6丁目のつぶやき

歩く、登る、耕す、聴く、造る、採る、乗る、見る、の写真ブログ徒然草

令和3年師走

2021-12-31 | 日常

令和3年12月31日

師走の早朝は風一つない
穏やかな明けで薄雲の中に
太陽が昇った
 
振り返れば
巣ごもり状態が2年も続いて
一人運動に明け暮れた日々の連続で
それはそれで体力はついたが・・・
 
コロナ下
気力にドライブがかからず
どこか前向きになれなかった
一年だったと・・・
 
年越しの大掃除は
労力をかけないで
スス落とし、額の埃を拭うぐらいで
簡単に済ます
 
恒例の紅白歌合戦など
歌手も歌もわからず興味はなく
例年見てないが
実は難聴で見たくとも不自由で・・・
 
 
年越の温泉に入って体をいたわり
年越し蕎麦で一杯いただきながら
BS放送を観ながら新年を迎える
年相応の過ごし方が
定着化した
 
 
 
 
 
 
 
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家で心温まる食事

2021-12-26 | 料理

コロナ下
外での食事は抵抗感があって
それを考えると億劫になり家でと・・・

当然巣ごもりが多くなり
作る人はますます大変で
頭が下がり感謝
少しはお手伝いもと
果物の皮をむいたり・・・
 
そんな折義弟が三陸の数々の
海産物(ウニ、タコ、イカ、イクラ、
サケ、ネカブそれに大好きな一升瓶五本組セット)
を送ってくれた
 
 
ワンパターンの食事が
急遽高級レストラン仕様
喜ぶこと天にも登る気持ちで
早速自己流寿司丼とあいなった
 
自分達をさておいて送ってくれる
その厚情に感謝のしようもない
美味しさは倍加して
寿司屋以上の満足感を堪能した
 
 
お酒は生酒で
血糖値はぐんぐんあがり
そんな事はなんのその
人生最高の幸せを噛み締めた
 
明日も名工南部杜氏
藤尾さんの大吟醸酒と
江戸時代末期から続く
宮古の瓶内熟成酒「紡」が待っている
 
 
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不思議な可愛い葉っぱ

2021-12-22 | 

晩秋になりチラホラ雪が舞い
あたり一面緑が消えていった

なぜか食卓に緑を飾りたく
花屋で買ってきた
 
4種類のそれぞれ特徴ある葉が
土器に生けられる
約2ヵ月水やりで枯れもせず
陽光にあたり生命力を育む
 
 
ある日
葉の裏にゴミの様な突起物が付き
それが次第に伸び膨らみ
まことに小さな
可愛らしい花を咲かせた
 
 
名前は分からずじまいで
他にも特徴ある葉で
鱗の様な一枚葉もあれば
細長い葉に白いストライプの入ったものや
瑞々しい三つ葉の葉
いずれも名前は分からないが
バランス良く生い茂り
癒してくれる
名前なんぞはどうでもいいけど
葉の裏側中央に花が咲くなんて
不思議で仕方がない
日々の潤いと毎日の変化が
楽しみな師走ですね
 
 
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郡山城の今

2021-12-18 | 

広島駅から単線の芸備線は
各駅停車のワンマン電車
すれ違いの電車待ちで
運転士さんに郡山城下車駅を聞いたが
自装のiPadで調べてくれ
吉田口駅が近いと・・・

地方鉄道ののんびりした気分を
味わいながら吉田口駅で下車
電車の前を運転士に挨拶して横切る

降りた人は我一人
駅員も居なく
タクシー会社の連絡先が
バス時刻表の下に小さく書いてある

携帯で呼んだらおばさんのだみ声で
 
15分後に行くから
駅前で待つようにと
 
誰もいないバス停にまもなく
小さな小型タクシーが来た
 
おばさん運転手曰く
 
ここは日曜日はバスが無い
平日マイクロバスが
家庭まで行くのだと・・・
 
郡山城跡に行くと言って
時々ここから乗せるが
皆さん間違って来てるみたいです
 
と嬉しそうに・・・
私もその一人になってしまった
 
安芸高田市からバスが
広島市まで何本も出ているので
帰りはそこからと・・・
親切に教えてくれて
安芸高田市歴史民族博物館まで
お喋りしながら退屈しなかった
 
ザックを博物館にあずけ
郡山城跡案内図をもらい
そこから海抜325mの山城へ
久しぶりの空身の登山気分
 
元就火葬場や毛利一族墓所を経て
三の丸、二の丸、本丸跡地の石碑を
見て想像 上から見ると峰が
蜘蛛のように本丸に向かって履い
そこへ堀切を造り
天然の要害堅固だったのだろう
 
