困難なほどきれいな街並みでした。ウチナンチュも見習いたいものです。

 壮観の松本城がありました。リアルなお堀を初めて見ました。

  松本城公園は広かったですね。遠近法を使って松本城を10郎が持ち上げます。

 母子二人で記念写真。愛機コンデジのSTYLUS TG-2の望遠機能をめいいっぱい使って撮影。高さ30㍍のお城が一気に近くなりました。

 さあ、お堀を渡って、いざ城郭へ。8郎も日本本土のお城に入るのは初めてです。忍者になる10郎。

 入口で濡れた靴やカッパを脱ぎます。 

 もちろん木造。巨大建築物を何百年も支え続ける匠の技がそこにありました。

 教科書でしか見たことがないリアル「鉄砲狭間」。

 火縄銃もたくさん。おや?小さなスナイパーがこちらを狙っていますね。

 鎧甲冑もありました。兵士の怨霊を感じます。20㌔あるそうです。10郎を背負って戦うようなものです。

 徳川家康と武田勝頼の決戦である長篠の合戦が描かれた絵? 屏風?も展示。ちなみにこの長篠の合戦、8郎らが教科書で習った織田・徳川連合軍vs武田軍という構図、また鉄砲が騎馬隊を破った歴史的合戦などという位置づけは、今や史実ではないと指摘されているようですね。歴史とはなんぞや、という感にもかられます。だからこそロマンがあるのでしょうが。

 急傾斜の階段(もはやはしご)を登り切り、ついに5階の天守閣へ。天守閣のさらに上には何があるのか、ずっと興味があったのですが、ついに分かりました。神棚です。命を懸けた闘いで殿様が最後に信じたのは神だったのですね。士農工商の頂点に立つ殿様に残された最終手段、それは神頼みだったのです。

 天守閣から見る城下町。8郎も殿様になった気分です。でも、「天下獲ったどぉー」的な気分にはなれませんでした。生きることに必死だった殿様の心情も分かるような気がして。。。人はみな何かに怯えながら生きているのです。

 

 降りるのも一苦労。雨による湿気で滑り落ちたら大けがをしそうです。

 出口では、謎のお侍さんが記念写真に応じてくれました。やったね。

 城を出ると、近くにある蕎麦と天ぷらの店「やまとう」でランチ。松本城に合わせた白黒の色調ですね。なんでも、食を通じて130年もの間、地域貢献している一族が経営しているのだとか(笑)。店が130年というわけではないようです。

 ミニ天丼と蕎麦のセット(¥1,350)を注文。天ぷらといい、そばのコシといい、沖縄では食べたことのない上品さでした。本土の人が沖縄に来て「飯がまずい」というのは分かる気もします。

 グルメ小僧も貪り食います。コンビニのそばとは違うね~。

 デザートはそば茶をつかったプリンだそうです。おいしゅうございました。ごちそうさまでした~。

 この日の宿泊先である「梅の湯旅館」に向かいます。何でも同じ松本市の浅間温泉♨という地域にあるそう。浅間と聞いて、「浅間山荘事件」と関連があるのかと調べたところ、事件の方は同じ長野県ではありますが、軽井沢方面で起こったようです。一方の浅間温泉は1300年の歴史があるれっきとした名湯だそうです。(アーケードは翌日撮影)。

 「梅の湯」に到着。古き良き和風の建物。青空から分かりますように、これまた翌日撮影。

  チェックインすると、宿のオーナー一族らしき男性が「キャンセルが相次ぎお客様はほどんといません。よくお越しになられましたね」と出迎えてくれました。確かに建物内は薄暗く人の気配がしません。結果的に妻は2組しか客を見なかったそうです。

 朝からの雨で10郎の靴がびしょぬれなので、一足買うことに。市街地へ出るというと、旅館が粋な下駄を貸してくれました。

 決まってるぜ!

 外はずっと雨が降り続けています。次第に台風らしくなってきました。旅館に戻る15時ごろにはかなり薄暗くなっていました。

 というわけで、悪天候もあって、なんとなく暗い雰囲気が漂っている旅館「梅の湯」。8郎的には敬愛する横溝正史ワールドを思い起こさせました(笑)。まずは8郎らが宿泊した部屋ですが、いかにも金田一耕助が泊まりそうな部屋です。灰皿は金田一が吸ったタバコであふれていてもおかしくありません。

 

  不気味だったのが、階段の途中にあった二つの謎のソファ。なぜこんなところに2つも置く!?  「八つ墓村」の双子の老女である小竹小梅が座っていそうではありませんか! さらに中央の小窓は、懐中電灯を頭に巻き日本刀を持った“32人殺し”こと田治見要蔵がのぞいてもおかしくありません。あまりに不気味だったので妻子には教えませんでした。

 階段はまるで「犬神家の一族」映画版で金田一耕助が駆け下りてくる那須ホテル(同じく長野県)のそれではありませんか。

 そして人っ子一人いない廊下。同じく「犬神家の一族」に登場する白いゴムマスクで有名なスケキヨが走ってきそうではありませんか!  

 などと考えていると、8郎の背中越しに、誰か近づく音が! 振り返ると…。

 金田一耕助でも明智小五郎でもなく、家と同じスウェットの10郎でした!

