みごとなトラス組・・・・尾花沢・宮沢中学校の旧・体育館

2008-04-13 02:04:21 | トラス組:洋小屋

上の写真には、1988年7月というメモが添えてあったから、約20年前のもの。
メモには、尾花沢市立宮沢中学校、とあった。

記憶を辿ってみると、東北を観ていたとき、山形・尾花沢の郊外の田園の中に見つけた「気になる建物」である。
googleの航空写真は、尾花沢市のHPで分った宮沢中の住所から検索した現在のその周辺の様子。見にくいが、画面中央、山のふもとの白抜きで書かれた住所のところが、学校所在地。

   註 尾花沢は、積雪地帯である。

外観は写真が下手でよく写っていないが、切妻屋根で、棟の中央に望楼風の塔が載っている(トラスの見上げに、その内部が写っている。換気とシンボルが目的か?)。
平面は、覚えていないが、多分、妻面に付いている下屋のところが入口あるいはステージか?

外観もさることながら、内部を見たとき、その洗練されたみごとな架構に驚かされたことを思い出した。

ムクの木材だけを使って、大きな空間をやすやすとつくりだしている。陸梁:タイバーの類もない。妻面の、漆喰塗りの箇所で、トラスの幅が分る。1.2~1.5mぐらいあるか。

そして、筑波一小体育館のとき、こういう架構は、「私の頭の中に浮かばなかったな」と、一抹の後悔めいた感を抱いたことも思い出した。

おそらくこれは、戦前から続く木造校舎の技術が引継がれていたのではないだろうか。
設計は、そういう技術を受け継いだ、県か市町村の技術者か、あるいは町場の技術者によるものと思われる。
かつて、学校建築は地域の「財産」だったから、各地の学校建築には、その地域のすぐれた技術が結集していたのだ。
残念ながら、そのほとんどは、木造ゆえに取り壊され、無粋なRC、または鉄骨造に替えられてしまった。

   註 もしかして、遠藤新の設計か、と思って調べてみたが、
      宮城には数校設計しているが、山形には設計例はない。

今では、木造でこのようなトラスを設計できる技術者はいないだろう。
もしも遺っていたなら、その技術的レベルは、戦後のある時期の技術を伝える貴重な文化財に指定してもおかしくないのではなかろうか。

   註 尾花沢市のHPで調べたところ、
      昭和22年、新学制にともない、宮沢村立明徳中、高橋中が、
      それぞれ両小学校に併設して開校され、
      昭和26年、両校が統合して、宮沢村立中学校が創立された、
      とある(昭和26年:1951年。基準法制定の5年前)。
      この体育館は、おそらく、そのときに建てられたのだろう。

      ただし、詳しいことは調べていないが、平成5年に新校舎と
      体育館が完成したとあるから、多分取り壊されたに違いない。
     


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 羽黒山 五重塔:補足 | トップ | こういう架構もある・・・・... »
最新の画像もっと見る

トラス組:洋小屋」カテゴリの最新記事