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SURROUNDINGS について・・・・5:続・アアルトのつくる図書館

2011-12-30 17:26:15 | surroundingsについて
先回、ロヴァニエミの図書館紹介の際
・・・この図書館の閲覧スペースの「特徴」は、あたかも「書籍に囲まれ、書斎で書物に好き勝手に接してるという場景・情景」で書物に接することができる、という点にある、と私は思います。
これは、初期に設計したヴィイプリの図書館以来の、アアルトの一貫した「図書館像」である、と言ってよいでしょう(と言うより、彼の「建築像」そのもの、と言った方がよいかもしれません)。・・・
と書きました。
そのヴィイプリ( VIIPURI )の図書館を紹介します。

今回は、以下の書物を参考にしています。
  1)ALVAR AALTO Ⅰ(Les Editions d'Architecture Artemis Zurich)
  2)Architectural Monographs 4 ALVAR AALTO( Academy Editions・London )
  3)The Masters of World Architecture Series:ALVAR AALTO(George Braziller,Inc.)
  以下の図版は1)からの転載です。

この図書館は、今から80年ほど前に建てられた建物です。
1927年、競技設計でアアルトが設計者に決まり、以後敷地に変更などがあって、完成は1935年。
2)によると、アアルトの案は、ギュンナー・アスプルンド( Gunnar Asplund )のストックホルム図書館に大きく影響を受けている、とのこと。

ヴィイプリは、北緯70度近い地域にあり、図書館ができたころ、人口約90,000の町。
しかし、残念ながら、現在、この建物はありません。
ヴィイプリの町も、フィンランドではなくなっています。
1)によると、Russo-Finnish War でソ連領(現ロシア領)になり、町の名も VYBORG になり、図書館の建物は完全に破壊され、廃墟になっているといいます。
それゆえ、残された図面と何枚かの写真によってしか、その様子を知ることができません(ここに挙げた書籍に使われている写真は、すべて同じです)。

どんな所に建っているか、残念ながら地図等はなく、唯一、航空写真があります。



左側の白い直方体の建物が、図書館の建物。右上は教会。

次は、斜めからの鳥瞰。建物全体が分ります。



低い棟が入口側で、この低層部は講堂 lecture room と管理関係諸室です。

平面図・断面図をまとめた図が次の図。


外見はきわめて単純ですが、レベルが微妙に重なっているので、分りやすくするため、原図に色をかけました。
それでも分りにくい。
アアルトは、この単純な直方体の中に、実現すべき「空間」を読み取っていた、逆に言うと、彼が望んだ「空間」を、直方体にまとめ上げた、と言えばよいでしょう。
そしてそれは、きわめて明快。
その空間の構成を、二次元で表わすがゆえに、分りにくい、要するに、図面の上では分りにくい、に過ぎないのです。実際の建物の中にいる人には分りやすいのではないか、と思います。

以下に、実際の建物にいる視点で、写真をまとめます。
歩く順に①~④の番号を振りました。
①:エントランスに入ります。エントランスホールの右手には講堂:lecture room があります。エントランスホールは、その foyer の一部になっています。

library へは、階段を上がり、②に至ります。①と②の段差は1.5mほど(数字が書いてあるのですが、読めない!段数からの判断です)。
   一般に、こういう場合の段差はこの程度になります。
   日本の場合なら、1.3~1.4m(4尺5寸程度)が限度でしょう。身長、したがって目の位置が、
   西欧人よりも若干低いからです。
   こういう場合、階段に足をかける前に、行く先の踊り場の床面が目に入ることが必須と言えるようです。
   想像していただければ分りますが、踊り場床面が目に入らないと、階段は、目の前のバリアになってしまいます。
   つまり、隔壁になる。駅の階段は、やむを得ないから登る。しかし、こういう用途の建物ではバリアになるのです。
   以前、帝国ホテルのロビーを紹介しましたが、そこでも、踊り場:行く先は目線の中に入っています。
     法規の規定どおり踊り場は3m以内にあればいい、というような単純な話ではありません。
     階段については、あらためて書こうか、と思います。

エントランスホールを、②のA位置から振り返って見たのが次の写真です。



写真の様子から、工事終了時に撮られたのだと思われます。

なお、②の位置が断面図のどこにあたるかを示すために、平面図と断面図に * 印を付けてあります。

library に向うには、曲った壁に沿って右へ曲がり、階段を登ります。階段の上り端Bで撮ったのが次。



この階段も、バリアにはなっていません。
それは、段数が少ないこともありますが、この階段の上り端が、library の大きな空間の端に少し入った位置にあるからです。
つまり、②で曲った壁に沿って向きを変えたとき、すでに library の空間の中に入っているのです。
写真に写っている円はトップライト。
壁際に書架が並んでいます。

この階段を登りきったところは、library の下段。library はロヴァニエミの図書館と同じ構成です。
写真をよく見ると、下段部分の書架と上段部の書架が重なって見えていることが分ります。
この階段を登っている人の心情を想像してみてください。期待で歩が速まる、そんな気分になるのではないでしょうか。

そして③に至ります。
目の前に下段の書架に囲まれた空間が広がります。
けれども、来館者は、きびすを返してまだ階段を登ります。登ったところ④に control desk があり、入館が了承されます。後は、館内自由です。
振り返ってCから Library 全体を見たのが次の写真。



同じレベル:上段のD、Eから Library を見たのが次の2枚。
これで Library の全体がつかめます。





下の写真に見える control desk の向う側には、一段降りて reading room が広がります。
天井の高さが切り替わっていることに留意してください(断面図参照)。
   このとき、もしも天井が同一だったらどうなるかを想像することによって、天井切替の意味が分ります。
   実は、こういう「想像の作業」が、設計図を見るときの重要な行為である、と私は思っています。
   それによって、「見る」が「観る」に深化できる、と思うからです。

