ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

お釈迦さまが瞑想中には眼が半眼であったという記述を見て

2010-11-09 09:24:18 | 座禅

 お釈迦さまが瞑想中の姿を、お弟子さん達が見ていて、眼が半眼であったことから、瞑想または座禅を行うときには、半眼にするものと後世の方々は考えてこられたようです。

 禅宗の中でも曹洞宗は、壁面の一点を見ながら、朧ろげになるようにするということのようです。 臨済宗・黄檗宗は眼を半眼にして行うといいます。 私が座禅の中で感じたのは、眼は究極的に力を抜いた結果、半眼にするのではなく、半眼になる、というのが正しいのではないかということです。

 お釈迦さまがその瞑想の仕方を、お弟子さん達にお話されたかどうかは分かりませんが、私自身は近くのお寺で参禅した時に、和尚さんから「半眼にしなさい」と言われて以来、座禅中のふと横切る雑念の中で、考えてきたことです。

 私は座禅(静功)を初めてから、その殆んどの時間は深夜に行っています。 従っていつも真っ暗闇の中で行っていますので、眼を半眼にするとか、眼を瞑るとかを意識することは、ありませんでした。

 ただし、日中、電車を待って立ちながら逆腹式呼吸法を行っているときや、電車の中で浅く坐って逆腹式呼吸法を行っている時などは、いつも意識を集中するために、眼を瞑って行っていました。 それは今でも変わることはありません。

 最近は深夜の座禅のときに、眼の状態がどうなっているのかを、確認するのですが、力が抜けているときには、やはり半眼になっているということが、はっきりと分かるようになりました。