岩手県沿岸北部地震・雑感・・・・「震度」と「被害」

2008-07-26 19:29:51 | 地震への対し方:対震

[文言更改 7月27日 12.08]

7月24日深夜の地震:岩手県内陸沿岸北部を震源とする地震、私のところでは、舟が揺れるようなゆったりとした揺れが、結構長く感じられた(「震度3」と発表された)。
すぐにTVをつけると、岩手で「震度6強」を記録したという。

朝になって、どれほどの被害があったのか、とTVを見たところ、怪我をされた方はかなりあったようだが、建物では外壁や天井の剥落程度で倒壊などはないらしかった。
これは数日後の調査でも同様で、最終的にも建物倒壊の報告はない。

気象庁の「震度」と「震災被害」の相関についての「震度階級関連解説表」では、「震度6強では大規模な住宅被害:耐震性の低い木造住宅では倒壊するものが多い」と説明されているが、今回の地震では、「震度6強」であるにもかかわらず建物の倒壊被害がなく、実態と「解説」がかけ離れていたことになる。

このような「現象」が生じたことの「理由」については、二つ挙げられている。
一つは、先の「震災被害と震度の相関解説表の記述」自体の問題。
現在の「解説表」の記述内容は、「阪神・淡路地震」の被災状況をもとに改訂されたものだったらしいが、「中越地震」、「福岡県西部沖地震」等それ以後の各地の地震における家屋の被害情報や地震波を再検証し、建物が損壊する詳しい仕組みなどの研究成果も交え、ここで改めて見直しをはかるという。

   註 この点については、気象庁発表の
      「7月24日00時26分の岩手県沿岸北部の地震について(第4報)」参照 

もう一つ挙げられている「理由」は、今回の地震の震源が、地表から100km以上というとてつもなく深い所にあり、「その結果、建物に対して被害を与えることが少ない短周期振動が卓越していた:いわゆるキラーパルスではなかった」からだ、というもの。
この説明は、私にはよく分らなかった。
というのも、先日の「岩手・宮城内陸地震」の震源深さは僅か10kmでありながら、やはり「短周期振動が卓越していた」と言われているからだ。
震源の深さと地震の揺れの「周期」とは、相関しているのか、していないのか、よく分らないのである。

これらのことを含めての私の感想

◇感想-1
現在各地で行われている「耐震補強」は、建物の各方向に(間口方向、奥行方向それぞれに)、「阪神・淡路地震の際に建物にかかった力と同程度の大きさの外力に耐えることのできる『耐力壁』を設ける」という方策の筈。それがいわゆる「震度6強の地震に耐える補強」。
ところが、今回の地震の強さ:力の加速度は、阪神・淡路をかなり上回っていたという。それでいて建物倒壊例はない。
一方で、先の気象庁の報告だと、現地で「這って歩けない」「歩けないからベッドにしゃがみこんだ」などの証言が得られ、それは明らかに「震度6強」相当の揺れであるという。
そして、短周期震動が卓越していたから、建物倒壊はなかったのだ、と「解説」される。

ということは、これが、キラーパルスが卓越している地震だったならば、「阪神・淡路地震対応の耐震補強」では耐えられず、多大な建物被害が生じたことになる。
そうなると、今行なわれている「耐震補強」は、はたして信用できるものなのか、はなはだ疑問に感じざるを得ないのである。

要するに、現在なされている「耐震補強」策は、「建物が損壊する詳しい仕組み」についての「検証」が未だなされていない、わかっていないまま、立てられた策だということ。

もしも本当に地震に対するのであるのならば(「対震」)、「建物が損壊する詳しい仕組み」を先ず明らかにし、やみくもに「補強」をするのではなく、建物がキラーパルスに「共鳴しない策」を考える方が妥当ではないか、と考えたくなる。

◇感想-2
おそらく、日本のかつての工人たちは、度重なる大地震の様態が毎回異なることを体感していて(地震計などに拠ったのではなく、あくまでも「体感」し、自らの眼で「観察」したのである)、その「体感・体験・経験」に基づいて、「どんな地震にも一定程度対応でき、壊滅的な破損には至らない工法」(「耐える工法」ではない!)を考案するに至った、と考えることができるのではなかろうか。それが、いわゆる「伝統工法」、私の言葉で言えば「一体化・立体化工法」だったのだ。

私がそのように思うのは、阪神・淡路地震でも、先回および今回の東北地方の地震でも、しっかりとつくられた「一体化・立体化工法」による建物は、大きな被災を免れているからである。