この空間のつくり方は、その後のアアルトのつくる図書館では、常に見ることができます。 

次はFから見た children's library の全景です。




2)Architectural Monographs 4 ALVAR AALTO には、別の断面図がありましたので、次に載せます。



上は、先の断面図とは逆に切った断面。左が library 、右が reading room 。
下は、左がエントランス側、library の中央部の断面です。この図の右下は children's library 。

ここまで、場所の表記を英語で示してきました。
それは、原本に、 library 、reading room とあり、訳語に悩んだからです。普通は、 library =図書館、reading room =閲覧室となります。
しかし、原本で library とされている所は、通常、日本語では「開架書庫・開架書架」などと呼ばれる場所で、それを「図書館」と呼ぶのは奇妙です。
端的に言えば、日本の図書館には、ロヴァニエミやヴィイプリの図書館のような空間が存在せず、適切な用語がない、ということです。

あらためて library の語義を調べてみると、原義には「書斎」という意味が含まれます。
つまり、ロヴァニエミやヴィイプリの図書館、と言うより、アアルトのつくる図書館は、public library 、すなわち「公共の書斎」を目指している、と理解すれば、納得がゆくのではないか、と思います。


ただ、ヴィイプリの図書館の reading room は、理解に苦しみます。
reading room の読書席は、次の写真のようになっていますが、まるで教室です。これでは読書に没頭できない。
 


おそらく、アアルト自身もそう思ったに違いなく、こういう reading room は、これがはじめで最後、以降のアアルトがつくる図書館では見られません。
また library の大きさも、ヴィイプリの図書館よりも小さくなります。
書物に接する空間、書斎になる空間の大きさには、一定の限度がある、と考えたものと思われます。ヴィイプリは、大きすぎた、と考えたのではないでしょうか。

ロヴァニエミの図書館の library をいくつかの房に分ける方式は、多分、そういうところからの結論だったのだと思います。
この考えは、大学の図書館のような、規模の大きい図書館でも同じです(いづれ紹介したいと思います)。


最後に、講堂の内観。



この天井はダテではありません。それを解説する図が下図。


同様に、トップライトもダテではありません、トップライトの計画のスケッチが下図です。満遍なく明るさを、という計画です。



   ことによると、無段差=バリアフリー、という「考え」をお持ちの方には、
   これほどひどい建物はない、と見えるでしょう。
   しかし、無段差=バリアフリーというのは、点字ブロックをう設置すればバリアフリーと言うのと同じで、
   あまりにも安易だ、と私は思っています。
   この点についても、いずれ書きたいと思っています。


今年は、今回で終りにいたします。
よい年になりますように。
また来年もお読みいただければ幸いです。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

蛇足

建「物」の設計ではなく、「 surroundings の改変」の「設計」である、ということを、ごくあたりまえのこととして実行している設計の例として、アアルトの設計事例をいくつか紹介しています。
しかし、「 surroundings の改変=建築」という考え方について言うのに、本当は、何もアアルトを持ち出さなくてもよいのです。 
なぜなら、このシリーズの2回目に書いたように、中世末期から近世にかけてつくられた多くの日本の建物は、階級の上下を問わず、「建物をつくることは surroundings の改変である」という「事実」を、当たり前のこととして認識してつくられていた、と考えられるからです。
残念ながら、多くの方がたは、日本で為されていることを知ろうとせず、知っていても認めず、それゆえに観ようともせず、ひたすら、国外、特に西欧(最近ではアメリカ)の事例を「ベター」と考える悪弊があります
これは、すでに遠藤 新 氏も述べていることです。

   ・・・・
   かつてブルーノ・タウトは桂の離宮を絶賛したと聞いております。
   そして日本人は今さらのように桂の離宮を見直して、タウトのひそみに倣うて遅れざらんとしたようです。
   ・・・・
      タウトが語らなければ、桂離宮は、とうの昔になくなっています!
      明治以降の日本の「知識人」の「発想」の惨めさの代表です。
      
そんなわけで、西欧の人も、surroundings を考えている、ということを知っていただくために、アアルトを紹介しているのです。
実は、あのミース・ファン・デル・ローエもコルビュジェも、初期には、surroundings の造成を考えた素晴らしい事例をいくつも設計しているのです。
その事実が、多くの人びとに知られていない、というより、多くの人びとが知ろうとしない、だけなのです。
これは、日本で教えられている近代建築史の重大な欠陥によるところが大きい、と私は思っています(いずれ紹介したいと思っています)。
   この点については、「SURROUNDINGS について・・・・1」でも、すでに触れています。
 
最近、このブログに、「待庵」の検索で寄られる方が多いようです。茶室「待庵」についての資料集めなのかもしれません。
「待庵」について触れたときにも、私は単に「待庵」という建「物」についての紹介に終えたつもりはありません。
誰が、なぜ、あの時、あの場所に、あのような「空間・場所」をつくろうとしたのか、その視点で観ないと、あの建物は理解できないはずだからです(いかなる建物でも同じです)。つまり、5W1Hの問いで考えてみる、ということです.
「待庵」には、「 surroundings 」についての、当時の人びとの「考え」が、見事に凝縮している、それが私の理解です。

たとえば、「待庵」を、どこかの博物館などに移築、あるいは等寸の模型をつくり展示することは可能です。
しかし、それでは、「待庵」の「意味」「本質」は失せてしまいます。残念ながら、多くの「待庵」の「解説」は、「どこに在っても待庵が在り得る」、という内容になっています。
しかし、それでは、もしも「待庵」に口があったならば、嘆くに違いありません。「違う」「違う」、「勝手なことを言ってくれるな」と。

