この国を・・・・30: 感 覚

2012-08-17 07:10:08 | この国を・・・


[語句補訂 14.53]
暑い日が続いています。
1945年の夏も暑かった記憶があります。
そのとき私は、疎開先の甲府盆地の西のはずれ山梨県竜王にいました。8歳でした。
辛うじて戦前~戦後そして現在に至る間の世の移り変りのありさまを見ることができた世代です。

最近の政府の要人たちの、いったいどうしたの?と思わざるを得ない「行動」が気になっています。
先日の新聞で、毎週金曜日の官邸前のデモ、脱原発デモは、原発に対しての「感覚での拒否反応」だから対応に困る、という旨の「見解」が政府の内部にある、との記事を読みました。
一言で言えば、「感覚=感情」に拠っていて「理性的」行動でないから対応できない、ということのようでした。
そうかと思うと、政府を支える政党の中枢にいる人物は、首相が、デモの「主導者」:呼びかけ人に会う、との「姿勢」に、「一活動家」だけに会うことは、適切でない旨を語っていました。どうやら、「一活動家を利する」だけだから、というのが理由のようでした。
国民投票で原発への対応を決めるのにも反対のようです。決めることができるのは「政治家」だけ、と思ってるようでした。
   私は、「呼びかけ人が会う必要は全くない」、と思っています。
   「国民の意見は十分聞いた」という「工作」に使われることは目に見えているからです。
   オーストリアでは、福島の事故以後、直ちに国民投票で、新設の原発の稼動を取りやめたそうです。
   イタリア、ドイツの方向転換を決めたのも国民投票。
   この「国民投票で決める」という判断を、彼の国では、「政治家」が決めた、のです。
   日本の政治家は、それを嫌う。「結果」がはっきりしているからでしょう。
   そこに、日本の政治家たちの本音が見えます。
   それは、いわゆる「《経済》界」の人たちと通じている。
   と言うより、「経済」の本義を忘れているからでしょう。
そうかと思うと、どうやら原発の下に活断層があるらしい。調査をしてそれが活断層であることが判明したら、稼動をやめる、という「専門家」の発言が報道されていました。
最近、鉄道に乗っていると、何々線では、走行中の異音の確認のために運転を見合わせています、という案内をよく聞いたり見たりします。
車を運転していても、いつもと違うな、と感じたら車を停めます。
運転を続けながら異常の有無を確認する、などという行動は、普通はとらない。
いつもと違うな、あるいは、おかしいな・・・、と思ったら、まず停まる、それが「常識」ではないでしょうか。
ところが、原発の場合は、運転を停めて確認する、ということをしないらしいのです。

この「いつもと違うな」という「認識」の根拠になっているのは、私たちの「感覚」です。
ところが、ある方がた(特に「エリート」たち)の間には、「理性」は「感覚」とは無縁なものだ、「感覚」から離れなければ存在し得ない、という《理解》があるようです。
それは、「客観」は「主観」とは無縁に存在する、という《理解》と根は同じです。数値化できれば客観的だという信仰もまたその《理解》の「結果」です。
いったい、オーストリア、イタリア、ドイツ・・・の人びとは「非理性的」なのでしょうか。
そんなことは、あるわけがありません。
「感性」「感覚」の裏打ちのない「理性」は存在しません
彼らは、そのことが分っているからこそ、そのような決断ができるのです。
「非理性的」なのは、「感覚」の存在を無碍に無視し否定したがる日本の一部の「エリート」たちなのです。

こういう日本の(一部の)「エリート」たちは、どうして生まれたのか?
私は、science を「科学」(分けて学ぶ:《専門分科》して学ぶこと)として「理解」するようになってしまったことに起因していると思っています。つまり、西欧の思想:考え方に対する「誤解」から始まった。

「科学」という日本産漢語は、「一科一学」から生まれたいうのが定説です。
「一科一学」とは、西欧の《近代的》文物を早く吸収するために、手分けして学べ:一科一学:という「教条」でした。
この語が短縮されて「科学」と称され、なおかつ「分けて学ぶこと」(これを、日本では《専門》と称する)こそが science なのだ、と「理解」されたのが悲(喜)劇の始まり。[語句補訂 14.53]
以来、それが「近代化」であるとして、1世紀以上にわたって、視野の狭い「エリート」たちが続出するのです。
それはすなわち、人の上に人をつくる、ことに他なりませんでした。根は深いのです。

敗戦後、この「傾向」は是正されたかに見えましたが、最近になってまたぞろ復興してきた、しかも勢いを増している、そのように私は感じています。

8月15日、東京新聞の社説は、またまた明解でした。以下に転載します。
江戸時代の人びとは、貧乏だったけれども貧しくなかった、という一節があります。


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