  冗談はともかく、部屋のふすま上部にあるこの謎の出っ張りにはリアルに困りました。175㌢くらいのところに設置されているので、身長約180㌢の8郎、5回もおでこをぶつけてしまったのです。何のためにあるんじゃ! まさか密室トリックの傑作「本陣殺人事件」のように、部屋から日本刀を抜き取る琴の糸でふすまを傷つけない役割を果たしているのか。。。思わずトリックをばらしてしまったおっさんを許してください。

 しつこいので横溝ネタはこれくらいにしておきます~。

(注)旅館について不気味だ何だと書いてきましたが、当旅館「梅の湯」さんは横綱白鳳も宿泊したことのある由緒正しき民宿です! ちなみに「悪魔の手毬歌」の舞台となる旅館は一文字違いの「亀の湯」です(まだ言う~。笑)。

 もともと外食するつもりで、宿に夕食はつけていませんでした。台風接近により、ほとんどの飲食店が閉店。仕方なく、8郎一人で車を出し、地元のスーパー「デリシア」で、総菜、カップラーメン等を買い出ししてきました。初日の自販機コーナー同様、なんとも冴えない夕飯となったのです。夫婦とも情報収集のためにテレビ、スマホとにらめっこ。することのない10郎はコロコロコミックで時間をしのぎます。 

 テレビやネットからは、長野県内で水害が発生しはじめたニュースが徐々に増えてきました。フロントでパソコンとにらめっこするオーナーらしき男性に台風の被害可能性や、旅館の自家発電などについて聞いても、「自家発電はさすがにないですが、うちは大丈夫だと思いますよ」とあいまいな返事。確かに風はそう強くなかったのですが、停電と水害が心配でした。

 明日の午前の特急「あずさ」で東京にもどらなければならないのですが、水害で長野県内の交通網がマヒする可能性が高まってきたのです。もし、そのような状態が続いたら、沖縄に戻ることができず、会社と学校を休まなければならないのです。それだけは絶対に避けたいと思いました。妻が一生懸命、代替案をネットで探しますが、台風直撃で情報源もマヒしている様子。

 そして、明日以降のリスケにも頭を悩ませます。この夜は台風ですが、明日はまさに台風一過、旅行日和の晴天という予報なのです。しかし、長野県内の被害状況がどうなっているかは神しか知らずで、どう動いていいか判断できません。薄暗い部屋の中で、8郎夫妻、悩みに悩みました。8郎は「デリシア」で買ってきた信州の銘酒「真澄」のカップ酒も一口飲んだだけで、あとはのどを通りませんでした。

 こうやって、計画上は最大の山場だったはずの3日目は、総菜の油ぎったかほり漂う部屋での川の字就寝と相成りました(涙)。楽しいはずの旅行で、不安にさらされる時間を過ごします。しかし、8郎家は幸せでした。そのころ、8郎家がひきこもる浅間温泉から数10㌔離れた長野市では千曲川が決壊し、大変なことになっていたのです。


祝15年 アルプスの旅(2日目)

2019年10月19日 | 県外 8 Scene

 結婚15周年記念旅行2日目の朝が来ました。早速、お天気ニュースをチェック。8郎家がこれから向かう長野県に台風19号が直撃する可能性がほぼ100%となっています。不安に襲われる8郎家です。しかし、ここまで来たからには行くしかない!

 時間を惜しんでホテルの朝食すら取らずに、チェックアウト。正面玄関を出ると、目の前には、天空を突くようにそびえたつ東京都庁。都政を預かる小池都知事の耳に、このときまでは「東京五輪のマラソンは北海道でやる」というIOCの強行決断は耳に届いていなかったはずです。

 眠っただけで何の思い出もないホテルですが、一応、記念撮影(笑)。トン、トン、トン、トン、ワシントンとだけ言っておきます(意味不明)。

  新宿駅はラッシュアワー。まだ台風の影響はないので、通常の光景でしょうね。

 駅弁屋「祭」で駅弁を購入して、ホームへ向かいます。

 ホームには、楽しみにしていた特急「あずさ」がすでにスタンバっていました。ちなみに2号ではなく5号です。

 さあ、乗るぞ~。

 余裕あるシートに満足です。

 窓越しにホームを見るとラッシュアワーが加速する光景が。思えば平日。行かせてくれたわが会社に感謝ですね。何としても無事に戻らねば。

 いざ、高原の旅へ! 妻撮影。

 早速「かきめし」(¥1,080)をいただきます。おいしそう~。

 正直に言ってしまいましょう。このあと高原ホテルのレストランなどで絶品料理をいただくのですが、結果的に今回の旅で一番おいしかったのが、この駅弁だったということを! ホテルシェフの方々、すいません!

 特急「あずさ」の車窓からは沖縄では見られない景色が。

 林業で有名な長野県だけに至るところに木材を利用した椅子などの施設、器具がありました。

  2時間半かけて松本駅に到着。美しい景色、快適な座席で長旅も全然苦痛ではありませんでした。このころまでは台風の影響もほぼ感じませんでした。

 さらば、特急「あずさ」。しかし、この言葉が現実になってしまうとは。。。

 初めての松本駅。

 窓越しにアルプス連山が見えます! 壮大です。

 さて、休む間もなくレンタカーを借り、今回の旅の最大目的地である上高地(かみこうち)へ向かいます。遠くに見えるは日本アルプスです。

 道路沿いの山々は期待していた紅葉にはなっていませんでした。地球温暖化の影響です。国連で演説したスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさん(16)のスピーチを大人が笑ってはいけません。

 「あなたたちが話しているのは、お金のことと経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか!」

 グサッ!

 山間部だけに長いトンネルが連発。数㌔単位のやつもありました。幅も狭いので、トラックなどとすれ違うときは、壁とスレスレとなり、かなりの恐怖です! 

