暑中お見舞い申し上げます

2015-07-20 15:58:33 | その他


暑中お見舞い申し上げます

ここ数日、暑い日が続いていましたが、幸いなことに、今日の当地方は、30度前後で推移しています。
東風:「やませ」(冷たい海風)が入っているからのようです。

このところ、仕事は午前中の一・二時間に限ることにしています。夏休みモードです。
   ただ、朝夕のリハビリ散歩(朝1㎞、夕方2㎞ほど)は、樹林近くの木陰のコースを選んで、休まずに続けています。
   手足のしびれによるマイナスを補うために、筋力の維持が必須だからです。

「中世ケントの家々」の続きが気になっているのですが、締め切り仕事でないことをいいことに、無理はしないことにします。そのため、次回まで、かなり間が空きますがご容赦ください。

まだ、暑さはこれからが本番のようです。皆様、くれぐれもご自愛ください
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ご挨拶

2015-05-29 09:30:18 | その他

ウノハナが咲き、ホトトギスがけたたましく啼く季節になりました。

一昨日、姉の納骨も済み、諸種の事務的整理もおおよそ目途が付いてきました。

遅れていたブログ更新工事に、これからとりかかります。
    


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ご挨拶

2015-04-29 13:55:07 | その他

小生宅南側の柿の若葉です。ケヤキをはじめ諸々の木々の若芽も鮮やかです。好い季節です。

ブログ更新、休ませていただいておりましたが、連休明け頃から再開の予定です。

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おことわり

2015-04-21 16:20:34 | その他
お読みいただいている皆様へ

一昨 4月19日昼、かねて病気療養中であった姉が
永い旅路につきました。

何かとありますので
しばらく、ブログの更新を休ませていただきます。
よろしくご了承ください。

4月21日
下山 眞司

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編集作業中です・・・。

2015-02-09 14:21:24 | その他

庭先には、常連のホオジロ、ヒヨドリのほかに、ジョウビタキ、ツグミも顔を出します。
写真は、昼過ぎの庭で地面をほじくり何かを探しているツグミ。
[写真追加]

今冬の寒さは、今が「底」なのかもしれませんね。
陽の差す昼間でも、空気が冷え込んで、関節・筋肉が痛み、さすがにこたえます。動きも鈍くなり、折角の回復が退行したのか、と思うときさえあります。
しかし、土筆が土を押し上げていたよ、との便りもあり、もう少しの辛抱なのでしょう。
     ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「中世ケントの家々」の紹介の続き、ただいま、読解に難儀しつつも進めております。もう少し時間を・・・。

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今年もよろしく

2015-01-01 09:06:40 | その他
夫天地者万物之逆旅也 光陰者百代之過客也 ・・・

昼間でもほの暗い林の奥が、陽が斜めに差しこむ朝の一時、明るく輝きます。
先ほどまで溢れんばかりに餌台に集まり囀っていたホオジロたちは、人影に驚き、一斉に飛び立ってしまいました。
拙宅南側に拡がる雑木林。
キジ、コジュケイが暮し、時折 タヌキやウサギも顔を見せます。

今年もよろしくお願いします。
 
    2015年正月  下山 眞司

元日の各紙の社説を web 版で読みました。読みごたえがあったのは東京新聞でした。下にリンクします。[3日 10.30 追記]
元日付東京社説

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立 秋

2014-08-08 15:00:00 | その他


昨日は立秋
午前中の涼しい頃を見計らって、椎名家に行ってきました。
いつもは戸が開いているのですが、閉まっていました。案内では金・土・日が指定されていますが、普段はいつでも自由だったのです。
しかしそれはそれでよし。
前面の庭は膝ぐらいまでの雑草が茂っていました。その写真です。

