6丁目のつぶやき

歩く、登る、耕す、聴く、造る、採る、乗る、見る、の写真ブログ徒然草

親子合作料理

2016-03-30 | 旅行
久しぶりの
男だけの親子ふたり会を
鹿児島の息子宅で・・・・・

評判の鹿児島地鶏刺身盛り合わせに
広島産生牡蠣と錦江湾ホタルイカ
酒は25度の薩摩焼酎
メインディシュは錦江湾産鯛の塩焼き二匹
フルーツは地元デッカァ~イ晩白柚
一応お新香も用意
以上はすべて仕入れたもの





作ったものは
息子自慢の
自家製アンチョビ入りのパスタ

あまりのおいしさに
写真を撮るのを忘れて
気が付いた時には跡形もなかった

駄目親父のドッサリ野菜サラダ

まずは冷したギンギンビールで乾杯
遠慮の要らない
気を使わない
気取らない
飲み放題



ストーブは燃え
酔いはまわり
美味いもんだ

たまぁには・・・・

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壱岐の心のこもった親切 2

2016-03-29 | 旅行
バスに乗り
目指す古墳を
乗り過ごしてあわてましたが
運転手さんは
途中で気持ち良く
降ろしてくれました

約30分程 民家のない
いなか道を後戻りして
野原に散在する
古墳散策を2時間ほど
歴史のロマンを充分満喫して



さて帰りのバス停はと探したが
見当たらず
辻まで歩き
誰もいない雑貨屋 鳥単酒店 に
飛び込んだ

しばらくすると
奥から優しそうな小柄のおばさんが
が出てきて
バス停はうちの向かいだが

壱岐のバスは人が乗らないので
停留所が少ない
手を上げれば
何処でも乗せてくれると・・・・

奥の食堂らしき所から
ご主人が
ご飯を食べながら
何処まで行くのか
大きな声で聞いてきた

郷ノ浦港 までと答えたら
行く用事があるから
乗せて行く
ご飯終わるまで
ちょっと待っててと・・・・

丁度昼時
その間蛸だしの効いた味噌汁と
今が旬の天然生ワカメの酢の物を
振舞ってくれました



散策で疲れた喉は
それを見て自然と
冷たいビールを所望し
傍の椅子に座り
グビイグビイ
うまいこと
うまいこと

調子にのって
お土産に
評判の壱岐焼酎を
何本も買う始末

手さげ袋で
飛行機持って帰れるかなぁと

ほろ酔い加減で
ご主人が出てくるまで
奥さんと壱岐の料理話しで
話が尽きない

ご主人も話し好きで
壱岐は一家に車は
2台以上と多いそうだ

子供達も含め5台あるが
その一台
愛車のプリウスに乗って
まだ時間があると
2時間ほど島内を案内
島巡りする始末です

今日は午後から低気圧の通過に伴い
風の強い雪の舞い散るさなか
車は好都合




おかげで壱岐の観光スポット
の大部分を見られ
挙句の果て
行きつけの喫茶店で
よもやま話

心のこもった最大のおもてなしでした

壱岐のジェットフオイル乗船事件と言い
一生忘れない温かい旅になりました



また絶対に来ようと❗️
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壱岐島の古墳群

2016-03-27 | 旅行
壱岐島には280基の古墳が
存在するそうだ
この小さな島に
何故こんなに古墳があるのだろう

時の権力者が貿易によって富を得て
生前から自分の墓を創って
弔っていたのか

6~7世紀時代
掛木古墳、笹塚古墳、百合畑古墳、百田頭古墳、双六古墳、の円墳、前方後円墳群

それにしても重機のない時代に
かくも大きな墳墓を
あちこち
どうやって創ったのだろう
墳墓の陰には
虐げられた人々が大勢いた筈







墳墓からは韓国の陶器が
多数出土したとのこと

そして16世紀の山城 が
よく注意しないと見落とす
二重の空堀 生池城跡



緑豊かな自然の中を
ジックリ歩き
歴史のロマンは尽きなかった

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壱岐の心のこもった親切 1

2016-03-26 | 旅行
一人旅は見知らぬ都会で
目的地までの
バスの乗り継ぎ等
いつも苦労する

今回壱岐島まで行きたいのに
出航の時間を気にしながら
博多港まで行くにはと
見知らぬ人に聞いたら
私も行くのでバスに
一緒に乗りましょうと
一安心

そして
その人は
壱岐の郷ノ浦まで行くからと
丁寧に
壱岐の観光スポットを
教えてくれました



ジェットフォイル
時速80キロのスピードで
で1時間

先ほどの人は隣に座り
親切に
名所巡りは観光バスが良いと
船の中から電話し
運行を確かめてくれ
冬季間休業とわかったら
車を
貸すからそれで島一周したらと

免許証持ってないのでと
丁重にお断りして港で別れましたが

良い思い出が残りました



観光案内所で中年のおばさんが
親身にパンフレットで説明
外まで出て乗り場を
案内をしてくれました

人の温かさが
身にしみて
壱岐の魅力が倍加したのでした


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コンクリート造の唐津城

2016-03-25 | 
高架線のJR九州唐津線、筑肥線の
車窓から勇壮な唐津城
遠望でき
城郭式平城の筈だが
ちょっと変だなぁ?