そのあたりのことについて、数年前に、「心象風景の造成」として少しばかり詳しく触れています。下記です。お時間があるときに、読んでいただければ幸いです。
   心象風景とは、私たちが、ある具体的な場所にいるときに、
   つまり、私たちを囲む surroundings により、
   私たちの心のうちに生まれる「感懐」のことを言っています。
   この風景は、常に同じではありません。
   同じ場所でも、そのときどきの私たちのありようによって、「風景」は変ります。
      「日本の建築技術の展開-16・・・・心象風景の造成・その1
      「日本の建築技術の展開-16の補足
      「日本の建築技術の展開-17・・・・心象風景の造成・その2
      「日本の建築技術の展開-17の補足
      「日本の建築技術の展開-18・・・・心象風景の造成・その3
      「日本の建築技術の展開-19・・・・心象風景の造成・その4
      「日本の建築技術の展開-20・・・・心象風景の造成・その5
      「日本の建築技術の展開-21・・・・心象風景の造成・その6」   

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SURROUNDINGSについて・・・・4:先回の補遺・アアルトのつくる図書館

2011-12-13 01:20:06 | surroundingsについて
進行中の設計の大詰め、図面の各種喰い違いや手直しで、毎日日が暮れています。そんなわけで間があいてしまいました。 

  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

先回の終りに、アアルトの図書館のスケッチを紹介しました。
今回は、そのスケッチを基に実現した図書館を紹介します。
アアルトの設計事例集:ALVAR AALTO Ⅱ:からの転載です。

この図書館は、フィンランドのラップランド( Lapland )のロヴァニエミ( Rovaniemi )にあるラップランド地域の中央図書館です。
同書にあるこの図書館の解説を、そのまま転載します。

ラップランドの開発にともなうものと思われます。ラップランドはきわめて寒い地域です。

できあがった図書館の平面図と前回紹介したスケッチを再掲します。





この平面図をはじめて見た方は、「いったい、この形は何だ」と思われるに違いありません。普段見慣れた《(日本の)現代建築》とまったく異なるからです。《現代建築》では、こんな「形(の平面図)」は、描かれるはずもない、あまりにも「珍奇だ」!
まして、CADではできない!?

しかし、これを見ると、先に紹介したスケッチがダテでない、考えていたことが「具体化されている」、ということがよく分ると思います。
では、アアルトは、何を「考えていた」のでしょうか。

図書館に近づくと、こんな姿が見えてきます。平面図の右手、①のあたりからの姿。



アーケードに沿って、入口に至ります。
おそらく、この手前側に、人びとが暮す一帯があるのでしょう。
残念ながら、一帯の地図がないので、どういう立地なのかが分りませんが、暮す地域から見渡すことができる低い丘の上にあるのではないか、と思います。
そう考えれば、こういうスケッチが描かれる謂れが納得ゆくからです。

スケッチで考えていたのとはアプローチのルートが変わっています。
ただ、こういう SURROUNDINGS に置かれた場合の人の動きを考えると、ごく自然です。
きっと、案内板などいらないはずです。足の赴くままに歩を進めると、建物・図書館に着いている。当然、人の気持ちに「ささくれ」などは生じないでしょう。


入口を入ると、人を取り囲むのは、以下の写真のような SURROUNDINGS です。

内部は、一つの天井の下、5個の房のように分かれた閲覧スペースが、入口のレベルと、そこから一段下ったレベルの2段で構成されています。
その内の一番大きい閲覧スペースを、②の位置(高いレベル)から見たのが次の写真です。
以下の写真で分りますが、この図書館では、何処にいても全体が見渡せます。
つまり、人は、自分が今何処にいるか(入口から歩いて今は何処にいるか)、比定することができます。
このことは、現今の日本の「公共建築」で見かける「案内表示」がまったく掲げられていないことで分ります。



左手に、メインカウンターが見えます。リファレンスや貸出しは、ここで行うのです。
別の場所にある「管理・事務室」と離れて、閲覧スペースの中に、メインカウンターが「島」になって在る、これはアアルトのつくる図書館に共通するように思います。
日本の多くの図書館のそれと比べてみてください。
日本の多くは、管理の「便宜」のためか、管理・事務室の「縁」にカウンターが在るのが普通です。
つまり、「用のある者はこっちに来い」というのが普通、「用のある」人たちの側に、管理者が進んで入る、というのがアアルトの図書館。
これは「サービス」ということについての「考え方の違い」に拠るものでしょう。

この大きい閲覧スペースは、2つのブロック:房に別れています。

奥の方、③のあたりからメインカウンターの方を振り返ってみたのが、次の写真。



この図書館の閲覧スペースの「特徴」は、あたかも「書籍に囲まれ、書斎で書物に好き勝手に接してるという場景・情景」で書物に接することができる、という点にある、と私は思います。
これは、初期に設計したヴィープリの図書館以来の、アアルトの一貫した「図書館像」である、と言ってよいでしょう(と言うより、彼の「建築像」そのもの、と言った方がよいかもしれません)。
この図書館の閲覧スペースを「五つの房」に分けたのも、「書籍に囲まれ、書斎で書物に好き勝手に接してるという場景・情景」は、広漠とした空間ではつくり得ない、という判断があったからだ、と私は思います。
つまり、あらゆる場景・場景は、「それなりの(大きさの) SURROUNDINGS 」が用意されなければならない、ということです。
「それなり」とは、たとえば、「本に接するなら」、あるいは「診察を受けるなら」・・・と言った「それなり」です。


