私の知人は、私が通った板橋駅近くの公立の進学校の近くの、JR線路をまたいだ反対側にある巣鴨商業という高校を卒業しました。 当時の巣鴨商業は、「がもしょう」という名前で、どちらかというと荒れた程度の低い学校という印象でした。
ところが、友人に高校の話を聞くと、そこの校長先生が素晴らしい方のような印象を受けました。 受験時における面接は、全て校長が行ったそうですし、その受験生の考え方や生き方について、真摯に話を聞き、また校長からも話をするということでした。
校長を引き受けたときは、上記のようなちょっと荒んだ印象を受けるような高校ではあったのですが、長期計画の下に、次第に学校の雰囲気を変えていったそうです。 友人は校長先生に、仲人をお願いし、今でもお付き合いをさせていただいているといいます。
いまや高校のレベルを測る一般的な尺度(残念ながら)でいえば、東大の合格率が私立の中でも、相当程度上がってきたようです。
私立でいえば、理事会及び校長が教育方針を作って、長期計画の下で生徒を指導できるのです。 考えてみれば、公立学校であっても、教育委員会がしっかりしてその教育方針の下に、校長が変わらずに継続的に指導していけば、それなりの教育ができるのではないかと感じるのです。
先生についても、学校が変わらずに一つの学校(一定地域の中で変わるのはやむおえないかも)で、生徒たちを教えるのは、悪くないこと(よいことだと)思うのです。 私の小学校三年時(上野の黒門小学校)の米田健治先生が、殆どの教員生活を多摩村、多摩町、多摩市の小学校で終えたことを思うと、なおさらその気持ちが強くなります。