丸山変電所・・・・近代初頭のレンガ造+鉄骨トラス小屋

2006-10-28 12:07:46 | 煉瓦造建築

信越線の碓氷峠越えが廃線になってすでに久しい。横川駅から少し峠寄りの右手にレンガ造の建物が二棟ある(かつては信越線からよく見えた)。旧「丸山変電所」である。
現在は重要文化財に指定され修復されているが、今から15・6年ほど前は、廃屋同然で、屋内まで草がはびこっていた。

明治政府の東京と関西を結ぶ鉄道敷設計画は、当初、江戸時代の主要街道であった「中山道(なかせんどう)」をなぞるものだった。
しかし、当時、鉄道で碓氷峠を越えることは技術的に至難の業。そのため、中山道線の計画はとりやめになり、東京と直江津を結ぶ現在の信越線に変更される。

1885年(明治18年)高崎・横川間、1888年(明治21年)に軽井沢・直江津間が先に完成。横川・軽井沢間がアプト式を採用して開通するのは少し遅れて1893年(明治26年)のこと。普通のレールの間に歯型のついた第三のレールを敷き、機関車側の歯車をそれに噛ませて登坂する方式がアプト式。

当初、機関車は蒸気機関車。上り坂でしかも多数のトンネルがある。そのため機関士が煙にまかれる事故が多発したという。
その解決として、当区間の電化が計画され、1911年(明治44年)、横川の町はずれに火力発電所が、峠の東西の線路沿いに直流に変換する変電所がつくられた。東側のそれが「丸山変電所」である。

上掲の写真は、1990年に訪れた時の「丸山変電所」の様子(重文指定前)。機械類は撤去されて何もない。
重厚で、使われている材料それぞれの役割がきわめて明快に読み取れ、《つくりもの》《張りもの》《見せかけ》が一切ない見事な建物。仕事も細部に至るまで手抜きがない。

石積みの基礎にレンガの壁を設け、壁の頭に鉄骨のトラス梁を架けた平屋建て。鉄骨梁の受け部分には石材の座が置かれている。外壁のトラス梁の架かる位置には、レンガ1枚分のバットレス:控壁として、柱型が設けられている。
鉄骨トラスの形状も軽快で緊張感があり、無駄がなく、仕事も丁寧。
窓は一棟はスティールサッシ、もう一棟は木製。

なお、この変電所ならびに横川・軽井沢間のトンネル(26箇所)、橋脚(18箇所)に使われたレンガは、1888年(明治21年)にレンガの大量生産が開始された埼玉・深谷の「日本煉瓦製造会社」のホフマン窯製。現在は使われていないが、この窯も重要文化財に指定されている(日本煉瓦製造会社は、最近、レンガ製造から撤退したらしい)。
日本のレンガ造についても、いずれ書きたい。

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