6丁目のつぶやき

歩く、登る、耕す、聴く、造る、採る、乗る、見る、の写真ブログ徒然草

都心の小倉城

2018-10-31 | 
JR鹿児島本線西小倉駅から
都市中心街を歩いて15分
高層建物群に囲まれた
細川忠興1602年築城の小倉城
昭和34年
鉄筋コンクリートで再建され
今またエレベーター取付け工事で閉鎖中


大きな石が所々混じった石垣には
当時の労力が大変だったこと
に思いをはせ
平成に新たに積んだ花崗岩は
重機で積んだのか綺麗すぎて
なんとなく安っぽく
つりあいがとれなかったが・・・






小倉城は輪郭式平城の為、
お堀も道路などに替わり
城郭のスケール感が無くなり
天守も都心部のビルの間近かで
市民が城をよそに散歩していた


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福沢諭吉の旧居

2018-10-30 | 旅行
中津城から15分ほど歩いて
近くの福沢諭吉旧居へ
行った

茅葺平屋建て木造と
瓦葺き土蔵の質素な
住宅ではあるが
空間に精神性が感じられる








18年間の青年期をここで過ごし
その土台を作ったことを思うと
感慨深い

隣には福沢記念館があり
時系列的に一生をたどり
遺品や書簡等の資料が展示されて
わかりやすい

独立自尊是修養と昔なんかで読んだが
幕末期から維新にかけて
海外に何度も行き
世界と隔絶していた日本人を
啓蒙した功績もあるし・・・

一万円札の肖像に相応しい
ことはあるなぁ・・・


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日本三大水城 中津城

2018-10-29 | 
海と川に面した中津城は
地理的に大阪から船で
来れる最適な位置に
黒田官兵衛が九州征圧の城として
築いたとの事

中津川は朝8時
潮が引いて川底が見え
不思議な光景
そこへ城の石垣が防波堤の様に
立ちはだかる
日本三水城(高松城、今治城、中津城)のひとつ
もっともです




軍師としての官兵衛の知略を
見るような気がした


石垣は穴太衆が積んだと言うが
野面積みの上に近世に削った石と
の境界線が見え面白い


城内部は
戦国時代の陣羽織など展示して
その当時の文化を興味深かくみた

ちょうどろうそく祭りで
足下には
色とりどりの紙袋が広場前面に
趣向を凝らして配列してあり
夜には城を浮かび上がらせ
壮観であろうなぁと・・・



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梯郭式山城の岡城 「竹田城跡」

2018-10-27 | 
山城の岡城 別名竹田城
九州の天空の城で
兵庫県の竹田城と名前が同じ
どちらも日本100名城

大分から
単線のカーブの多い豊肥本線を走って




豊後竹田駅で下車

タクシーで城門まで約10分
くねくね曲がった坂道を
難なくたどり着く

待ち時間無く
運転手から情報を得られ
やはり山城は
タクシーを利用するのが
一番

山城は敵の侵入に対して
防御性が高く
見通しも良い高台に
造るため雲上の城で
山の頂にある


さて
この城は平安時代の
義経を迎えるために
築城したとのこと
梯郭式山城で
35000の島津軍にも
落城しなかったほどの険しい山城だ










明治の廃藩置県で解体したと
あるが惜しいことをしたものだ

石垣だけが残る規模の大きな
山頂平面
展望は昔登った百名山
粗母山、阿蘇山、九重連峰の山々が
見渡せ感慨深かった


武士は普段は
城下の平らなところで
生活し
いざ戦いとなれば
急遽城に登るようで
ここの武家屋敷も
御多分に洩れず
山裾にあった




滝廉太郎はここでいつも遊んで
荒城の月を造ったと・・・


天井影は変らねど
榮枯は写る世の姿
写さんとてか今もなお
アァ荒城の夜半の月

昔の光今いずこでした

ここは新しい城など造らず
石垣のままが山城にふさわしく
荒城の月を感慨深く聴けるのでは・・・










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日田の街並み

2018-10-26 | 旅行

伝統的な街並みが
重要伝統的建造物群保存地区
とありそれを観たく
また温泉があると聞いて・・・
日田へ

ここは江戸時代交通の要所で
幕府直轄天領地の日田
城下町であり
昔九州の経済、文化の
中心地だったそうだ

そのわりには
JR長崎本線は本数が少ないし
駅も小さくこじんまりしていたが?