 おまけに10郎撮影も。

 すれ違いの恐怖は「4日目」にアップする動画で体感ください。

 2時間近くかけて新穂高岳のロープウェイに到着。ずっと運転していた46歳、腰が痛くなりました。トンネルの緊張感などもあって疲労感もぱねぇ状態。ちなみにこの地点ですでに標高1,177㍍あります。沖縄生まれ沖縄育ち8郎家にとって、人生史上最も高い地点に到着です。二人は元気!

 辺りも高原の雰囲気に満ち満ちています(当然)。

 台風19号の接近による注意喚起も。

 国内唯一の2階建てゴンドラが待つ第2ロープウェイへ、まずは普通のゴンドラで向かいます。下りゴンドラとのすれ違いをパチリ。

 133㌢のちび助も頑張ってシャッターチャンスを狙います。

 これが国内唯一の2階建てゴンドラです。2階建てだけに定員はなんと121人! これに乗り換えて頂上へ向かいます。 

 2階では運よく特等席をゲッツ。紅葉をカメラに収める10郎。真剣なまなざしです。今回の旅ではいっぱい写真を撮ってくれました。

 山頂が見えてきた!

 着きました! 標高2,200㍍の山頂展望台です。わずか10分で8郎家の人生史上最も高い地点の記録更新であります。

 10郎史上最高地点で恒例のジャーンプ。マイナスイオンたっぷり、気温も低くて涼し~。まさに高原の旅の醍醐味です!

 さすがに2,000超㍍だけに紅葉がちらほら。

 ベストシーズンではないでしょうが、ウチナンチュ一家にとっては十分見ごたえのある紅葉でした。

 自分のカメラの構図に父が入ったので、抗議する9歳! どんどん自己主張もするようになってきました(笑)。

  ほんでもって記念撮影。山頂にまだ雪はありませんが、雪以上の白い面積を雲が占めていました(笑)

 軽食・喫茶「マウントビュー」でランチを取ることに。

 飛騨牛カレーにしたかったのですが、カレーはこの旅行日程中の別の機会に絶対食うだろうと考え直し、とろろを使った「雲海そば」にしました。あったかくておいしゅうございました。

 メタボおじさんは飛騨牛をあきらめきれず。。。飛騨牛コロッケで妥協。

  10郎が買ったコーラは特別仕様。記念に家まで持って帰りましたよ。 

 さて、宿泊先である上高地のホテル「ルミエスタ」へ向かいます。しかし、大自然の中に立つホテルだけに、厳しい交通制限があり、レンタカーで直接向かうことはできないそうです。しかたなく、レンタカーを沢渡(さわんど)という場所にある施設駐車場に置いて、バスかタクシーで向かうことに。沢渡からホテルまでは20㌔ほど。8郎の人生史上、宿泊地から最も遠い距離にレンタカーを置いたことになります(どうでもいい?笑) 

 ちなみにこの施設には周辺に生息する動物のはく製が置いてあり・・・。

 エゾヒグマもいました。かわいいけど狂暴です。爪をごらんください。これで引っかかれたら命はありません。もし出会ったら、目をそらさずに、静かにあとずさりをしながら逃げるしかないようです。もう、ムーンウオークしかない。

 バスの最終便が過ぎたため、タクシーを呼ぶことになりました。待ってる間、ひまなので、アルプスの山の中で、ジャーンプ。

 

 山間部だけにタクシーはなかなか来ないので、10郎はコロコロコミックに手を出します。その姿に、妻と二人、「まだまだかわいいね」と激写しまくりました。

 中でも一番好きなのは『デンジャラスじいさん』ということです。どんなストーリーかな。

 駐車場の植栽に真っ赤な葉があったのでパチリ。これがこの旅の一番の紅葉でした(笑)カエデ?

 やっと来たタクシーでホテルに向かいます。おしゃべりで独特な雰囲気を持つ運転手さんからいろいろ情報をもらいました。情報を提供したあとに一人「ええー」と勝手にうなずく人でした(笑)。途中で消防車と行き違います。災害対策で出動でしょうか。ちょっと胸騒ぎ。

 6千円近くの料金を払って(泣)、ついに妻があこがれた「上高地ルミエスタホテル」に到着です。外観がシック!

 内観もおしゃれ~。

 チェックイン。受付のお姉さんに聞くと「台風でキャンセルが相次ぎガラガラです」とのこと。やっぱり、危機管理的には、来てはいけない場所だったのでしょうか。不安が募ります。

 でも、温かな雰囲気のホテル。スタッフの方々も温かく迎えてくれました。みなさんも自宅のことが心配でしょうに。まさにプロ意識です。

 ホテルのミニチュアも。木製です。

 河童の人形もありました。芥川龍之介の「河童」の舞台になった名所が近くにあるのです。

  24時間フリードリンクです。林業とワインでも有名な長野県だけにコルクがインテリアとして置かれていました。

 キーももちろん木ー。オヤジギャグは台風の影響を受けません。

 豪勢ではありませんが、清潔感のある落ち着く部屋でした。でも落ち着きのない9歳児がそこにいました。

 さて、この旅一番のディナーへと向かいます。レストランにはわずか数組程度しかいません。みなさん、8郎家と同じ気持ちなんでしょうね。「明日どうなることやら。とりあえずディナーを楽しむしかない」と(笑)

 グラス越しに写るわが妻。15年目の感謝の気持ちをこの旅に込めたつもりですが、まさか台風に追っかけられるとは。15年間、ひねくれ者の夫によくついてきてくれました。宝物である愛息10郎を産んでくれました。これからもよろしくお願いします。