多分、子どもたちの閲覧スペースと思われるのが、④から見た写真。



入口レベルから一段下った空間、それでいて「上の空間の内」にある、これがこの場所の言いようのないすばらしい場景・場景を生みだしているのだと思います。

次は、⑤から見た写真で、ハイサイドと閲覧スペースの関係が分ります。




このように構成され建物は、外から見ると次のようになります。⑥のあたりから見ています。
ハイサイドが分ります。




この建物には、かつては当たりまえであった、しかし《現代建築》が忘れ捨ててしまった、「建物をつくることの意味」が、ごく自然に表出されている、と私は思います。
アアルトの設計事例は、すべて、「当たりまえ」である、「人の感性に信を置いている」と言って過言でない、と私は思っています。

建物は「《形》の追求」から始まるのではなく、「あるべき場景・場景となるべき SURROUNDINGS の追求」の「結果」、初めて生まれるのです。それが「形の謂れ」にほかなりません。

次回も、更に、アアルトの建物を紹介します。
なぜなら、「現在が忘れてしまった『形の謂れ』」を考えるには、最適だ、と考えるからです。
「単なる建築家の思いつき・《好み》」で建物の「形」がでつくられてしまうのは、「犯罪」に等しい、と私は思っています。それは、人びとにとって最大の不幸です。「理解不能」だからです

  蛇足
  江東図書館の設計では、いろいろと考えましたが、当たりまえですが、アアルトの域には
  到底達し得ませんでした。

  追記
  日本のアニメと西欧のアニメの大きな違いは、日本のそれが「背景」を重視していることだそうです。
  西欧では、キャラクターそのものに集中し、背景は重視しない、とのこと。
  背景とは、すなわち「場景・情景」、 SURROUNDINGS にほかなりません。
  ところが、建築の世界では《西欧化》が進み、 SURROUNDINGS を考えなくなった!
  これは、「建築」の本質に悖る(もとる)ことです。私はそう思います。 

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SURROUNDINGSについて・・・・3:ある学校の図書室を見て

2011-11-29 22:10:30 | surroundingsについて
[註追加 30日 8.08][註追加 30日8.55][註追加 30日 18.20][文言改訂 2日 11.55]




先般、ある小学校を見る機会がありました。
老朽化した建物の改築を施した学校です。改装部分と新築部分とが共存していました。

写真や図面を出すと特定できてしまいますので、言葉だけで説明させていただきます。
それゆえ、多少分りにくいかもしれません。

まず感じたこと。
それは新しく建てられた校舎よりも、改装した元の校舎の方が「馴染める」雰囲気であったことです。
それは単に、私が、昔ながらの学校を知っている、あるいは見慣れている、ゆえではありません。
なぜそう思えるのか。
それは、一言で言えば、「空間のつくりかたが奇妙」だからです。

その極めつけは、図書室でした。
南北に走る廊下の東側に沿って、長手が8間、短手が5間ほどの大きさの細長い部屋(特別教室や職員室にある形で、ここは多分、元職員室か)があり、そこが図書室に改装されていました。部屋の東面:長手が外庭に接していることになります。
部屋の南寄りに、廊下からの出入口(引き戸)が一箇所ありました。[文言改訂 2日 11.55]

入口の引戸を開けると、まず目に飛び込んできたのは、昇降口の下駄箱のように並んでいる書架群。
目線方向に、長さ2間ほどの低書架(高さ1.2mか)が1.5m間隔ぐらいに10列ほど並んでいました。
その櫛の歯をすり抜けた奥の窓際に閲覧席があるようでした。
「あるようでした」と書いたのは、私の目線でも、その席が確認できなかったからです。書架がそこまで続いていないから、多分机があるのだろう、と感じたのです。
つまり、子どもの目線だったら、見えない。

思わず、こういう書架の配置は誰が決めたのですか、と尋ねてしまいました。
最終的には、設計者が決めたとのこと。

たしかに、部屋の中央部より明るい窓際の方が本を見るには明るさがちょうどいい。
このような配置にしたのは、多分、この点で決まったのではないか、と私には思えました。
「この部屋のことだけ」考えればそれもいいでしょう。
しかし、子どもたちはこの部屋に「住み着いている」わけではありません。何処からか、この部屋へ来るのです。ドラえもんならいざ知らず、気がついたら突然部屋の中に居た、などということはあり得ず、かならず「何処からか歩いて来る」のです。

この「何処からか歩いて来る」という動作・行為は、本来、それぞれの人・子どもたち自身の「感覚」で為されることであるはずなのですが、最近はそれを無視することが普通になってきています。
これは、かなり昔、迷子になる病院の例でも書きました。
簡単に言えば、案内標識があれば(ありさえすれば)、目的地を訪れることができる、と考えるのがあたりまえのようになってしまっています。
これは、自分の感覚に拠る判断ではなく、カーナビの「指示」に拠り車を動かすのが当たりまえ、というのと同じです。

   註 [追加 30日 8.08]
   それが当たりまえになってしまった理由の一つは、
   私たちの暮す SURROUNDINGS の様態が、
   私たちの「感覚」に拠る「判断」を受け容れない姿になっているからです。
   そういう「様態」の造成に深く係わっているのが、
   実は建築や都市計画に係わっている人たちなのです。
   これは「悲劇」「喜劇」以外の何ものでもありません。

   註 [追加 30日 18.20]
   こうなってしまった原因の一つに、《設計ソフト》に拠る「設計」があるように思っています。[文言改訂 2日 11.55]
   設計という「営為」が、「ゲーム感覚」で処理される傾向にある、そのように私には思えるのです。
   「現実」に対して自らの「実感」を通じての「反応」に拠るのではなく、
   「設計ソフト」が表示する「モニター上の情報」への「反応」でことを決めてよしとする、
   どうもそういう傾向を感じるのです。
   そこでは、「人(の豊かな感性)」が疎んじられています。
   このことについては、現在設計中の事例の構造設計の面で、いたく感じていますので、
   いずれ、詳細に報告させていただきます。
   
