先日来、市川海老蔵の夜の麻布界隈での殴打事件で、はからずも海老蔵の飲酒時の傲慢ぶりが、明るみに出ましたが、普段から持っている性格が、結果的に殴打事件を引き起こしたことを、露呈しました。
私の友人にも、アルコール飲酒での豹変ぶりを表す人がいます。 その方もアルコールを飲まないときには言えないことを、結果的に言動で表すのです。 お酒を飲まないときに、はっきりと話せばよいのです。 それもきつい事を優しく傷つきにくいように。
私は高校時代にバスケットボール部に所属し、激しく動き、へとへとになるまで体を動かしました。 練習ではとにかくメニューをこなすことだけが精一杯でしたが、試合では相手も同じように疲れているわけですから、精神的にだけは負けないように心がけていました。
父親の影響でしょうか長距離を走るのが好きで、クラブでも自分ひとりでも走っていました。 人が苦しくなる坂道になると、みんなが苦しくなるときにこそ、頑張ろうと思って走っていたものです。
苦しいときにこそ、その人の真価・本性が現れるのではないかと思い、そのような状態に置かれたときほど、惰性で流されることもなく、ひたすら耐えそれ以上の力を発揮しようと、奮起するのです。
苦しさを楽しむ感覚が必要なのでしょうか。
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