6丁目のつぶやき

歩く、登る、耕す、聴く、造る、採る、乗る、見る、の写真ブログ徒然草

武家屋敷に思う

2018-04-27 | 旅行
設計に携わった者としては
武家屋敷は武士の生き様を
反映し
精神的な棲み家として
興味がある


赤穂の武家屋敷は天上が無く
小屋梁が露出して
柱や梁のプロポーションが
品良くデザインされ
どこで声出しても
聴こえる広さの
空間の豊かさを伝えている




一方、備中松山藩の武家屋敷は
格式ある門構えから
奥座敷の畳敷と
板貼りの上にゴザを畳がわりに敷いた
次の間兼納戸
質素な中にもある程度の広さで
心地良さを感じる





丹波篠山の武家屋敷は
古く天保年間(1831〜1845)
の徒士住宅で茅葺屋根
漆喰塗りの外壁
もちろん居間は書院造り
庭園も池や踏石が素晴らしく
でもここもこじんまりした
空間の中に
武家の品性、格調を維持している



武家屋敷はその階級により
玄関の式台、座敷、付け書院
書院造り、数寄屋造り、
等々千差万別で
その格式は
豊かな空間づくりに
参考になる宝が
豊富で
是非活かしたいものです


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但馬篠山城

2018-04-24 | 
福知山線篠山口駅下車
バスで約20分
バス停から5分歩いて篠山城へ
早朝7時半澄んだ青空と桜で
気分爽快です


今日も晴れて桜満開
絶景地にカメラマンが
三脚すえて
人だかりです


堀の外側から約400mの
真四角な台地に
石垣が四方を囲む平城


天守閣は家康が築くなとの命令で
急遽取りやめになり


中央に正方形の大書院だけです


城造りは至って単純
関ヶ原の合戦で勝利した家康が
大阪城の包囲と西日本の諸大名を
抑える拠点として平城を
突貫工事で一年足らずで
完成したとあります


このスピード
現代の技術力でも到底不可能と
踏んだが・・・


全国の城に関与した石垣積みの
プロ集団「穴太衆」の
技術力には脱帽です

大書院は
京都二条城二の丸御殿と
外観や部屋割りがよく似て
特に上段の間は
ふすま絵、欄間、飾棚等々
格式が高く興味深く
拝見しました


桜は花吹雪
たんばの黒豆を頬ばりながら
城外の武家屋敷跡を観て


昼食は薄い但馬牛のとろ丼で
但馬牛を食したが・・・
硬くてがっかり

バス停で楊枝を盛んに使って
篠山城を後に・・・


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B級グルメ「インデアントマト焼きそば」

2018-04-22 | 食品
備中松山城から歩き疲れ
ちょうど昼時
「インデアントマト焼きそば」が
ご当地グルメとして
テレビで
紹介されたのを思い出して
行ってみた


関西方面はそもそも
お好み焼きが多く
何処でも人だかり
自作自演で鉄板を囲んで
楽しめる仕掛けだが
どこも繁盛しているみたい




ここも噂にたがわず大変な混雑
ご当地グルメは
厨房から完成品を
皿ごと持ってきて
冷たい鉄板の上に
ドサっと置いて行った


トマトを焼いて甘味を出した
味付け焼きそばは
バッチリでしたが
なんでインデアンの名前が付くのか
良く分からない?

年寄りにはちょっと
塩っぱく若者向きか?
ビールで塩分を薄めて
グビィグビィグビィ

食文化が違うなぁと・・・



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山城、備中松山城

2018-04-20 | 
天守の現存する山城として
日本一高い城と雲海の城との
うたい文句に魅せられ
朝早く岡山経由伯備線高梁駅まで
快晴の中
鈍行列車でに乗り
桜を愛でながら
訪れました

芽吹き前の薄茶色の山肌に
点々と咲く桜が
山城の急峻な石垣と櫓に映え
古城何をか語らんです




幕末期に
日本の代表的な学者
佐久間象山と並び
山田方谷が備中松山藩出身で
財政立て直しをした事は有名ですが

司馬遼太郎の小説「峠」で
思い出しましたが
越後長岡藩の河井継之助が
山谷方谷に会うべく
こんな山中まで来たとは・・・


タクシーで駐車場を降りて
そこから山頂の城塞まで
早朝登山です

中腹から岩壁を巧みに
利用した石垣が
永年風雪に耐え


昔をかたり
いくつもの櫓を超えて
天守まで
喘きながらを登ります



天守閣が現存する山城としては
随一の高さを誇る臥牛山の頂で
まさに天空の要塞です



古い木組みは
手斧と槍鉋の跡が見られ
国指定重要文化財たる所以です

帰りは徒歩で高梁駅まで約1時間半
桜をめでながら城下町歩き
途中武家屋敷を観て
昼時を迎えました





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夕闇の岡山城、そして後楽園

2018-04-17 | 
烏城と言われているように
遠くからみても
黒く聳え
旭川に面して夕日に輝く岡山城


秀吉の養子五大老の1人
宇喜多秀家が
旭川の流れを付け替えて
その土砂を利用して造成
8年の歳月をかけての城造り
壁が黒いのは松本城、熊本城、等々
戦国時代の
名残りです


