禅宗のお坊さんが、雑念はいけません。 それを払いなさいという話を、よく聞きますが、私はそうは思いません。
静かに意識を吐く息だけに集中していますと、なかなか雑念は起きにくいのですが、そうはいっても、ふと雑念は沸くものです。
雑念のオンパレードは感心はしませんが、静かな状態でのふと浮かぶ雑念は、考えてもよいのです。 日常的な問題解決をしなければならないようなことや、つい先日の言い争いになったことなどが、ふと頭に浮かぶのです。
それを、どう考えればよいのかを、ゆっくり息を吐きながら、改めて静かに思い浮かべます。 すると不思議なことに、こう考えるのがいいのではありませんか、と頭に浮かぶのです。
もう一度、本当にそう考えるのがよいのか、考え直してもそのように考えるのが、正しいと思えるのです。
私は、静かに吐く息をゆっくり吐きながら、雑念を考えることによって、宇宙の叡智が、そっとサジェスチョンしてくれるものと、感じております。
長く吐く息を楽しみ、胡坐の姿勢を楽しみ、雑念を楽しみます。