さらに言えば、「図書室」という表示があれば、そこが「図書室になる」とさえ思うようになってしまっている。
これは、今の多くの建物では、「図書室」を他の用途の場所名に変えても「通用」するほど「当たりまえ」になっています。

このような「考えかた」は、この学校のいたるところで見受けられました。つまり、設計者が、それで当たりまえだと思っている、ということになります。

考えてみれば(考えて見なくたって)、これは怖ろしいことなのです。
感受性豊かな子どもたちの過ごす場所が、
子どもたち自身の「感覚」で行動できない場所になっている
そういう場所を、大人が、しかも専門家と称する人たちがつくってしまっているのです。

この小学校では、いたるところに、いわゆる《デザイン》がされていました。
たとえば、校門から校舎への通路には、舗装で「模様」が描かれています。
しかし、その「模様」の意味、そう描かれなければならない謂れが見当たらない。
第一、少なくとも、歩いていて、その「模様」が何かを訴えかけてくる、そういうことはまったくない。
もっと言えば、「模様」があるのさえ気づかないかもしれません。なぜ、ここだけ色が変っているのだろう、ぐらいにしか思わないかもしれない。

おそらく、空中から見たら「絵」が見えるのかもしれません。
設計者は、机の上の紙の上を見て、「デザイン」したのです。
しかし、子どもたちは、人は、空中を散歩しているのではないのです。歩いている人に、それは見えない。当然「意味」も分らない。
第一、はたして「意味」があるのかさえ、疑わしいのです。

私は、かねてから、1960年代の建物の「質」は、今のそれに比べ、数等高い、と思っています。そう書いてもきました。
その理由は簡単です。
お金がなかったからです。工費が廉い。
したがって、少ない工費をどう「有効に」使うか、が設計者の腕のみせどころだったからです。
今は違います(もちろん、すべてではありませんが)。
「有効」の意味を考えなくなり、お金が「別のところ」に使われてしまっているのです。
たとえば、この小学校の昇降口の庇には、手の込んだ金属製の庇がつくられていました。
そういうお金の使い方をする一方で、各部屋のつくりは決して「豊か」にはなっていません。むしろ、「ささくれだって」いる。もう少し、神経使ってよ、と言いたくなるほどでした。
子どもたちの接する場所が、子どもたちに、もちろん私にも、馴染めるものではないのです。
私が、旧校舎の部分に行ってほっとしたのは、そこが馴染める空間だったからなのです。空間の形状からして、馴染める形なのです。
旧校舎は、戦前からの校舎建築を継承したものと思われます。
戦前の校舎建築、それは、それぞれの地域の「宝物」でした。人びとの「住まい」の延長上に、自分たちの「逸品の場所」としてつくられていたのです。
それが、人びとに馴染めないものになるわけがないではありませんか!

建物づくりに係わる人たちは、もう一度、私たちにとって建物は何なのか、あらためて考え直してみなければならない、私はそう思っています。
そうしないと、先に「理解不能」として指弾した「建築家」たちと同じレベルになってしまうと思うからです。
あの「理解不能な建築家」たちを、「目標」にしてはならないのです。特に、若い人に向けて、そう言いたいのです。

  註 なお、この点について、別の書き方で10数回、昨年の今頃書いています(下記)。お読みいただければ幸いです。
    [追加 30日8.55]
    「建物をつくるとはどういうことか」シリーズ
    シリーズ各回の内容は、「建物をつくるとはどういうことか-16」末尾にまとめてあります。
    

冒頭に掲げた図は、アアルトが、ある図書館を設計するときに描いたスケッチです。
最初の1枚は設計にとりかかった頃のもの。
2枚目は、もう少し思考・設計が進んだときのものです。

ここから、「その場所」にどのような場所・空間が、つまり、どのような SURROUNDINGS が用意されなければならないか、人は、どのようにその場所を訪れるのがよいか、それに続く内部は、どのように人の前に展開するのがよいか、・・・そういったさまざまな「思考(の過程)」が読み取れる、と私は思います。
これは、先回例に挙げたカレー邸のスケッチと、まったく変りはありません。常に、目の前に現れる(はずの) SURROUNDINGS を「設計」しているのです。考えているのです。

   註 [追加 30日8.55]
   アアルトの設計した建物は、独特の形をとる場合がありますが、
   その「形の謂れ」をも、これらのスケッチは示しています。
     アアルトの建物の形は、フィンランドのフィヨルドを模したものだ、
     などという珍奇な説があります!

彼の設計した図書館には、玄関入ったら直ぐに書架、などというのはありません。
長いこと居たくなる、いろいろと本を手にとって見たくなる、そういう図書館です。それこそが図書館ではないか、と私は思います。
ひるがえって、私の見た小学校の図書室は、子どもたちに本に接することがイヤになることを奨めているような場所。人の過ごす SURROUNDINGS になっていないのです。

アアルトはいろいろな建物をつくっていますが、その残されたスケッチは、いつもこういう調子で描かれています。
次回も、その例を挙げたいと思います。


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SURROUNDINGS について・・・・2:先回の補遺

2011-11-15 20:52:15 | surroundingsについて
[文言追加 16日1.45]

先回のおしまいに、アアルトのカレー邸のスケッチを紹介させていただきました。

しかし、アアルトのカレー邸と言っても、知らない方が多いのではないでしょうか。
ライトの落水荘と言えば、大方の方が知っていますし、その外形もすぐに頭に浮かんでくる方が多いと思います。
ところが、カレー邸と言われても、頭に浮かぶ人は少ないと思われます。外形も片流れ屋根で、ライトの建物に比べると、どちらかと言えば「平凡」に見え、印象が弱いからです。

しかし、「surroundings の造成」という点では、これは凄い、と私は思っています。
surroundings へのこだわりの点では、ライトよりも徹底しているかもしれません。