庭は、まわりの林から、何かが出てきて寄合でも開いていそうな、そんな感じでした。
しかし、私が逢えたのは、・・・・多数のやぶ蚊・・。

今日は昼前後から久しぶりに俄か雨。乾ききり土煙りを立てていた畑の土も喜んだでしょう。
ここ2週間ほど、当地ではまったく雨がなかったのです。

雷雲は、北から来ても西から来ても、いつも出島の手前で雲散霧消・・・。ことによると筑波山系がバリアなのかもしれません。
今日は、だから、ほんとに久しぶりの、まさに慈雨。おかげで気温も下がりました。

いま、ミンミンゼミが賑やかに鳴いています。暑さはまだ続くようです。

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敗戦記念日

2013-08-15 14:50:02 | その他
[ web 版 リンク追加 17日8.20]

68年前の8月15日、私は、疎開先の山梨県竜王町にいました。甲府盆地の西端に在る町です。暑かったです。

私と同じく、68年前8歳であった方が、終戦ではなく敗戦と言うべきだ、と新聞に投稿されていました。
先日紹介した毎日新聞コラム「発信箱」に、「・・・言葉には霊力が宿り、その言葉通りのことが起きる[という]日本古来の伝統が、原発事故以降、頭の片隅にひっかかっている。・・・」という一節がありました。
その「伝統」を、戦時中、為政者は「為に」使ってきたように思います。戦時中、耳にしたのは「神国日本」、危急の場合には「神風」が吹くと喧伝し、挙句の果ては特攻隊を神風に仕立て上げようとした・・・。
そして今、そういう時代を懐かしい、あるいは望ましい、その時代に戻りたい、と思う人が、特に政治家に、増えているようです。その「気分」は、「原発再稼働」を望む「方向」に連なります。まさに、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」です。

過去の事象が、いかなる意味を持つか、その認識を欠いたまま平然として、明日を迎える、これが習慣化しているように思います。「歴史」認識の欠落。「歴史」を「過去の栄光」とだけ見做し、「意味」を考えない人たちが増えているのかもしれません。
   教育の場面で、「歴史」教科を単なる「暗記科目」に貶めてきた「結果」かもしれません。

今日の毎日新聞に、同じ敗戦国であるドイツが戦後に執った行動が紹介されていました。ドイツの新聞記者へのインタビュー記事です。
その「行動」を知って、日本が未だに原発に依存しようと画策しているとき、何故ドイツが福島原発事故後、即刻「脱原発」に舵を切ったのか、その理由もよく分りました。
ドイツの為政者は(そして人びとも)、「ことの本質」から目を背けることをしないのです。
一方日本の為政者は、「本質」から目を背け、美辞麗句でごまかそうとする・・・。人びとは・・・?
特に、4段目のドイツと日本の「戦後処理」の相違点は注目してよいと思います。
ドイツの人びとは、「のど元を過ぎても熱さを忘れない」のです。一方日本は・・・ひたすら時の過ぎゆくのを待つ。人のうわさも75日・・・・。

全文を転載させていただきますが、コピーなので、読みにくいかもしれません。
web 版「そこが聞きたい」でも読めます。[追加17日 8.20]



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ご挨拶:もうじき自宅に戻ります

2013-05-12 09:13:48 | その他


夜来の雨が止み、陽が差し始めました。

多くの方にお気遣いいただきましたが、発症以来約4ヶ月、今度の火曜日14日に退院できることになりました。ご心配いただきましたことに深謝いたします。本当に有難うございました。
昨夜から、予行演習のつもりで外泊許可をもらい自宅に戻っています。

写真は朝の散歩のとき撮ったもの。逆光のためよく撮れていませんが、水蒸気の立つ畑の向うに、そろそろ終りの山藤が咲いています。
夜来の雨は、農作物には恵みであったようです。

近くの叢では雉が鳴き、空には雲雀・・・・。いい季節です。昼過ぎになれば、鳶も空を舞うでしょう。

まずは近況のご報告まで。
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ご挨拶

2013-04-28 13:56:45 | その他
ご無沙汰しております。今日28日は、一時外出で自宅に戻っています。

100%の状態まで回復したわけではありませんが、5月の中旬に退院の予定が立ちました。
しかし、外を数百メートル歩いてくるだけでへタヘタになります。
ここ3ヶ月動いていないため、体が鈍ってしまったようです。
アタマも同じなのかもしれませんね・・・・。

