「伝統的木造構法住宅の実物大実験」について-1

2008-12-13 21:09:52 | 「学」「科学」「研究」のありかた

[図版更改 21.15][文言追加 12月14日 3.29][註記追加 14日 9.14]

11月末と12月初めに、「伝統的構法の設計法作成および性能検証の事業」の一環として、実物大実験が行なわれた。「実物」としてA、B二つの建物があてられた。

この件については、いろいろな方々が関心をもっているらしい。
私も、一体どんな「実物」を実験するのか興味が湧き、「(財)日本住宅・木材技術センター」のHPから、資料等を一式プリントアウトした。

今回は、上に掲げた、この実験の「趣旨」と、実験にかかわる「委員会のメンバー」について、先ず考えることにする。A、B二つの建物については次回以降に考える。なお、「趣旨」の5項以降は、実験の日程等の件なので、掲載を略させていただいた。

先ず知りたかった、というより開示すべきは、いかなるものを「伝統的木造軸組構法」と言うのか、その「定義」についてである。
残念ながら、どこにも定義らしき文言はない。まして、「伝統的木造軸組構法住宅の設計法」を作成するのだ、という以上、「定義」をするのが「科学的」な思考法のはずだ。
また、「目的」の項で書かれている「伝統的木造軸組構法の建物は、これまで一般的に技術の伝承としての仕様に基づき建設されてきましたが、構造的な安全の検証が求められています」も意味不明な、というより曖昧な文言。

「これまで一般的に技術の伝承としての仕様」とは、たとえば、どのようなことを指しているのか、少なくとも、一例ぐらい例示したらいかがなものか。

また「構造的な安全の検証が求められています」というとき、誰に求められているのだろうか、求めているのは誰か。
もっともらしくするために「曖昧な文言」を積み重ねないで、単刀直入に、「建築基準法の論理にのるような設計法」が欲しい、と言えばよいではないか。

それにしても絶対に欲しいのは、いかなるものを「伝統的木造軸組構法」と言うのか、その「定義」である。

委員会メンバーには、毎度おなじみの「常連」のほかに、驚くほど多方面の人が入っている。中には、これまで、「建築法令に噛みついてきた」方の名前もある。あるいは、社寺等の建築に携わってきた方々もおられる。
このメンバーを見ると、おそらく「伝統的木造軸組構法」なるものに対する「解釈」「理解」言い換えれば「定義」は、十人十色だろう。それはそれで一向にかまわない。
しかし、「設計法を作成する」など大上段に振りかぶるのであるならば、「委員会としての共通の定義」が必要なはずだ。しかし、うやむやのまま。

どうやら、目的は「限界耐力計算に基づく設計法」の構築にあるらしい。「性能の検証」という文言がそれを示している。[文言追加]
しかし、その先・行き着く先は、最初から見えているように私には思える。

なぜか。
計算をする以上、部材の諸元が必要になる。
しかし相手は木材。木材は手に負えない材料であることは今さら言うまでもない。諸元は材料ごとに異なるのが木材の特徴。
ほかの材料とてバラツキはある。しかし、木材のそれはきわめて幅が広い。それが木材というものの特徴。それを怪しからぬ材料だなんて考えること自体がおかしい。
幅があること、材料ごとに異なること、これを前提に考えるのが「科学」というものだ。

それは、「人間」を考えるのと同じ。「人間」を「一つの典型」に集約して扱えるようになると楽、これがある時代の教育の「目的」だった(現在は?)。「人間」は木材同様、一人一人が異なってこそ「人間」。

残念ながら、近代化の名の下、明治以降、それを嫌う「風習」が、「先導者と自認する人たち」の間で顕著に根付いてしまった。それは、言うところの江戸時代の封建主義なんてものではすまないほど甚だしい。

江戸時代は、人びとの頭脳・能力を「上の人」が蔑んだ形跡はない。地位が上だからといって、商人の知力が武士の知力より劣る、などと武士が思った形跡はない。

人の上に人をつくらずと高らかに宣言したのは明治政府だ。しかし実際は、「考えること」にまで口を出すようになったのは明治以降の方が、そして第二次大戦後の方が著しい。やっかいなのは、戦後は「民主的」を装ってそれをやることだ。

こういう「思想」が、「建築学」の場面でも当たり前になった(それを当たり前だと思うのは、本当は、科学ではなく似非科学だ)。
だから、自分たちの勝手に作った「計算法にのせるための都合」で、無理やり木材の諸元を一定値にせざるを得なくなるはずなのだ。これは、これまでもやってきたではないか。その考えは、人間を一典型に絞り込もうという考えとまったく同じ。

つまり、既存の「構造計算法」は、木造には適さない。無理やり適合させるならば、そのとき木造は似非木造になってしまう。
[以上、文言変更・追加]

最初に「限界耐力計算法ありき」ではなく、もっと素直に、どのように考えたら「かつての日本の木造建築を理解できるか」(あえて「伝統」とか「伝統的」とか言う言葉は使わない。「かつて」とは、明治以前、あるいは「基準法」以前でもよい)と考えるべきではないだろうか。
それが本当の「科学的な所作」、つまり「科学的」ということだろう。

「実験」に対するときも同じこと。数値化データをとるもよいだろう。
しかし肝腎なのは、どういう挙動になるかを「体感」することなのではないか。そしてまた、挙動を体感、想像できるようになることではないか。

もしもそれができないならば、設計はできるはずがない。計算で設計が出来上がるわけがない。計算は、あくまでも「気休めの」確認作業。
「科学」とは、「理を究めること」であって、単に「数字化」「数値化」すればよいことではない。

「自然」という対象は人間の浅はかな「知」を凌駕する。建物づくりも相手は「自然」。
私は19世紀末から20世紀初頭の「技術」「技術者」こそ、「技術」「技術者」の鑑だと思っている。「理論」は彼らの後からついてきた。


そうは言っても、近いうちにまたぞろ、構造規制が強まることは目に見えている。


委員会の名簿を見た時、とっさに私に読めたのは、うるさい連中を引き込んでしまえば文句の出ようもないだろう、という「発想」が根底にある、ということ。
この「委員会」は、民主的衣装を被った「大政翼賛会」だ、それが私の偽らざる思いだった。[文言追加]

   註 「大政翼賛会(たいせい・よくさんかい)」をご存知ない方へ
      「大政翼賛会」は、1940年:昭和15年の10月、いわゆる
      「大東亜戦争」(第二次大戦)を起こす前年結成された
      国民統制組織。各政党が解党、合流。産業報国会、翼賛壮年団、
      大日本婦人会を統合、部落会、町内会、隣組が末端組織。
      1945年:昭和20年解散。以上「広辞苑」による。
      私は1937年生まれ、「国民学校:現在の小学校)」にいた頃は、
      ほとんど毎日空襲にあった。学校の記憶がない。隣組と回覧板・・・。
      すべてが「右へならえ」であったことは、子どもでも分った。
      そして不思議だった。
      今の中堅の世代は、「右へならえ」が好きなのだろうか。
      人びとを「右へならえ」させたいのだろうか。[註記追加]


少し極端なことを言わせてもらえば、もしも今後、このような「実験」をもとに、今以上に「かつての工法」私の言い方で言えば「一体化・立体化工法」に対する規制が増えたならば、その責任は、この実験にかかわっているメンバー全員にかかる、つまりメンバー全員共同正犯だ、ということだ。
かかわっている「団体」(特にNPO団体)、メンバーに、はたして、その認識があるのだろうか。[文言追加]
コメント (1)
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