 地ビールで乾杯。おせじでなく、おいしゅうございました。

 まずは前菜。野球でいうと肩慣らしです。 

 まずは初球。「自家製ノルウェーサーモンの軽い燻製、彩り野菜とキャヴィア飾り」でインコースをズバッと突かれます。

 海の宝石ことキャビア~。何年ぶりかなぁ。

 2球目は変化球「秋に旬を迎える駿河湾産、金目鯛のブイヤベース・ムール貝を添えて」。真ん中のソースはニンニクとじゃがいも、そしてサフランで作っているとのこと。金目鯛、ムール貝がおいしいのはもちろん、ブイヤベースということで出汁の濃いスープも完飲しました。ツーストライクと追い込まれました。

  そして3球目は勝負球のストレート。「低温でじっくりロゼに焼き上げた特選和牛のローストビーフ 安曇野産山葵を添えて」です! おいしい上に2枚までお代わり可能でした。生わさびも絶品。空振り三振の完敗です。まいりました~。

 絶品料理の連発に9歳ボーイもナイフとフォークを使って真剣勝負。ぜいたくな夜だね。妻撮影。

 デザートは「渋川マロンパイ カシスのグラス 秋景色の穂高連峰」だそうです。確かに小さな秋がそこにありました。

 満腹です。幸せです。かつて観光業界の隅っこで働いていたことがある妻の目に狂いはありませんでした。最後はシェフが席ごとにあいさつに来てくれました。

 露天風呂に入って体を温め、無料のマッサージ器を使った上で、ベッドへ。外は雨が強くなってきました。風はそう強くはなかったですね。アルプスの壁が守ってくれているのでしょうね。ただ、大量の雨水まで防ぐことはできなかったということですね。でも自然のせいにしてはいけません。人間は自然と一緒に生きていかなくてはならないのですから。

 予定では3日目となる翌日が最大のイベントである上高地の散策となっています。しかし予報では台風が最接近となっています。リスケも考えながら、2日目終了です。リスケで頭いっぱいの妻は眠れなかっただろうなぁ。アルプスの懐は、しとしと降る雨音以外、とても静かです。おやすみ~。


祝15年 アルプスの旅 (初日)

2019年10月18日 | 県外 8 Scene

 【最初に】台風19号により大きな被害を受けられた地域の皆さんにお見舞い申し上げます。NHKによると10月18日現在で死者70人を超える大災害となっています。一日も早い復興を願います。

 

 ・   ・   ・   ・    

 

 さて、8郎夫妻の結婚15周年を祝した“アルプスの旅”を無事終えて帰沖しました。ご存知の通り、“史上最強”とも評された台風19号が本土上陸し、今回の旅の目的地である長野県はじめ多くの東日本地域に大きな災いをもたらしました。その中で旅行が無事にまっとうできたことは、多くの被災者の方々の復興を願うと同時に、8郎家としては本当に幸運だったと痛感しています。台風上陸は事前に予想されていただけに、当初キャンセルも考えたのですが、妻が頑張ってチケットを手配してくれたこと、台風に強いアルプスの壁などを考慮し、敢行を決断。結果的に、予想外の難儀を強いられたものの、無事に帰ってこれた今となっては、家族3人の結束を確認できた思い出深い旅となったので、ここに記録いたします。4泊5日の長旅(あわや5泊になるところでしたが)だけに、当ブログ史上、文字数、写真枚数ともに史上最多間違いなしの上、史上最長のロングラン5回に分けてご報告いたします!

 下写真は、上高地で見た、国内第3位の標高を持つ奥穂高岳(3,190㍍)を頂点とする北アルプス山脈。島生まれ島育ちの8郎家3人に、山国ニッポンの魅力を体感させてくれました。この荘厳な景色。神が住んでいるといわれても、そりゃ信じますね。

 3連休を前にした金曜日も休みを取って(もちろん10郎も学校を休ませました)、木曜日の夜に沖縄を立ちました。19時15分発の便だったので、那覇空港で軽食を食べます。

 8郎は早速生ビール。仕事明けだけにうまさも倍増!

  飛行機は満席。

 今回の旅は移動時間が長いことを想定し、時間つぶしのためにと空港の本屋で10郎にコロコロコミックを買ってあげました。早速、熟読する10郎。イヤホン姿も決まってます(笑)。この選択がこの旅路で多いにプラスに働くとは、この時思いもしませんでした。

 台風の影響による気流の乱れで飛行機は大幅に遅れ、羽田空港に到着したのは23時過ぎ。玄関口には、国内初開催中のラグビーワールドカップの看板がありました。日本代表が史上初の決勝トーナメントを果たし、盛り上がっているようです。ラインアウト(選手が選手を持ち上げてボールを奪い合うセットプレー)に10郎も参加。

  空港内レストランがすべてしまっていたので、仕方なく自販機コーナーへ。結婚15周年記念旅行の初日のディナーとしては、あまりに寂しすぎるぜ!(悲) 

  たこ焼きをチン。ひっくり返す前に青のりをかけてしまった無粋な8郎です。10郎に「順番が違うよ」と指摘されました(笑)。

  たこ焼きに塩を振る10郎。2年前にSNSで話題になったトルコのイケメンシェフさながらです(笑)。 お味はもちろん、い・ま・い・ちでした!