退院後3ヶ月の過ごし方で、「回復」に差が出るぞ、とリハビリの担当者からおどかされています。
簡単に言えば、その3ヶ月は老化の一途をたどるかどうかの分れ目だぞ、ということらしい。
退院後もしばらく外来でリハビリに通います。
「リハビリの日々」の続きは、落ち着いてからあらためて・・・。

連休に関係なく、明日も午前からリハビリがありますので、夕方病院へ帰ります。


以上、近況のご報告まで。
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リハビリの日々・・・・「自在」ということについて

2013-04-07 12:23:37 | その他
私が発症したのは1月18日の朝でした。氷点下5度以下の寒い朝でした。
その日は現場の打合せの日。いつもより少し早く犬3頭の朝の運動に2・30分つきあい、家に戻り朝食。
そこで「異変」に気付いたのです。新聞を見ていたのですが、左手で新聞をさばけない。向かいに座っていた家内が初めに気付いた。私自身も、変だと思い、あらためて左手を動かそうと試みるも、やけに手が重い。立ち上がろうとすると、左足も重い。喋る様子もおかしかったようです。
変だ、と思い、当地の基幹病院である「土浦協同病院」(JA厚生連)に「救急外来」があることを思い出し、タクシーで乗りつけ、診察の結果、脳卒中との診断。
即座にICUに入院ということに。
     「脳卒中」とは、脳梗塞と脳出血の総称のようです。
     脳梗塞は、脳内の血管がつまって脳細胞に酸素が供給されなくなり細胞が壊死してしまい、
     指令ができなくなる状態。
     脳出血は、血管が破れ、血液が脳内に溜り、脳細胞を圧迫し、指令がなされなくなる状態のこと、のようです。
     脳梗塞の方が怖いようです。

朝食時に感じた手足の重さは何なのか。
どうやらそれは、私の左手、左足の自重らしい。
つまり、健常の日々ではその自重を感じていない、ということ。
健常な日常では、手足を思う存分、「自在に」動かしていて、重さを感じていないのです。脳神経の指令で、各部の筋肉が有機的に連動して「自在に手足を動かしている」のです。だから自重を感じない。このあたりについては、次回以降、記します。
     おそらく、この有機的な動きは、人が乳幼児の頃からの体験の連続に拠って
     「身につけた」(習得した)ものではないか、と思います。

身体機能に障害が生じて、あらためて「人間の所作のありようの凄さ」に感じ入っている次第です。
その意味で、毎日のリハビリは、「自らの無知を知る日々」の連続です。
     たとえば、机の上にある鉛筆を取ろうとすると、手は何の苦もなく、動いて目的を達します。
     これは、対象が見えている場合。
     しかし、見えていなくても、できるのです。
     たとえば、左手でも右手でもどちらでも構いません。
     人差し指の先を、自分の鼻の頭にもってゆく、という動作をしてみてください。難なくできるはずです。
     これは、とてつもなく「凄い」ことではありませんか。
     ところが、入院当初、私は、右手ではできても、左手ではまったくできませんでした。
     左手は自在に動かせなくなっていたのです。
     と言うより、左手を、どこかに置き忘れてきたかの感じでした。

私の脳出血は、右側の脳内に3cm径ほどの池をつくっていたようです。そのあたりの詳しいことはよく分りませんが、右側の脳の障害は、左半身の動作の障害になるようです。私は右利きですから助かった。利き手で補えるからです。逆だったら大変だった!
     もっとも、そのため、右側で何とかしようとするため、右半身が疲れてしまい、
     リハビリのスタッフから、右側に頼るのをやめるように諭されています!
     そうしないと、左側の回復が遅れてしまうからです。