三つの川に囲まれ
水郷の町と言われて
泊まった日田温泉は
河辺に面した
景色の良い旅館だつたが
今は季節外れか
お客様も少なく
元気がない

温泉は朝晩男女が入れ替わり
片方など
サウナは修理中
カランは故障と
その差が激しい

翌日街並みを観に出かけたが












昔の町屋に商魂たくましいお土産屋さん軒を重ね
確かに伝統的建造物群には違いないが
最近よく見る保存街並みだなぁと・・・・


街並みの外れに江戸時代後期に
多くの学者を育てた広瀬淡窓の私学教育塾
咸宜園が印象的だった
大村益次郎はここで学んだそうだ






あたふたと観て
次の目指す岡城(竹田城)へ
向かった






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壮大な吉野ヶ里遺跡

2018-10-25 | 旅行
邪馬台国がどこか?
畿内説、北九州説その他東北部、沖縄と
日本各地で弥生時代の遺跡から
諸説紛々

その北九州説の一端を観るべく
よみがえる弥生文化
吉野ヶ里歴史公園を
探索すべくJR長崎本線にのった

歴史公園センターから

天の浮橋を渡れば
杭城壁が張り巡らせ

そこには
再現された物見櫓、祭殿、掘立住居等々の集落



約500基の甕棺墓、池の近くの水田等々



スケール大きく
一目瞭然

当時の村が小高い丘の上に
まるで弥生人の声が
聴こえてくるようだ

卑弥呼はここで?
朝鮮半島から渡った人達か?
文字の無い農耕生活は?
古代ロマンの世界にしばらく誘った



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佐賀城

2018-10-23 | 
上野の彰義隊を
アームストロング砲により
たった半日で
壊滅させた佐賀藩
幕末期いち早く外国技術に目覚め
反射炉をつくり
蒸気機関、鉄砲、等実践した
その
鍋島閑叟の佐賀城を見たく
博多より高速バスで
たどり着いた

佐賀の乱の時の弾痕を見て
本丸御殿の鯱の門を潜り
朝早いため
本丸歴史館は見られなかったが
玄関先には大砲が構え


当時の日本最強の軍事力を誇った
面影が感じられた

さほど高くはない天守台に登り
今は街中となっているが
城内の広さに唖然と・・・


徴古館へ行って
260年も続いた鍋島家の系図見て
長崎奉行で西欧文化に触れ
先進の志が生まれた
そして
教育にも力をそそぎ
江藤新平、大隈重信、等輩出し
薩長土肥の一端を背負った
鍋島閑叟の佐賀藩を
興味深く訪れ
幕末期の歴史を思いはせた



楠の木の大木がじっと今を見つめて




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広い福岡城内

2018-10-22 | 
日本100名城 福岡城
を見るべく
博多より地下鉄で大湊公園駅で下車
しばらく濠端を歩き塩見櫓門に
たどり着いた




お濠は蓮が埋め尽くし
創建当時は考えられない風景だ
たしか秋田の千秋公園(久保田城)も
大きな蓮が咲いていたが


そこから天守閣方向がわからない
城内は大湊公園、舞鶴公園、
平和台球場、陸上競技場などあり
如何に広かったか想像つく


公園を散歩している人に
聞いても城壁はあるが
行ったことがないので
わからないとのこと




高台の方へ向かえば
本丸方向ではないかと
しばらく歩くと
やっと石垣が現れホッとした

秀吉の軍師である黒田官兵衛が
関ヶ原の戦いの戦功で築城
築城名人の加藤清正も
評価したほどの城
梯郭式平山城で47もの櫓が
あったそうだが
今は石垣の中に天守の礎石だけが
残るさみしい状態


鉄骨階段を登り
天守の石垣の先端から
周囲をみわたせば
360度の視界
これなら敵がどこにいるか
一目瞭然
官兵衛も良い所に目をつけたと
その慧眼に驚いた






今は高層ビルが城の眼前に建ち並び
大都会化したが
城内の広さには驚いた

正直なところ
元来た道を
地下鉄駅まで引返すのに
一苦労!