 
 
 
築城は15世紀後半らしいが
元就が郡山全山を城郭化したのは
16世紀中頃だそうで
戦国時代最大級の山城だった
堀切の跡も崩れてよくわからない
 
往復三時間の外回り一周ではあったが
どこも石垣は崩れて青く苔むし
城の跡は窺い知れない
 
 
 
 
名将元就の三矢の訓と百万一心の
石碑は木陰にたち
堀切はあちこちに微かに残り
注意しないと見落す
 
 
巨大な城だった面影は
400年間の時が朽ちさせ
自然林に埋没して無常だ
 
 
日本100名城のひとつと言うが
戦国時代の城を考えれば
規模の大きさと毛利家の名声で
100名城かも・・・
 
 
 
 
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弥山ロープウェイ山頂の混雑

2021-12-15 | 旅行
天気も良いことから
日本三景を弥山の頂上から眺めて観たいと
厳島神社昇殿の後
紅葉を愛でながら
宮島ロープウエイ紅葉谷駅へ
喘ぎながらたどり着いた
 
 
渋滞した人々を
見上げながら並ぶこと30分
二つのロープウェイを乗り継ぎ
ようやく頂上まで着けば
ここも
足の踏み場も無い雑踏に閉口
その向こうに弥山頂上が
奇岩と共に見えていたが
そこまで行く人はごくわずか
 
 
厳島神社を上から望めるのは
弥山山頂まで行かなければと迷ったが
帰りのロープウェイ時間に
間に合無く断念
 
近くの巨石の頂上から
手すり内に順番を待ちやっと立った
 
 
眼下に厳島神社とは反対の
四国側の島々がくっきり見えて
風もなく穏やかな瀬戸内海は
風光明媚な日本三景と・・・
 
私的には富士の高嶺の見える
三保の松原の方が上だと・・・
 
それにしてもコロナ下なのに
人の混雑に驚き下りも並ぶ始末
無料バスも満席で・・・
 
表参道商店街(清盛通り)は
ごった返し大盛況
空腹を感じ名物宮島穴子めしを食す
 
 
外へ出れば
我がほっとけ農場では天敵の鹿が
餌を求めて人懐っこく近寄る
 
 
宮島は神の島なのか
不思議な感覚を覚え宮島を去った
 
 
 
 
 

 

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厳島神社の風景

2021-12-11 | 旅行

安芸の宮島は日本三景の一つとのこと
海の中に建つ紅い大鳥居の
ドラマチックな風景は
是非一度は観たいと
遠い北海道から思っていた

チャンスは格安航空券で実現した

原爆ドームを観るついでに
電車でと考えていたが
原爆ドーム脇の船着場から
高速船で直接宮島へ行けると・・・
 
瀬戸内を高速船で行くのも
悪く無いと奮発して
乗ることにした
 
船は低く海面スレスレ
若い人達はデッキへ出て
髪を靡かせ
Vサインで記念撮影と
私は原爆の悲惨さが抜けきらず
違和感を覚えつつ
落ちなければ良いがと・・・
 
 
宮島へ近づき高速船が徐々に
速度を緩め入江の中程に近づくと
巨大な足場が海上に聳え
不幸にも大鳥居は工事中で見えない
 
それにしても大きい仮設小屋
現代なら重機で瞬く間に改修だが
このとてつもない大鳥居
機械も無い平安時代に海の中で
どうやって造ったのか
興味は尽きない
 
 
船から上がれば土曜日のためか
大勢の人たちが列をつくって
右往左往
コロナ下どこ吹く風と
皆さん抑圧から解放された様だ
 
 
推古天皇創建で平清盛が
現在の規模に造営した
荘厳な神社を
神の島として
崇められたのだなぁと
朱色の回廊を周りながら
人々を掻き分け
厳島神社に昇殿したが・・・
 