落水荘は、ライトにしては「珍しい」事例なのかもしれません。
ライトは、時折り、「形」に走る、そんな気がしています。ライトの「形」には、surroundings とは関係ない場合があるように見受けられます。その分、ある意味「分りやすい」。「形」の恰好にだけ目を遣っていればいいからです。

一方、アアルトの「形」は、常に surroundings についての模索から生まれているように思えます。それゆえ、「分りにくい」。
なぜなら、アアルトの設計事例は、実際の「現場」に立てば自ずと分ることなのでしょうが、図や写真で「見る」ときは、建「物」だけではなく、「あたり一帯の場景を思い描きながら見る」必要が生じます(もっとも、最近は、アアルトの建物の写真や図を見ても、「物」だけ見て「まわり」に目を遣らない「建築家」が多くなっているように思います)。
「あたり一帯の場景を思い描く」作業は、いわば文章の「行間を読む」作業に似ています。
しかし、この作業は「面倒」です。だから、「一般受け」しないのではないか、と思います。
   これは、「桂離宮」は「分りやすい」が、「孤篷庵」が「分りにくい」のに似ているかもしれません。
   
   

先回の書物(THE LINE――ORIGINAL DRAWINGS from THE ALVAR AALTO ARCHIVE MUSEUM of FINISH ARCHITECTURE 1993年 刊)から、カレー邸の謂れについての説明文を、そのまま転載します。


同書には、先回紹介したスケッチの他にも、数点のスケッチが載っています。
以下に紹介することにします。
説明部分(英文だけ)を大きくして併載します。
 


説明文は、天窓からの光についてのみ語っていますが、このスケッチには、今度つくる建物が、既存の土地に、「どのように取り付くのがよいか」を、アアルトがいろいろと検討している様子が窺えます。
天窓の形を考えている一方で、遠くからどんな具合に見えるようになるか、などなど、考えているようです。





正面の見えがかりの検討のスケッチのように説明にはありますが、むしろ、正面の見えがかりは、土地へのセットのしかたによって決まってくる、それをどうするのがよいか、その検討のためのスケッチ、と見た方がよいように思います。
それは、建物の「外形」スケッチの中に、屋根の下に生まれる空間の概形を描いていることで分ります。
この片流れの屋根は、土地の上に新たにできる(アアルトが新たにつくろうとしている)空間の形の「反映」なのです。
 



terracing というのは、段状にする、という意味のようです。
terrace と言う語は動詞として「段状に整備する」という意があります。
簡単に言えば、地形に合わせるつくりかたの一。
ただ、アアルトのやったことは、わが国の住宅地造成で見られる雛壇をつくることとは違います。斜面を単に平坦地にするのが目的ではなく、建物、あるいは空間を土地に「馴染ませる」ための方法なのです。


これらのスケッチから、アアルトにとって、スケッチは、
既存の surroundings に手を加えるにあたり、従前の surroundings のつくりだしていた場景・情景を傷めることなく維持できる、あるいはさらによい場景・情景にする、そうするためには、どのような「手の加え方」が好ましいのか、それについての模索、その推敲の記録
と考えてよいでしょう。

何度も書いてきているように、建物をつくるということは、単に、一個の建物をつくる、ということではなく、
そこに従前から存在していた surroundings を「改変する」ことなのです。
設計とは、建「物」の設計ではなく、「 surroundings の改変」の「設計」である、ということです。
これをアアルトは、ごくあたりまえのこととして実行している、それが私のアアルトについての「理解」であり、傾倒した理由でもあるのです。簡単に言えば、アアルトの営為が「よく分る」、共感できる、ということ。

そして、これも何度も書いてきていますが、
日本の建物づくりは、階級の上下を問わず、「建物をつくることは surroundings の改変である」、という「事実」を、当たり前のこととして認識していた、と考えてよいでしょう。少なくとも近世までは・・・・。

それはすなわち、「住まいの原型についての認識」つまり、「人がこの大地の上で暮すとはどういうことか、についての認識」、が、往古より、ブレずに、継承されていた、ということに他ならないのです。

今あらためてこう書いているのは、今の世では、この「継承」がますます途絶えつつある、という感を最近とみに感じているからです。
私たちの surroundings は、こんなものでよいのだ、という事態に陥りかねない、と思うからです。もしかすると、そのうち、セシウムに囲まれているのがあたりまえだ、などとなるかもしれません。 

さて、カレー邸の様子を、アアルトの設計集:「ALVAR AALTO Ⅰ」(Les Editions d'Architecture Artemis Zurich 1963年刊)から転載します。
スケッチと対照してみてください。
なお、カラー写真は、「GA №10 」(A.D.A EDITA Tokyo 1971年刊)にあります。

まず、配置図と入口周りを見た写真。
配置図のどのあたりから見た写真か、判定してみたください。

道のカーブの付け方がダテではないことが分ります。
入口に近づく最後のあたりに、少し左にふくらんだところがありますが(写真はその手前で撮っています)、このふくらみは、まさにアアルトの「こだわり」の表れである、と私は思っています。
この「ふくらみ」がなかったら、どうなるか。
こう考えることができるのがアアルトの設計の「醍醐味」なのです。
ただ単に、カッコイイ絵を描いているのではない、のです。[文言追加 16日1.45]

次は1階平面図。


そして入って直ぐに広がるギャラリー。


ギャラリーの先に広がるリビング。


リビングの先に広がる広大な斜面の側から建物を見ると


そして最後に、ギャラリーの断面を描いた設計図。
こういう図面は、最近の設計ではお目にかかれません!惚れ惚れします。
天井のふくらみ、高さ、そして床の高さ・・・、その切替、それらの位置、それがなぜその位置なのか、これを考えるのが「楽しい」のです。
そして、やはり、ここでなければならない、と思い至って感激する・・・。凄いな・・・。


