私は、これまで自分が歩んできた道のりで、必ずしも清廉潔白とは云えない部分もありますが、縁あって生まれて初めて、座禅(静功)を誰かから教えてもらったわけではなく、無我夢中で深呼吸の要領で、大きく吸って出来るだけ長く吐く呼吸を通して、様々なものを感得してきました。
その中で一番大切ではないかと思うことは、自然の流れを大切にするということと、自然の摂理に従う気持ちを持つことです。
例えば、出来るだけ長く吐く呼吸を行うときに、吐く息を限界ぎりぎりまで吐くと、苦しくなって後が続かなくなります。 これを苦しくなる寸前で、軽く息を止め又大きく息を吸います。 苦しくなっても呼吸の流れは自然に流れるように、自然と心がけるようになるのです。
上記のような長く吐く呼吸を毎日、1時間続けていきますと、ふと日常的な問題解決しなければならない雑念が、頭に浮かんでくるものです。 私は、そんな時には無理に雑念を払うこともなく、そのことを静かな状態で考えてみてきました。 すると不思議なことに、宇宙の叡智が、こう考えたらどうですかとサジェスチョンを与えてくれるのです。
また、セクシャルなエクスタシーを遥かに超える崇高な至福感をも、もたらせてくれます。
私はそのような体験を通して、自然の摂理を感じ、その大切さを改めて重いことになります。
私が15年以上も続けてこられたのは、胡坐を組んで静かに座っていることが楽しいからなのです。 私は宗教的なものとか精神修養とかで行ったわけではなく、大学の千葉に住む級友がクラス会のときに、近々、私の住む近くで開かれる静功の会に参加するんだという声かけを聞いて、たまたま胸に違和感を感じていて、健康のために行おうかと参加しただけです。
静功の会には結局、2ヶ月間(週1回)参加させていただいただけですが、もともと我流で真っ暗闇の中で、座っていたので、我が家で自分ひとりで、マイペースで行えるのが一番良いと思い、続けてきただけです。
人から教わるのではなく、自らの実践の中から感得することが、とても大切なような気がするのです。