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九州国立博物館内の大野城跡

2018-10-21 | 
太宰府天満宮の右奥に
山の地形を活かし
多層階の展示場に
大屋根を架けた
建築家菊竹清訓設計の巨大な
九州国立博物館がある




天満宮に近接しながら
天満宮の社に対して
全くその影響をなく
むしろ何処へ位置するのか
人に聞かなければわからない

そこまで行くのに
長いエスカレーターに乗り
やっとたどり着く
環境を意識した手法には
さすが菊竹清訓だ


この歴史博物館には
白村江の戦いで完敗した大和が
唐、新羅から攻められるのではと
大和朝廷が
日本で最初に城を構えた
朝鮮式古代山城の
大野城跡の発掘調査の展示を見たく
博物館へ来たのだった

古代城の遺跡は
地下に眠る遺跡発掘、災害時の土砂流失、鉄道敷設
等々により
積層断面や
水を通す巨大な檜の木菅を発見
その実物が展示してあり
古代665年のロマンに浸れた

高台の博物館からは
標高410mの四王寺山(大野山)が樹木に
覆われて
なんとなく
土塁、石塁、掘り、などが想定されたが・・・・

そこへ行ってみたくなり
行き方をきいてみたが
地図も案内板も無く
今回は断念

今度はゆっくりと
現地にいって
古墳時代の太宰府跡、朝鮮式城なるものを
観て日本人の起源は?
考えてみたい



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太宰府天満宮へ

2018-10-20 | 旅行
九州に来たらまず
学業の神様 として学生たちが
祈願している
太宰府天満宮を
遅まきながら行ってみようと・・・・

博多から西鉄電車に乗り
太宰府に


参道は鳥居をいくつかくぐり
根周りの大きな楠の大木が
池端に生え
神社の歴史を感じさせる




心の字形の池にある
三の太鼓橋を渡って
過去、現代、未来と
次第に心を清め
御祭神 藤原道真公を参拝した








菅原道真は平安時代の貴族
太宰府へ左遷され
その後京へは戻れず死んだ

京を離れる時に
 東風吹かば においおこせよ 梅の花
  あるじなしとて 春な忘れそ

百人一首でも
 このたびはぬさもとりあえず手向山
  紅葉の錦 神のまにまに

と詠じその歌を
学生時代暗記したことが蘇った

やはり学業の神様なんだろうと崇敬

息子の嫁さんが大型トラックの
免許を取れるようにと
深々と参拝し
次の目的地直ぐ後ろの
九州国立博物館へ
向かった
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博多名物 もつ鍋

2018-10-19 | 旅行
札幌からLCC航空で博多へ
ホテルに遅くチェックイン
博多の名物グルメは?と聞いたら
もつ鍋と即座に反応した

ニンニクを効かした
鶏がらスープに牛肉ホルモン
プリプリもつがたっぷり入り
キャベツ、にら、コンニャク等
たっぷり山のようにのせ
南蛮を加えて
テーブルで5分煮る

最初は薄いアルミ鍋に
ドサっと具が入り
エッ 脂肪ばかりで
安っぽいなぁ

失敗かと思いきや
これがダシが効いて

白い油部分はプリプリして油感はなく
スープとともにどんどんいける

瞬く間に食べ尽くし
残ったスープには
チャンポン麺を入れて煮込み
満腹感最高

この脂はコラーゲンとか

博多美人はこれが原因か?