次回は、 surroundings を無視した最近の設計事例を例に話を進める予定です。

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SURROUNDINGS について・・・・1

2011-11-03 18:54:42 | surroundingsについて
 

「環境」という立派な日本語があるのに、surroundings という英語で表記するのは、「環境」という語が、本来の意味をはずれ「うす汚れて」しまっているからです。
environment という surroundings 同様の意味を持つ英語もありますが、この語も「うす汚れて」しまっている気配があります( environmental design などという「不埒な」使い方さえあります)。
そこで、専門家を含め、多くの人が使わない(多分、学術的ひびき がないからだと思いますが)「きわめて平凡で、字義どおりに意味が分る」 surroundings を使って書くことにします。
   
   註 環  たま、たまき、環形の玉。めぐる、めぐらす、わ。
      境  さかい、領地、領内。特定のところ、場所。特定の状態、またその場合。
            [白川 静 著「字通」]
      環境 めぐりかこむ区域。あるものの周囲にあるもの、また、その行動する場所・状況。
          あるものとの関係・影響をもつと考えられるもの。
           [諸橋 轍次 他著「新漢和辞典」]   

一週間ほど前、毎日新聞のコラムに「有名な」建築家へのインタビュー記事が載っていました。先に私が「理解不能」で挙げた人たちの一人です。
自ら自らを《前衛》と呼んで憚らない当人の発言もさりながら、私はインタビューを担当している記者の方の「感性」に「違和感」を感じ続けていました。 

なぜなら、記者が日常身を置いている「自らの surroundings 」と「建築」とを、別扱いにしているように感じられたからです。
この記者にとっては、「建築(物)と surroundings は別の世界のもの」である、ということです。

そして、この「前衛家」も同じく「建築(物)と surroundings は別の世界のもの」である、と考えているとみてよいでしょう。
だからこそ、「理解不能」な発言が為されるのです(発言の内容は、「理解不能」で載せたコラムのコピーをお読みください)。

   これは、記事を読んでの私の推測です。
   「別扱いにしていない」のであれば、記事は別の内容になるはずです。
   第一、この《前衛家》をインタビューの対象者とすることもないでしょう。

   私は、これまでも書いてきたように、
   建築(物)と surroundings は、別扱いはできない別扱いにするのは間違いだ
   と考えています。
   建築は、否応もなく、できあがると surroundings の一部になるのです。
   と言うより、往時から、人びとは、人にとっての surroundings となるべく建築をつくってきた
   私の理解では、それが建築の歴史です。

しかし「建築(物)と surroundings は別の世界のもの」という「認識・理解」は、この記者や「前衛家」だけではなく、今、大方の方がたの「常識」になっているのかもしれません。だから、事物・事象に対して、本来なら最も鋭敏な神経を持つべき(私はそのように考えています)「記者」という職業の方でさえ、surroundings の存在、その意味について「無神経」になってしまっているのではないでしょうか。

   もっとも、そういう記事を見かけたのが、この題材で書くことにしたきっかけではありますが・・・。

surroundings とは何か。
それについて、これまで、最も明解に日本語で語った のは道元である、と私は考えています。彼は、「近代」をはるかに超えていた、私はそう思います。
その言とは、何度も紹介している次の文言です。

   ・・・・
   うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、
   鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。
   しかあれども、
   うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。
   ただ用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。・・・
   鳥もし空をいづればたちまちに死す。
   魚もし水をいづればたちまちに死す。
   ・・・・
つまり、surroundings とは、うをにとっての水、鳥にとっての空にほかなりません。
「人」も同じです。
私たち「人」は、surroundings の内で生きているのです。
すなわち、「人もし surroundings をいづればたちまちに死す」 ということです。
   これまでの文章では、「空間」「居住空間」などと記してきました。

この「厳然たる事実」を、そこに浸っている、浸っているのが当たりまえである私たちは、それゆえに、気付かない、忘れてしまっている、のではないでしょうか。

慣れてしまうと感じなくなる、それは、怖ろしいことです。神経を逆なでする「建築物」や「街並み」「家並み」・・に日ごろ「囲まれ続けている」と、「逆なでされていること にさえも気付かなく」なります。
とりわけ、暮しも surroundings も都市化した場所で暮していると、それが当たりまえになります。
しかし、人であるかぎり、人びとの意識の内には、知らぬ間に「逆なでの結果」が鬱積するはずです。
その鬱積の塊りは、いったいどうなるのでしょう?

そして、「人もし surroundings をいづればたちまちに死す」という認識があったならば、一旦ことが起きたら取り返しのつかない surroundings となってしまうことを知りながら、「平和」利用で「安全だ」などと誤魔化して、原発をつくるようなこともしなかったはずです。できなかったはずです。

   註 もっとも、道元は、 surroundings について特に言いたかったわけではありません。
      道元は、より広く、「ものごとを表す文言を、字面どおりに理解してはならない」、
      さらに言えば、言葉・文言の「限界」を認識せよ、
      ということを言いたかったのだと思います(後掲記事参照)。
      たとえば、
      拍手とは、右の手と左の手を叩き合わせて音を出すこと、
      そのとき、音を発したのは右手か左手か、というがごとき発問はやめよう、
      と言えばよいかもしれません。
      近代的学問の「方法」には、こういう手合いが多いように思いませんか?