  自販機ディナーで不満足ながらも腹を満たしたあとは、ホテルまでの夜間バスに乗ります。妻がネット予約してくれました。電車を乗り換えるよりは、この方がいいっす。

 客の姿が見えにくいですが、バスもすぐに満席となりました。

 父の肩を枕にする愛息10郎の寝顔を。。。

 寝たふりでした!

 闇夜にライトアップされた東京タワーの姿をパチリ。一瞬のできごとだっただけに我ながらよく撮ったと、自分で自分を褒めました。

  宿泊先のワシントンホテルに到着。このホテルには、帰路も含めて2泊する予定でした(2泊目はキャンセルすることになります)。暗くて見えませんでしたが、都庁の目の前だに位置しており、ビジネス、観光の使い勝手がいいようです。この日はビジネスマンが多かったですね。結婚式があったのか、深夜だというのにBARなどの酔客が多くてうるさかったです。 

 チェックイン。写真では分かりにくいですが、角部屋のくの字型の部屋でした。食いしん坊のおじさんは、懲りずにホテルのコンビニで買ったビールとつまみで、ひと息つきます。この旅で禁断の84㌔ラインを超えたことは言うまでもありません。

 夜の12時を過ぎ、ぐっすり眠る愛息の寝顔に、田舎者夫婦は、後から追ってくる台風の影響を間違いなく受けるであろうこの旅だけに、心して動こうと誓いました。

 以上のように移動だけとなった初日なのでトピックはありません。しかし、2日目以降は苦楽の激しい行程となります。台風19号がもたらす予想外の出来事に翻弄される8郎一家の珍道中を、いや祝💐結婚15周年記念旅行を、なるはやでアップしますので、引き続きお付き合いください! 


駆け抜けた松本清張記念館

2016年12月18日 | 県外 8 Scene

 年の瀬の慌ただしい中、駆け足で北九州市へ出張へ行ってまいりました。写真は霧雨けぶる小倉駅南口です。気温は7度ほど。白い息が出ました。

 業務内容は1時間ばかりなのですが、先方が時間を指定してきたこともあり、タイトな日程となりました。しかも、右肩下がりであるわが社の事情からか、上司から、費用を抑える目的での「日帰り」命令が下りました。個人的には、実質1時間なので「そりゃそうだろう」と納得しました(そもそも出張しなくても可能な業務なのですが建前主義の世界だとこうなります)。しかし、先週福岡出張した先輩には宿泊決済が下りていたようです。8郎周辺の先輩同僚は「(上は)費用対効果すら考えない明らかな差別」と嘲笑しておりました・・・。

 とはいえ、せっかくの出張。しかも未経験の北九州市の小倉(こくら)という町。なにかしら得るものはないか事前にネットで調べてみました。北九州市に関しては中学校時代に習った「工業の街」というイメージしか浮かばなかったものの、「小倉」という響きにぴんときました。ある国民的作家が思い浮かんだのです。

 それは、没後四半世紀がたとうとする松本清張です。8郎はマニアというほどではありませんが、多くの国民同様、「なんてすごい作家なんだ」と作品を読むたびに思っていた一人です。人間の汚くも悲しい部分を描きつつ、底辺には人間が好きでたまらないという情熱が漂う作風です。現代の国民的作家、横山秀夫氏を読むと、そのルーツに清張を感じます(横山氏も清張をリスペクトしています)。どちらも好きな8郎ですが、清張には横山氏のさらに上を行く人間へのあくなき探求心をいうものを感じるのです。分かりやすくいうと、横山氏はエンターテイメントに徹し、清張はあくまで人間探求に徹するということでしょうか。二人とも希代のストーリーテラーなので「どんでん返し」が得意なのですが、横山氏は「ちくしょう、そういう落ちがあったか。これは思いつかなかったわい」という衝撃ですが、清張の場合、「人間ってこわ!」と背筋が寒くなるような、これまでの人生経験では分からなかった人間の裏の顔を見せられる衝撃、ということになります。

 清張は1953年、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞しデビューしました。8郎も20年ほど前に読みましたが、そのとき、清張自身も小倉出身だというのを解説か何かで知っていたのです。「出身地ということは記念碑的なものがあるに違いない」とネットで調べてみると、その名もずばり「松本清張記念館」なるものがあるではないですか!(笑)。しかも出張目的地である大企業本社から歩いて10数分ほどの場所にあります。「これは寄るしかない」と決断しました。

 福岡行の便でも、家の本棚から持ち出した「松本清張短編集」(下写真)を読みました。その中に「或る『小倉日記』伝」があったからです。1時間半ほどのフライトで読破しました。20年ぶりですが、あらためてじんとくるものがありました。 障害をもつ青年が、文豪・森鴎外の小倉在住時代の「日記」を証言などを取材して記録化することに情熱をかけるというストーリーです。青年への偏見による差別と、青年を献身的に支える母の行動が胸に迫ります。結局、青年は目的を遂げられないまま亡くなってしまうのですが、清張はそのあとにさらなる現実の冷たさを用意しているのです。そして、これをわずか最後の三行でまとめる清張の筆力。文章がそっけないだけ、その分、いろいろなことが頭の中をよぎるのです。恐れ入ります。ストーリーが骨太なら、饒舌な文章なんかいらないということを教えてくれます。