旨さのあまり写すのを忘れ
文章だけでご勘弁‼️

さすが郷土料理バッチリでした
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絹の糸巻き

2018-10-13 | 日常
昔、群馬の叔母やんが
背を丸めちゃんちゃんこもんめ姿で
朝から晩までトントンと
機織りをしていたが
その時の色とりどりの糸巻きに
艶があり繭がこうなるのかと
印象的だった


今は糸巻きを機械化して
織りをする人だけが
使っているようだが
木で軽く組んだ
歴史物の糸巻きだ

年代物の昔懐かし糸巻きに
自然色のしっとりした絹の
色あいがそのかたちと共に息づいて
それを見て
写真を撮りまくった






残しておきたい
有形無形文化財なのでは?
いや重要有形文化財に指定して
保護しておく必要があるのでは?
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補聴器

2018-10-07 | 日常
最近、会話の中で相手の声が
よく聞き取れなくなり
エツ 今何言ったと
聞き返すこと度々
友人からも一度病院へ
行ってみたらと・・・

四年前病院へ行って
検査した時は
それほどではなかったが
左耳が大分悪くなっている
とのことで
補聴器屋さんを紹介してくれた

専門的なことはわからないが
内耳の繊毛が加齢で薄くなり
センサー機能が
働かなくなった結果だそうです

500hzから2000hzまでがの高音域
女性の声は聞き辛いとのこと
道理でカミさんの声が
聴きにくい

既に25パーセントは
加齢要因で聴力低下
補聴器を着けても
昔の様にはならないと断定された

75パーセントの回復を期待して
補聴器を装着しては見たが
反響して頭ガンガン
ストレスが溜まるばかり
聴こえも良くなったとは言えず
その実感がない

そもそもコストが高すぎる
大枚をはたいてその効果が
期待できないなら
やる意味がない

現状では
会話が不自由なくらい
一歩引いて会話を楽しむことで
良いのではと
装着を諦めた

補聴器をつけて
良かったと言う人が
私の周りにはいないし・・・

当面、耳のそばに手をかざし
首を前に出し
難聴であることを
気づかせる仕草が多くなると・・・
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ひまわり

2018-10-04 | 家庭菜園
暴風雨に倒されたひまわりも
駄目かと思いつつも起こし
倒れないよう土寄せしておいたが
なんとか息づき
花蕾が次第に大きくなり
日の出の方向に向きを変え
ある日パッと咲いた


大きな真っ黄色の花びらが
パッと見開いて青空の下
何本も周囲に咲き誇っている




獣や風害に叩きつけられた
我がほっとけ農場の
唯一花形シンボル
本当に元気をもらえます

種子には蝶々、蜂、トンボ等々
群がり蜜を吸っているのかなぁ


花びらが萎れて
その輝きが無くなる時は
本当に人生終わりというような
種だけ残した風情で寂しい




この種子を狙いに
野鳥が集団で飛来して
瞬く間に食い尽くすので
その前に摘まなくては‼️

バルコニーにセットした
小鳥の餌台は今空室状態
やがて真冬の銀世界で
雀やヒヨドリ等々が
種をついばみに・・・











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食用菊 月山

2018-10-01 | 家庭菜園
今年の春先、
数十年続いた食用菊の新芽が
まったく発芽しなく
菊は絶望
食べられないかと・・・

苗をなんとかしなくてはと
思案していたところ
青森の従兄弟のツテで盛岡の農家から
どさっと「月山」一箱送ってくれた

我がほっとけ農場
喜んで畑の中央に6列植え
これだけはほっとくわけにはいかなく
堆肥、肥料、草むしり数回
入念に行った

背丈もすくすく伸びて
花蕾がつき始めたころ
21号台風でなぎ倒され
それを大事に起こして
ロープで束ね様子見

二週間ほど経って持ち直し
咲くこと咲くこと
黄色一色の世界
摘んで摘んで採りまくった




北海道では
食用菊が苦手な人が多く
食べると聞いても敬遠される
一方
東北出身の人には笑顔で
待ってましたとばかり
大変喜ばれ
嬉しがられたが・・・

かく言う自分は関東出身
岩手県出身のカミさんは
盛んにこれをお浸しにしてだす
最初は戸惑ったが
慣れるとシャキシャキ感、
ちょっとした苦味
鮮やかな黄色の色味
で酒のお摘みに最高です


てな訳で
冷凍庫は菊だらけ
毎日が酢の物、生野菜サラダ等々
食用菊三昧の食卓黄色い日々です


正月の酢の物はこれで完成
良い年を迎えられそうですが
来年は山形産の
薄紫色の「もってのほか」も
入手して
二色の彩りで
正月を迎えたいものです






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