 
 
 
回廊から観る工事中の大鳥居は
仮囲いのため薄っすらとしか
観られない
満員の人々は振り向きもせず
先を急いでいた様だ
 
海の中に聳り立つ大鳥居
潮の満干で変わる設定は
水平線の中に神が宿る
ドラマティックな風景だが・・・
 
夜になるとライトアップ
されるそうだが
幻想的である様な
商業化である様な
ちょっと抵抗感があり
温泉と酒酔が優先した宮島でした
 
 
 
 
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広島城の立地位置

2021-12-07 | 

以前
広島へ出張した際は
幅の広い橋が多くその上を
路面電車が頻繁に走って
近代都市に生まれ変わる様子が
質、量、共に札幌に比し高く
歴史のある地域は文化も含め
違うなぁと感激して
広島城はサラッと観ただけだった

退職後
日本100名城にチャレンジしていて
広島城は是非とも見なければと・・・

原爆資料館で広島市の
強烈な惨状を見て
壊滅的な被爆から立ち直り
近代都市へ変わったのを驚きながら
広島城へ・・・
 
 
毛利元就の孫輝元が
秀吉の聚楽第、大阪城を見学して築城し
関ヶ原の合戦後萩に移され
福島正則が入城 洪水で破損し
修築許可の不備で
芸備を没収され
代わって浅野長晟が統治
廃藩置県まで250年間
治めたと
そして8月6日の原爆で全て焼き野原に・・・
 
太田川と京橋川に挟まれた三角州に
内堀、中堀、外堀の三重堀の広大な敷地が
内堀のみ残して埋め立て
かって毛利輝元の築いた平城の
面影は消え失せた
今は復元の二の丸、本丸だけで
寂しい限りだ
 
 
内堀の御門橋を渡り
真新しい表御門をくぐり
復元された二の丸
 
この門は馬だしの機能も兼ね
構内に被曝したユーカリの木が
大きく育ち
植物は強いと驚いた
 
再建された天守閣は外観だけ似せた
鉄筋コンクリート構造だが
エレベーターは無く
五層全高39mの華麗な姿を
四方から観られる
 
 
天守閣から望むお堀は眼下に大きな内堀
そして原爆の傷をのこした石垣と
復旧した現代石垣と紅葉の対比
どうしても原爆が頭から離れなかった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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平和記念公園と資料館

2021-12-04 | 旅行

毎年8月6日になるたびに
広島平和記念公園での
式典が放映されるが
いまだに核のゴミ処理ができない
現状で原発反対を
となえるものとしては
行って惨状を理解しなくてはと・・・

原爆ドームから元安川沿い
周辺を歩って
被曝当時の一面焼け野原になった
景色を想像しながら
平和大橋を渡った
 
 
 
おりしも晴れたとおもったら
急に無常の雨が降り心が塞ぐ
 
 
5ヶ所の橋に接する平和公園は
街を破壊した広さにつながり
人影は日曜日なのに少なく
街は死んでいるかの様だった
 
丹下健三設計の
平和記念資料館本館は
一階がピロティでその背後
平和の門まで透けて見え
広さが強調される
 
コンクリート打ちっ放しの
縦格子状ルーバーがシンプルで
広大な敷地によくフィットし
斬新なデザインは
平和を希求するようだ
 
 
 
 
東館資料館では薄暗い照明のなか
赤裸々な被災後の遺品や
核の熱線、爆風、熱風
放射線の被害
一発の原爆が無差別に多くの人を殺し
街を破壊し尽くす
その悲惨さには言葉が無い
こんな非人道的な行為が世の中に
あったのとかと信じられない
核は絶対に無くさなければ
 
 
 
 
 
これまで沖縄、長崎原爆、
そして今回の広島原爆を見ていずれも
悲惨で戦争への怒りが込み上げて
宗教やイデオロギーに関係なく
戦争は絶対に駄目!と
いや核は地球上からなくさなくては・・・
 
 
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