 さらに、この作品の一番素晴らしいところは、青年が「自分がやっていることに意味はあるのだろうか」と絶望に襲われ、のたうちまわる姿を描いたことです。人間ってそんなものでしょう。サラリーマン8郎にはわかりませんが、特に研究者や文学者たちというものは凡人にはわかりえないストレスと戦っているのだと思います。青年の努力は結局報われませんでした。しかし、悲しい人生だったのでしょうか。何かを追う、ということに情熱を傾け続けた青年の生きざまはとても神々しいものだったのではないでしょうか。そして、わが子に障がいというハンディを与えてしまったという思いから、青年の行動を支え続けた母にとっても、青年の努力する姿に生きる希望を見い出したのではないでしょうか。清張は一句たりともそんなきれいごとは書いていませんが、そう思わせる余韻のすごさ、まさに文学界の巨人です。

 その青年の葛藤に焦点をあて、日の当たらない作業に努力する虚しさと美しさを同時に表現した、芥川賞受賞作「或る『小倉』日記伝」。当初は直木賞候補だったのが、文学としての完成度の高さに直前に芥川賞に変わったという伝説をも持つ傑作です。みなさんも一度読んでみてください。

 下写真の表題にある「西郷札(さいごうさつ)」も面白いです。投資に狂った人間の凋落ぶりを描き切っています。半世紀後のバブル崩壊を予言したような内容です。8郎的には映画化もされた、ハンセン病患者の苦悩を描いた「砂の器」がマイナンバーワンですね。読んだ作品どれもが期待を裏切りませんでした。

 さて旅行記・・・いや、業務出張報告書に戻します。

 福岡空港から駅に移り、博多駅まで徒歩。そこから新幹線のぞみに乗ります。もちろん自由席です。 

 新幹線って早いっす~。

 最初の写真のとおり、着いた小倉駅は「小倉日記伝」をほうふつとさせる、どんよりとした寂し気な空模様でした。対照的に駅構内はクリスマスモードでした。

  新幹線で早めに到着したために、業務までの時間が多少空いていました(遅刻だけは絶対NGだったので、田舎者8郎のために、庶務の女性Mさんが3パターンくらい経路を考えてくれたのです。感謝)。昼飯はネットで探したうなぎの「田舎庵」。駅から歩いて数分です。2700円(高!)という高級ひつまぶしを注文しました。うなぎのカリカリ具合はかつてない食感でおいしゅうございました。 

  そして、満を持して「松本清張記念館」へと。雨だったのでタクシーを使用。思っていたよりも豪勢な施設でした。おんぼろちっくなものを想定していただけに、さすが、国民的作家、と感服。ちなみに後ろにそびえたつ高層ビルは、なんと北九州市警察署。さすが暴力団の街、ということになるのでしょうか? 政令指定都市に設置されるとのことですが、普通は政令指定都市に県都があるのに、福岡県ではそうでないために(福岡県警も福岡にある)、異例の警察本部となっているようです。沖縄県警の2倍の高さはありました!

  清張記念館は、とても静かで、客も8郎一人の様子(驚)。まぁ、平日の雨空ですから、仕方ないでしょう。でもおかげさまで、じっくりとみることができました。3万冊の書庫がある自宅を再現した空間など圧倒的です。この記念館は過去に施設としては珍しく「菊池寛賞」も受賞しているようですね。これからもずっと、日本文学というより、日本人の生きざまの証として、いつまでも維持してほしい記念館です。

 最後に、清張の残した名ぜりふをご紹介します(記念館にも掲げられています)。インタビューで「好奇心の根源は?」と問われた答えがこれです。


 「疑いだね。体制や学問を鵜呑みにしない。上から見ないで底辺から見上げる 」


 自分が見て調べたものしか信じない。しかも庶民目線で。という意味ですよね。かっちょいいっす~。

 清張の執念からパワーをもらったような気がしつつ、記念館に別れを告げました。ちなみに入館料は500円です。安いとしか思えません。


 次は、近くにある小倉城を撮影。時間がないので中には入らず。なんでも、あたまでっかちの城として有名なようです。昭和43年に再築されたもののようですね。詳細を知りたい方のために、以下、公式HPからの抜粋をご参照ください。 

 小倉城の歴史は、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。その後、高橋鑑種(たかはしあきたね)や毛利勝信(もうりかつのぶ)が居城し、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興(ほそかわただおき)によって、1602年に本格的に築城が始まり約七年の歳月を要しました。この天守閣は「唐造り(からづくり)の天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根のひさしがなく五階が四階よりも大きくなっているのが特徴的です。また、城の石垣は切り石を使わない野面積み(のづらづみ)で、素朴ながらも豪快な風情にあふれています。

 だそうです!

 城もきれいでしたが、まわりの紅葉もきれいだったので何枚かアップします。 沖縄では見られない景色です。

 

  業務を無事に終えたので、新幹線に乗り(時間ぎりぎりでした)、福岡空港へと戻りました。前半でタイトに動いたため、空港では余裕ある時間を過ごせましたね。夕飯は、出張でよく食べるロイヤルコーヒーレストランのロイヤルカツカレー。おいしゅうございました。

  ビールを飲み、駐機場を眺めながら、まどろみました。そして思いました。こんな業務で一泊なんかせんでええ!

