私は何も分からずに、ただひたすら毎晩、家族が隣室でテレビを観ている音が漏れ聴こえる隣室で、照明を消して真っ暗闇の中で1時間、ここでの深呼吸の要領ではじめに大きく息をすってから、出来るだけ長く息を吐きながら、普通の胡座を組んで毎日、座禅を行ってからおりました。
イメージで体の中へ吐く息だけに意識を集中しながら、吐く息が喉から気管支を通って胸から下腹に入って行く息を追いかけながら、そのことだけに意識を集中しておりました。 かなりの時間は集中できるものの、然し乍ら途中でふと雑念が湧くのです。
日常的な問題解決しなければならないような問題です。 私はふと浮かぶ雑念を払うことなく、そのことを長く吐く呼吸を行いながら考えました。 すると不思議なことに、こう考えたらどうですかと云うようなサジェスチョンがあるのです。
私は、このように長く吐く呼吸に意識が集中している時に起きた、ふと浮かぶ雑念は払うことなくか考えてきました。 結果的に、そのように考えることによって、自分のものの考え方-ものの価値観、何を大切に考えるべきかなどのことが、次第に構築されて来たのではないかと感じました。
ここでの大切なことは、自然の摂理に従う気持ちに素直になると云うことです。
ここでの長く吐く呼吸、イメージで吐く息を体の中へ吐き入れる呼吸は、結果的に眠っていた体の中の経絡(気の通る路)を刺激し、様々な形で体に変化を与えます。 その現象に驚くことなく、素直に受け入れることが、とても大切なことなのです。
私たちの誰でもが、お母さんのお腹の中にいた時には、胎息と云う気の呼吸を行なっていたのですが、生まれ出る瞬間から気の呼吸から空気を吸う肺呼吸に、オギャーと云う鳴き声と共に変化するのです。
ここでの長く吐く呼吸、イメージで体の中へ吐く呼吸を、日常的に毎日1時間行っていけば、いつの日にか気を感じるようになり、更に気の呼吸である胎息を感得することになると確信しております。
決して巷に流布してあるような特別な仙術ではないのです。
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