   註 言うまでもなく、
     「近代科学」がなければものごとを理解することができない、
      などと考えるのは間違いだ。
      それは、「近代科学」の誕生の経緯を考えれば自明である。
      同様のことは下記その他でも触れている。
      「『冬』とは何か・・・・ことば・概念・リアリティ」
      「鋳鉄の柱と梁で建てた7階建ての建物・・・・世界最初のⅠ型梁」
      「東大寺南大門・・・・直観による把握、《科学》による把握」 

◇感想-3
現在行われている「耐震診断」の根拠もまた、「耐震補強」の前提同様、「建物の各方向(間口方向、奥行方向それぞれ)に存在する耐力壁の量が、阪神・淡路地震で発生したと同じ大きさの力に耐えられるかどうか」で判断する、という考え方。
しかし「耐えるべき」外力の大きさはあくまでも「阪神・淡路地震」同等のもの。もしもそれ以上の大きさの外力だったら不可ということになる。
ところが今回の地震は、力の大きさは阪神・淡路のそれよりも強大であった。もしも今回の地震の震動周期が長いものだったら、「耐震診断」自体も役に立たなかったはず・・・・・。

さらに、「一体化・立体化工法」の建物に、現行の「耐震診断法」を適用すると「矛盾」が生じる:実態に合わないことは、各地で指摘されている。
たとえば、滋賀県建築士会では、この「診断法」を「一体化・立体化工法」すなわちいわゆる「伝統工法」でつくられた建物に適用することの「危険性」を、周知徹底するように心がけているという。
滋賀県には、都会化してしまった地域に比して、「一体化・立体化工法」すなわちいわゆる「伝統工法」でつくられた建物が多いからだろう。

今回の地震は、現行の「耐震診断」「耐震補強」に対して、そして何よりも現行の「耐震の考え方」に対して、「警告」を発してくれたように感じるのは私だけだろうか。

◇感想-4
先回と今回の東北地域で起きた地震で目立ったのは、天井の剥落。ボード類を打ち上げた天井が、各所で落ちている。
もっとも、最近、地震でなくても、こういう仕様の天井の落下事故が多いようだ。

私もこういう仕様の設計を、ある時期までは、あたりまえのようにやっていた。
しかし、あるとき、スギの無垢板の打上げ天井の現場に立会い、二度と打上げ天井はやめようと考えた。それは、打ち上げる作業の大変さを目の当たりにしたからである。
上向きで、材料を支えながら釘を打つという作業には「無理」がある。軽いボード類でもそれは同じ。そういう無理な姿勢を強いる必要はないはずだ。

   註 軽く脆いボード類の場合、少しの震動でも、取り付け孔は
      容易に破損する。多分それが天井落下の原因だろう。
      もしかすると、釘・ビスが劣化していたかもしれない。
      プールなどだったら、たとえステンレス製と言えども錆びる。

かつて、日本の工法では、原則として、作業は「下向きで行なう」、つまり、「普通の姿勢で行なう」のがあたりまえだった。
「竿縁天井」は、そのよい例だろう。先ず「竿縁」を渡し、その上に「天井板」を敷き並べる。上を向いての作業は先ず必要ない。
天井板に絵や彩色が施される場合も、下で作業をして、できたものを上へ持ち上げ、「支持材」:「竿縁」や「格子縁」上に載せる。むしろ、絵師には、上を見上げたときの姿を想像して下で作業するコツの方が問われた。

第一、「仕上げ材」を「支持材」に「載せる」方が、確実に安全である。「支持材」自体が外に表れ、それをいい加減に設置することはあり得ないからだ。

では、このような打上げ天井が流行ったのはなぜだろうか。
それは、「作業工程」を度外視し、専ら、出来上がりの「見えがかり」だけを重視する設計:「書割り」で恰好をつける設計:が「一般化」してしまったからだろう。[文言更改 7月27日 12.08]
「材料」と「作業工程」を考え、そして「出来上がり」も格好よく・・・・、これを考えるのが「設計」であり、「デザイン」の本義・原義ではないだろうか。
明治年間、「建築学講義録」を著した滝大吉の、「建築学とは木石などの如き自然の品や煉化石瓦の如き自然の品に人の力を加へて製したる品を成丈恰好能く丈夫にして無汰の生せぬ様建物に用ゆる事を工夫する学問」という言葉を思い出す。

   註 「実業家」・・・・「職人」が実業家だった頃」参照

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