 悪天候のため、出発が30分以上おくれ、ほぼ最終便と同じ時間帯で那覇空港に着きました。あ~、つかれた。業務より移動でね。


 妻子のお土産に、福岡空港内の「ヌフヌフ」というスイーツ店でフロマージュ・フレというケーキを買って帰りました。妻子も喜んでくれました。おいしゅうございました。

 自分へのお土産として、清張記念館の売店スペースで、清張の長編小説「砂漠の塩」と湯呑み(笑)を購入していました。まるで寿司屋にある魚の名前が書かれたやつのように、清張の作品名が彫られています。ご愛敬ということで買いました。売り子のお姉さんに聞くと「あまり売れていません」と正直に笑っていました。

  以上、松本清張のルーツをたどる旅・・・訂正、業務出張報告書を終わらせていただきます。


  ところで、清張をめぐって、多少の縁を感じるできごとがありました。

 明日出張だという夕方どき、かつて仕事でお世話になったTさんから久々に飲みの誘いがあったのです。Tさんは、以前当ブログで退職激励会の様子を紹介させたいただいた、普通のうちなーオヤジです。そのTさんも松本清張ファンで、「これを読め」と手渡されたのが短編時代小説「佐渡流人行」でした。時代劇小説というジャンルに入り込めない8郎でしたが、だまされたと思って読んでみると(どんでん返し的に清張にはだまされたのですが)、Tさんの推薦の言葉に偽りなしでした。激オモです。「或る『小倉日記』伝」「砂の器」などに比べ、エンターテイメント性もあり、またとても短いので読みやすいです。あっという間にどんでん返しの奈落の底に落とされます! みなさんも、ぜひご一読を。

 Tさんの誘いは出張前日ということでお断りしたので、今週中に再セッティングすることになりました。記念館に行ったことを自慢してこようと思います(笑)。

 仕事がたまっているので、今日はこれにて。


またまた北の大地に

2015年04月24日 | 県外 8 Scene

 ほぼ一ヶ月ぶりの更新です。なかなか忙しく、滞っていました。すみません。みなさん、お元気ですかー。8郎一家は全員元気です。

 先日、業務出張で北海道に行ってきました。昨年の結婚10周年旅行からまだ1年もたっていないのに、おいしいというか何というか…。 しかも場所は、結婚5周年旅行で訪れた余市町です。何と言う偶然! 早速ご報告いたします。

 とはいえ、異動後初の出張でもあり、業務内容も気合を入れる必要があったので、遊び気分は2割ほどに抑えました(もっと抑制を)。まずは東京でのひと仕事を終え、羽田空港で同僚らと焼肉ランチ。ぜいたくだー。

 千歳行きの飛行機に乗ると、わずか数分で爆睡。というのも前日、沖縄をたち、上京後、慣れない電車の乗り継ぎで、ホテルに着いたのは深夜零時すぎ。朝一からの仕事だったので、疲労はピークだったのです。

 2時間弱で千歳空港に到着。前日は雪がふったそうですが、この日は穏やかな感じでした。それからは電車で1時間半ほどかけて宿泊先の小樽に。そこでは、今回お世話になった営業先のベテラン営業マンが出迎えてくれました。そして、なんと小樽の観光案内をしてくださったのです。懐かしき小樽運河。5年前と変わらず異国情緒あふれる風景でした。雪が降っていないとはいえ、さすがにコートを羽織りました。

 近くの割烹で寿司や刺身などのおいしい海産物料理を頂いたあと、NHK連続テレビ小説「マッサン」でブームを巻き起こしているニッカウヰスキーのBARに足を運びました。その入り口前に飾られている「スーパーニッカ」。マッサンが愛妻リタを亡くした悲しみを振り切るかのように、養子とともに執念でブレンドした傑作です。美しい話ですね。8郎はKYにも「竹鶴ピュアモルト」をいただきました(笑)。

 翌朝、余市蒸留所を訪れました。「マッサン」ブームで来場者数は3倍になっているんだとか。ガイドブックにも使われているレンガ作りのアーチ門をくぐりぬけるときに見える赤レンガの蒸留所は、5年前と変わらず、厳かに8郎を迎えてくれました。空も絵に描いたような青空でした。

 博物館の入り口にあるポットスチルと呼ばれる蒸留器です。これはもちろん模型ですが、これと同型のやつが数機、稼動しているようです。これに石炭で直火炊きするのが、余市の特徴だとか。

 そして、酒樽。このなかで5年、10年、20年と寝かせて、味と香りが生まれるんだとか。

 蒸留所を出て、歩いて2分のところにある食事処で、ウニ丼を。1200円。クリーミーでとってもおいしかったです。

 満足の北海道余市の旅、いや、出張でした。遠くに見える山並みには雪が積もっていました。 

 マイ土産には、蒸留所内にあるお土産品コーナーで、蒸留所限定とうたわれていた「シングルモルト余市12年」を購入していました(わずか180mlで2千数百円しました)。ピート(草炭)の香りが残るマニア向けのウイスキーです。左の「竹鶴ピュアモルト」は近くのサンエーで購入(笑)。こちらは一般向けの飲みやすい風味になっているんだとか。飲み比べみようと思ったためです。晩酌が楽しみだー。

  新しい職場も2ヶ月近くがたち、だいぶ慣れてきました。新しい企画も立ち上げ、進行中です。

 しかし、その間、宅建の勉強が後回しになっています(泣)。ブログ更新後は、昼寝をがまんし、頑張るぞー。

    ◆        ◆        ◆        ◆       ◆

 4月25日に開業予定のイオンモール沖縄ライカムの前を通ったので車窓越しにパチリ。開業当初は大型連休とも重なることもあって、大渋滞が予想されるので、8郎一家は少なくとも一ヵ月後くらいに足を運ぼうかと。それにしてもでかかった。

 周辺には大規模構想マンション郡も建設されるそうで、そこは当然ウチナンチュには手が届かない物件で、本土や中国の富裕層が購入するとか。沖縄もどんどん変わっていきますなぁ。