第2次大戦の空襲で
残念にも焼失してしまい
石垣は残って
城は鉄筋コンクリートで
外観だけ元どおりに再現されました




折しも桜満開
栄華の夢も華やかに
石垣が
昔を語る岡山城です


その旭川をはさんで対岸の中州に
岡山藩主池田綱政が
17年の歳月をかけて日本三大庭園
と言われている後楽園を造り
戦時中は畑になったり
数々の変遷を得て今に至ってます


格式高い延養亭での
しだれ桜が庭園に
華を添えていました


江戸時代中期の
戦いのない平穏な日々
庭園にも長閑な空気感が漂い
今もゆったりと暮れて行きます



旭川の川沿には満開の桜並木が
夕陽を浴びて
ベンチに座ってる人が
キラキラと輝く
遠くの川面をじっと見つめ
物思いにふけっていたようですが・・・




旅情ですね


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播州赤穂城

2018-04-14 | 
赤穂駅前通りは街路樹が松です
他では見慣れない景観で
駅前から松の街路樹の歩道が
緑豊かに
800mほど続きます


オヤッと違和感があります

何故か?

名前も「城前通り」とあるし
浅野内匠頭の松の廊下事件から
想像しましたが・・・?

平城の赤穂城は
海側一帯に平らに広がって
津波が来ればと心配です




阪神淡路大震災で石垣は
被害を受けたようですが
城内は
櫓や長屋等復旧し
大石内蔵助の立ち位置が
良くわかり刃傷事件が気になります




本丸に建物はなく


往時の間取りが地面に再現してあり
規模や庭園との関係、風呂の位置等
暮らしぶりがうかがえます


忠臣蔵で有名なせいか
大石内蔵助やその他の義士が
身近に感じられ
その住宅など観ると
切なさを感じざるを得ません



日本で始めての水道管を敷設して
武士以外もその恩恵を受けた
浅野家の領民思いが
いっそう悲哀感を感じます

帰りに遅めの昼食で
名物の牡蠣丼をほおばりましたが・・・
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明石城

2018-04-12 | 
赤穂線明石駅で
高架ホームに降りた途端
巽櫓と坤櫓の間に
無数の狭間がある白塀が
でんと聳えて
城下町の風情が
劇的です



駅前広場の裏側から
徐々に天守に向かって
歩めば小高い所が天守閣
残念ながら
そこは草が無造作に生えて
昔の姿今何処です


展望台を除いて
自然の成り行き任せの様な
広場に変わり
手を加えない無造作な姿が
私自身は好きです



そしてそこを
マラソン人が行き過ぎる


阪神淡路大震災で
石垣は改修したそうですが
はらんだところもあり
灌木が芽を出し周囲に
溶け込んでいました


平城のためか
駅から近過ぎて
城の情緒を味わう間も無く
あっと思う間に
城を後にしていました






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姫路城

2018-04-09 | 
新装になった姫路城に行く

以前、
行った時は平成の大修理中で
城の全体像が見えなかったが
今は完成して
真っ白な漆喰塗りの壁と屋根瓦が
青空に空高く聳え
折も折
桜も満開
まさに白鷺城です



この城は晴れやかで美し過ぎて
私の好きな古城の歌は
似合わ無いようです


現存する木造天守閣の一つで
大きな梁が複雑に組まれ
じっくり観たかったが
大勢の人が列を作り
じつくり観察できなかったのが
心残りです



でも外部の石垣は昔を忍ばせ
附近の石櫃まで利用した
秀吉の権力者としての
実力を感慨深かく想起させました


折しも桜満開
外人やいろんな人達の
混声に埋もれ
世界文化遺産に浮かれた様な
白鷺城を観せられて・・・


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神戸摩耶山の歴史公園

2018-04-05 | 旅行
割安航空券の為か老朽機体は
満席の状態で神戸空港へ
あっという間に滑り降りた


両親が亡くなって
般若心経を唱える様に
なった今
釈迦の母が摩耶と知り
摩耶山展望だと・・・

快晴、桜満開
摩耶ケーブルとロープウェイを
乗り継いで一挙に
摩耶山山頂標高820mへ


神戸港を一望して
唐から帰った空海が
釈迦の母、摩耶夫人像を安置し
642年摩耶山天上寺を創建したと・・・

その摩耶遺跡を見るべく
ロープウェイを避けて
歴史の散歩道を
下りて行った


昭和51年に伽藍が全焼
三千人の僧侶がいたと言われた
大寺院が今はその瓦礫だけで
栄枯盛衰を目の当たりにした

急峻な崖地にあった大寺院は
礎石だけ残り
そこへ続く長い石段には
落ち葉が積もり荒れ果てている


山の中腹に仁王門が残るが
茅葺の屋根は焼失して
なまこ鉄板屋根と
あとは朽ちるだけの柱が
あわれさを誘う


天上寺は摩耶別山に
復興再建したそうで
そちらは
観られなかったが

幹周り8mの六甲山随一と言われた
大杉も火災で壊死し
枯れ木となった今
その異様な木立が
新緑の中で目を惹く


バス停に通じる坂道には
両側に桜木が生えて
確かに桜トンネルです


花吹雪となって
道路が染まり
心に残る
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