リハビリの日々は、いろいろと学ぶことがありますので、ここしばらく、日曜日の外出の際に、綴ってみようかと思います。「観察と認識」です。






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御礼:近況報告

2013-03-24 13:20:01 | その他
多くの方からお気遣いをいただき恐縮しております。御礼申し上げます。

外出許可をいただき、久しぶりにパソコンを開いています。

発症以来2ヶ月余、今はリハビリ専用病院でリハビリに専念しております。
歩行は、車椅子から解放され、杖をたよりに歩きつつ、杖なし歩行の訓練中。左手の指先の動きがいまいち、これも訓練中です。
幸い、脳の高次機能:認知、記憶、言語・・などには、マヒは生じていないようです。
願望では、あと一月程度のリハビリで復帰したい、とむしのよいことを考えていますが、どんなものでしょうか。
以上、御礼と近況報告をさせていただきました。
皆様も、健康には、くれぐれもご注意を!・・・・・2013年3月24日 下山眞司

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ご挨拶

2013-02-02 18:16:55 | その他

     ブログの更新をしばらく休みます。

     小生、先月18日、脳出血を発症し、現在入院リハビリ中です。
     左手足の自由が回復するまで、更新は休みます。
     回復は比較的順調のようですので、ご心配無用です。



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一陽来復

2013-01-01 11:17:44 | その他


大晦日は、夕方まで曇り空、時折り冷たい雨が当たりました。
今日は、快晴。
   これは、先日の快晴の朝、神社の杜を撮った写真です。

昨日の続きの今日、今日の続きの明日・・・・。
今年もよろしくお願いいたします。

ところで、暮に一番気になったこと。
時の首相は、福島を訪れたそうですが、無人の街へは足を一歩も踏み入れなかった。
先ず訪れたのが、原発の事故処理作業者の拠点になっているJヴィレッヂ。「保守」作業従事者への激励だそうです。
それが不要とは言いませんが、事故は起こるべくして起きたこと。
先ず「被害者」と「被害地」を直かに視ることではないか、と私は思いました。
そして、最後に、形だけ(のように私には思えたのですが)仮設住宅に暮さざるを得ない避難者のところを訪れた。
更に、あろうことか、福島の地で、新しく原発を設ける、と語ったそうです。
「新しい原発」は、福島第一のそれよりも安全だから(大丈夫)という「理由」が「根拠」らしい。廃棄物の処理に、何らかの「進歩」があったのでしょうか?だから、旧い原発は、皆、廃棄する、そして新しいのに変える、それで「経済」が「再生」する・・・、そう考えているのでは・・。
また、環境相兼原発事故担当大臣は、原発再稼動については「新しい安全基準」が出来次第考える、と言っているようです。原発依存から脱却するなどという馬鹿げた夢は持たない、つまり、原発に依存し続けたい、という「夢」を見ているらしい。

どうしても「経済再興」のために(一部の人の犠牲があってもいいから)「電力が欲しい」と言うことなのでしょう。
「経済」の本来の意味が忘れられている。

東京新聞の社説は、論旨が一貫してます。しかも難しいことばでくだくだ言わない。
歳の暮の「年のおわりに考える」、そして今日の「年のはじめに考える」を、転載させていただきます。
   東京新聞の社説=中日新聞の社説
また、大晦日の毎日新聞、山田孝男 氏のコラム、風知草もコピーして転載させていただきます。[追加 14.21]






数字でしかものが見えなくなる病、重症ですね。
   ここに書かれている「見かけなくなった野鳥」、幸い、皆、当地では住まいの近くまでやってきます。
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歳の暮にあたり

2012-12-30 16:11:24 | その他


あれやこれやとやっているうちに、月日はあっという間に過ぎてゆきました。
お読みいただいて有難うございました。

なかなかものごとは予定通りにはゆきません。
「日本家屋構造」の紹介、「構造編」を年内に終えるはずでしたが、あと2回分ほど残ってしまっています。

来年も、建築をめぐり、思うこと、是非紹介したいこと、などなど、
原点に立ち返る( radical な)視点を忘れることなく、書いてゆくつもりでおります。
お読みいただければ幸いです。
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