北の大地で祝10年 最終日

2014年07月24日 | 県外 8 Scene

 結婚10年を祝した4泊5日の北海道旅行もついに最終日です。しかし空港までの数時間、予定が全くありません(汗)。またしても家族会議を開いた結果、なんと、「円山動物園に行こう」という驚きの結論に至りました。北海道まで来て、天下の旭山動物園でもなく円山に行くというのは、沖縄まで来て美ら海水族館でなく、沖縄こどもの国に行くようなものです。しかし、田舎者夫婦の頭には、初日の河下りツアーで高知県出身というガイドさんが言っていた言葉「旭山は人の頭しか見えないですが、円山はいつ行ってもがーらがらですよー」が残っていたのですよ。
 ナビで確認すると、走行距離は昨日のさらに2倍ほどあります(苦)。正直な悩んだのですが、妻は「ほかに行くとこもないしねぇ」と涼しい顔です。これは行くしかない! あまりの長距離ドライブについに寝てしまった10郎です。
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 高速を飛ばし3時間超かけてついた丸山動物園周辺にはなんと車が長蛇の列を作っているではありませんか。さらに、駐車場入り口には「2時間待ち」との表示が。驚きと疲労感のあまり写真も撮っていません。ガイドの言葉がむなしく脳裏に響きました。鵜呑みにしなけりゃ良かったっ。
 しばし、車内で家族会議。結論は高速で千歳空港に直行することに。着いたときに見たドラえもんパークやお土産選びで時間を潰そうとの判断です。飯もそこで食おうと。
 再び高速へ向かう風景は、何回か来たのある札幌市内。都会の雑踏を離れ、北の大地の大自然に身をゆだねる計画が、最後の最後になぜ、道都? 
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 しかも赤い路面電車は、5年前に乗ったことのあるやつではないですか!
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 名残惜しげに車窓から札幌市内の景色を撮影しまくる妻。奇跡のショット、時計台です。
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 疲労困憊の末、やっと午後3時ごろ、千歳空港に到着。5日間お世話になったエクシーガを返却。この車でなかったら、もっと腰を病ましていたでしょう。最後にメーターを見ると570㌔。1日当たり114㌔ですから、沖縄でいえば、住んでいる浦添から最北端の辺戸岬まで毎日走っていたことになります。そりゃ疲れるわ!
 千歳空港は3連休の初日とあって大混雑。とりあえず遅い昼飯を食おうと寿司屋へ。最後の飯だからと8郎はウニとイクラ中心の丼を注文(2千円ほど)。鮮度はイマイチでしたがおいしゅうございました。店員さんは優しかったっすぅ。
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 そして、長時間ひまをさせた10郎に最後の思い出づくりにと、いざ、ドラえもんパークへ。大好きなドラえもんが実物大?で迎えてくれました。10郎の笑顔に父母もほっと一安心。
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 のび太の部屋もありました。「昼寝するのび太」。10郎の得意のモノマネです。
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 錯覚を利用した部屋も。かーかーと10郎にビッグライト。とーとーにスモールライトが当たったという想定です(笑) 説明不要ですね。
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 こういう遊びも。ピントが合ってないのが残念ですが衝撃の一枚です。
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 そして、ついに夢のオールスターと10郎、夢の競演です。よかったね。(わが息子は誇らしいとき左胸を突き出すことが判明しました)
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 等身大しずかちゃんの前では、急にかっこつける10郎。おもしろいっす。男だね!
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 最後はかーかーとタイムマシンに。大好きな恐竜ピー助に会いに、白亜紀まで行ってらっしゃい!
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 ドラえもんパークを満喫したあと、お土産を買っているかーかーを待つ間、「昼寝するのび太」を再現する10郎です。楽しかった瞬間を記憶に焼き付けようとしているかのようです。
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 近くにはチョコレートの「ロイズ」のコーナーもありました。
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 お土産をたくさん買い、ぎりぎりで羽田行き便に搭乗。最後に北の大地の神様が微笑んでくれたのか、3人ばらばらだった座席が調整のうえ、横並びに。トイレ前だったので後に席がなく、リクライニングしたい放題でした(これ大事)。 
 羽田空港で乗り継ぎ途中にかーかーが撮影した東京スカイツリーです。初めて本物を見ましたよ。細長かったぁ~(笑)。これだけでも乗り継ぎした意味があったかな?
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 最終便で着いた那覇空港では、彼女の肩を抱く会社の後輩の後姿を目撃。後日聞くと彼らも北海道旅行だったようです。みんな結局北海道なんだね!
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 結婚10年を祝した北海道旅行はこれにて終了。後輩の後姿など、多少、新婚旅行以来の「海外」にこだわればよかったという後悔もあります(みんな、いつでも行けるのねっていう)。ただそれでも、先にも書きましたが、家族3人が46時中一緒にいた5日間というのは、何ものにも代えがたい時間だったと思います。。沖縄生まれ沖縄育ちの3人にとっては、人生で一番涼しい夏でした。さらに飯の満足度は世界中どこを探してもないかと(海外経験は1回しかないけど)。5年後は10郎はまだ9歳。とーとーの念願のハワイはそのときでも十分じゃないかという結論に至りました(とーとーは46歳やでぇ。頑張れるかなぁ)。妻と二人、15周年に向けて、また仕事を頑張ろうと決意をあらたにしたのであります!
 長々とした旅行記にお付合いください、ありがとうございました!
 【追記】帰沖後、10郎に「北海道旅行で一番楽しかったのはな~んだ」と質問すると、「ドラえもん」と即答しました。ま、いいかっ(笑)。