このことを理解するのは、「近代的知」を「摺り込まれてしまった」現代の私たちにとって容易なことでない、のはよく分ります。
しかし、「人もし surroundings をいづればたちまちに死す」というのは、紛れもない事実、真実なのです。
   
   何故この事実を認識できなくなってしまうのか、「 形の謂れ・補遺:form follows function 」 で書きました。


「認知症」という言葉があります。かつては「痴呆」と言っていました。
しかし「認知症」というのは日本語ではない。日本語になっていない。あえて言うならば「認知障碍」と言うべきだと思っています。
たしかに「痴呆」というのは人の心を逆なでします。「認知障」でもそうでしょう。「害」の字がいけないのです。
しかし、「障碍」ならば、人を傷つけないはずです。
   「碍」は「さまたげる」「さえぎる」「じゃまする」という意味。
   電線の「碍子」は、電気が電線から他に流れないようにするための部品。
   当用漢字に「碍」がない、そこで「害」の字が当てられてしまったのです。
   「知的障害」と「知的障碍」では、意味がまったく違います。
   現在も漢字を元通りに使っている台湾では、「残障者」が使われているそうです。

つまり、「認知障碍」とは、それまでの「普通の」「認知ができなくなった」状態。
   何が「普通」なのか、別の問題が生じますが・・・。

「認知障碍」の方たちは、よく「徘徊する」と言われます。
そのイメージは、行方も定かでなく滅茶苦茶にほっつき歩く、というように聞こえます。しかし、そんなことはない。

もう大分前のことですが(確か以前に書いたような気もしますが)、初冬の冷たい雨がそぼ降る夕暮れどき、60代のはじめとおぼしき女性が突然訪ねてきました。当然雨に濡れています。
昔なじみを探している、どこだか分らなくなった、知らないか、というのです。その人に会うために、かつて歩いた(とおぼしき)道を、数キロも歩いてきたのです。
当然、私たちには分りません。電気ストーブを出して暖まってもらいながら、派出所に援けを求めました。
彼女は素足でした。靴下を履いていたのですが、靴下が濡れてしまうのを避けるためか、脱いで、かばんにしまってありました。昔気質なのです。足が凍えても、靴下が大事。衣料品が貴重品だった時代を過ごした方だと思います。
無事に住所を探してもらい、パトカーでおくり届けていただきました。

彼女は、いたずらに、いいかげんに歩いていたのではありません。ほっつき歩いていたのではないのです。
何がきっかけかは分りませんが、「ある情景」を思い出し、その昔通いなれた友だちの家を訪れることを思い立ったのです。
そのきっかけは、もしかしたら、初冬の夕暮れ時のある光景だったのかもしれません。
思いたったら、矢も盾もたまらず訪ねたくなったのではないでしょうか。心は完全に友だちとの世界に居るのです。冷たい雨に濡れながら、必死に歩いてきました。しかし、風景は変っている・・・。そして、たまたま明りの点いている当方を訪ねたのです。誰もそれを徘徊などといって批判することなどできません。

おそらく彼女の脳裏には、つまり目の前には、ある surroundings が見えていたのです。
それは、私たちが夢の中で見る情景・場景・状景・光景と同じです。
私たちの見る夢は、かならず surroundings をともなっているはずです。そしてそれは、「人もし surroundings をいづればたちまちに死す」ということが「事実」であることの紛れもない証でもあるのです。
そうなのです。彼女は、そのとき、「夢」の中にいたに違いありません。私たちの夢だって、変幻自在ではありませんか。あのとき、彼女の世界も変幻自在だったのです、きっと。
私たちがくたびれたとき、私たちの「本性」が表れます。認知障碍の方がたの「徘徊」が、それを顕にしてくれています。
私たちは、人は、生まれたときからずっと、surroundings の「中」にいます。このように、常に surroundings に囲まれているのです。出ることはできないのです。

私たちは、この「事実」を、そしてこの「事実」を認めたがらない、という事実をも、認めるべきではないでしょうか。


冒頭の図は、アルバー・アアルトのカレー邸のスケッチです。
彼が surroundings を設計していることが、このスケッチから分ります。これは、スケッチの一部です。もっと広い範囲の surroundings のスケッチもあります。
そして、このスケッチが図になったのが下の平面図です。



   出典
    THE LINE――ORIGINAL DRAWINGS from THE ALVAR AALTO ARCHIVE
                  MUSEUM of FINISH ARCHITECTURE 1993年 刊

現代建築の旗手とされるコルビュジェ、ミース・ファン・デル・ローエたちも、その初めのころの設計事例は、皆、 surroundings を設計しています。しかも、実に見事に・・・。
それが、いつごろから、どうして、中期・晩期の設計事例のようになったのか、その謂れについては詳しくは知りません。
しかしアアルトは、私の知る限り、 終生、surroundings の設計に徹しています。日本でも前川國男氏、村野藤吾氏、吉村順三氏などはそうではないか、と思います。

そして、これは大変重要なことだと私は思うのですが、
日本の近世までの建物づくりは、すべからく、階級を問わず、この日本という土地柄のなかで、 surroundings を整えることに徹してきた、と見ることができる、という事実です。
私は、それを、建物づくりとはモノをつくることではない、という意味で「心象風景をつくる」という言い方をしてきました。
それをものの見事に実現した、その数々の事例が私たちのまわりには、幸いなことに、まだたくさん在ります。
別の言い方をすれば、それらの事例に、この日本という風土・場所に暮す人たちの「暮しかた」、すなわち surroundings についての「見かた、考えかた」つまり「思想」が示されているはずなのです。
なぜ、それらに、それらに潜む surroundings についての「見かた、考えかた」つまり「思想」に、目を遣ることをしなくなったのでしょうか。
それらを、鑑賞の対象、モノとしてしか見ないなどというのは、私には、大変もったいない、と思えるのです。

これまでも、この点について、いろいろと書いてきましたが、あらためて視点を変えて、具体的に書いてみたいと思っています。
なぜなら、残念ながら、最近の多くの建築は、かつての人びとが、この風土の中で培ってきた「 surroundings についての思想」を忘れた設計になっているのではないか、私は、そのように、特に最近あらためて、痛切に、思っているからです。    

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