私は理屈から物事を考える方ではなく、先ず体を動かしてみてから考える方です。 父が若い頃に長距離を何時も走っていて、背が余り高くもないのに神戸–明石間のマラソンに、優勝したことがあるというところから、私自身も小学生の頃に不忍池を一周したり、中学生の頃に飛鳥山周辺を一周したり、上中里から赤羽間を往復したりしておりました。
都立北園高校に入学してから始めたバスケットボール部では、正月元旦を除いて毎日のように、体育館でバスケットボールに明け暮れました。 一室に閉じこもって学究に明け暮れるというタイプではなく、兎にも角にも体を動かすことが好きでした。
従って大学の級友から、静かな気功である静功の会の呼びかけがあった時も、週1回で3時間の参加料が32000円の高さもあり躊躇しましたが、当時、胸に違和感を感じて知人の看護婦の方に、何処の病院で診てもらったら良いかなどを訊いていたこともあり、清水の舞台から飛び降りる気持ちで参加しました。
何も分からずに無我夢中で、深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけ長く吐く呼吸を行いながら、胡座を組んで真っ暗闇の中で、1時間座り続けました。
すると体に微妙な変化が現れ、その日以来、毎晩1時間、自宅で座り続けたのです。 長く吐く呼吸を行いながらの座禅は、必ず体に微妙な変化をもたらしました。 私は、その微妙な変化を楽しみながら、毎晩、座り続けたのです。
夜は寝る前に何時も、1年前に知人から教わった半身浴で入浴を行なっておりましたので、汗を拭き終わると待っていたかのように、布団の上で胡座を組んで1時間座っておりました。
すると1ヶ月半を経った頃に、突然、気が勝手に動いてしまう自発動という現象を通して、下腹の臍下丹田が心臓のように動き始めたのです。 私は当時、何事も自然の流れに身を委ね、自然の摂理に従う気持ちを持っていることの大切さを、感得しておりましたので、驚きながらも、その動きを楽しみながら1時間過ごしたのです。
今までの出来事を反芻してみますと、何時も真実は何かを探求していたのではないかと感じております。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます