今日の昼間に、たまたまテレビを見ていたら、脳科学者の茂木さんが、東大生を相手に講議をしておりました。 米国のハーバード大学は、卒業生たちが入学希望者と面接して、入学の許可を行うという説明でした。
然るに日本では、大学の入学試験の高得点者が、入学を許可されるという現状からの脱皮を行わないと、特異な人間の創造という観点からは、まずいのではないかということを、「イノベーション」という言葉や「セレンディピティー」という言葉を上げて、話しておりました。
ペンギンが群れの中で、一番初めに海に飛び込む勇気を例に、イノベーションの「勇気」や「ひらめき」の大切さを、丁寧な話し方で説明をしておりました。
セレンディピティーでは、「行動」する中で「気づき」、それを「受容」する素直さ、寛容さが大切であると強調されていました。
そのとき、ふと親しくしている友人のことが、頭をよぎりました。 いつも行動を起こす前に、自己の少ない経験にもかかわらず、まだ行動起こすには自身が納得できないなどといいながら、結局、行動もせず、結果的に気づきもなく、なお受容する余裕もないという悪循環に陥ってしまっています。
行動しなければ、決してそこから気づきもなく、受け入れる寛容さもなくなるのですが。 もう少し、友人に素直な気持ちを持ってもらいたいと、願うのですが。 余りにも頑な過ぎます。 それが個性とはいうものの。