三方が海と川に面し
護岸の城壁がそれを囲む
歩くと
平城だつたこの城は
防備を海と川に頼ったのだなぁ

その風情は自然と溶け込み
気に入ったのですが







本来天守台だけで
どうしてそうなったかは不明
そこへ
コンクリート造地下一階地上5層式
の模擬天守閣が 唐津城 として
昭和41年文化観光施設として
築城された訳

市内どこからも聳える
観光優先の人寄せパンダかなぁ

たしか北海道にも
個人が作った
一見、城らしきものが
道央にあったが・・・・・



城内の聴こえる会話は
韓、唐の窓口だつた影響か
外国語が多かった

有名な唐津焼を観て
素朴な味わいで
購入したかったが
どれも高価で断念しました
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長崎グラバー邸他外国人住居を観て

2016-03-24 | 旅行
港を見下ろす
高台でロケーションの良い
傾斜地にグラバー邸

旧リンガー邸

旧オルト住宅等々観て
大きさ、広さ、間取り等々
文化の違いを
まざまざと見せつけた

当時の日本人がこれを観て
その生活、機能的な間取り、等々
びっくり、あんぐり、唖然
驚いただろうなぁ

維新の芽はここから始まり
全国に広まった・・・・・
海援隊を組織した龍馬の気分です




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浦上天主堂の歴史

2016-03-23 | 建築
浦上は長崎の北に位置し
江戸時代異教禁制の隠れキリシタン摘発の土地であった

明治28年ようやく石と煉瓦により建立
大正14年赤煉瓦造りの浦上天主堂が完成
昭和20年原爆被災で破壊消失
信徒も8500人が爆死
もし被爆したままの姿が残っていれば・・・・・

想わず広島の原爆ドームが頭をよぎった

誰もいない早朝
階段を喘ぎながら上り
掃除のおばさんに挨拶をし
そっと礼拝をすませた

今の浦上天主堂
は鉄骨コンクリート造で再建されたが・・・・・





窓はすべてステンドグラス
その厳かな光が
美しく空間を包んでいた




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長崎平和公園から原爆資料館

2016-03-22 | 旅行
やはり原子力は駄目です
平和利用でもその管理は
複雑で一度事故を起こせば
制御できないことは
福島の事故で
明らかです

高浜4号機でも送電開始直前
緊急停止して原因は分からず
人間には完璧な事など
望む術がありません

デブリ、汚染水の処理方法等
いまだに技術的に未解決なのに・・・・?

長崎平和公園入口脇の
刑務所跡地基礎が焼けただれ
風化せず
今も其の時のまま残る無残さ



原爆資料館
原子爆弾の実物模型に接し
その簡単なメカニズムに
原爆の恐ろしさを
つぶさにみての結論

暮れなずむ平和公園で
天高く手を挙げた像を見て
平和の世の中になるよう
わずかな賽銭を謹んで
奉納させていただきました






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島原の武家屋敷街

2016-03-20 | 旅行

島原城から出て幅の狭い路を
何度もまがり15分
幅5メートルぐらいの
真っ直ぐな道筋
その両脇に
高さ2メートルほどの石垣塀があり
その中央に生活排水路が流れる
ここを刀を差しお互い挨拶をしながら
登城する
風情がある



邸は90坪の敷地に
質素に建ち
武士の生業を見たような
凛としたものを感じた



下級武士の鉄砲を主力とする
徒士の住居であったそうで
鉄砲町と言われたらしい

当時の暮らしが
狭い部屋で凛として営まれ
武士の生活が街全体に
想像でき興味深い
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島原城内の櫓に北村西望記念館 彫刻展示

2016-03-19 | 旅行
長崎平和公園内に
平和と原発の脅威を訴えた
半眼の像が聳え
原爆記念日に毎年写しだされる



その作者
北村西望の作品が
島原城内の櫓に展示してある

ここ島原の出身だそうだ

力強い彫刻は





迫力ある
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島原城へ

2016-03-18 | 
城は堀と石垣と松があれば
哀れ、侘しさ、栄枯盛衰
想像たくましく
たどった歴史をそこに見出す

ここ島原城
一揆が起きるほどの
悪政の本拠

島原の乱と天草四郎を
真っ先に想い馳せ
美しくも悲しくもある
幾重に重なるその防御壁を・・・・?

漆喰総塗込の城で
お濠り周囲4kmの規模は
城内に入ると
運動会の小さなグランドみたいで
小さい城と感じられたが・・・・?

歴史のロマンだ



明治維新で廃城、解体したものが
また復元
いずれもコンクリート造で
天守閣はキリシタン、郷土、民裕資料館
三櫓は
西望記念館、民具資料、全国名城画の
陳列棚です



お濠の城内への橋入り口に
タクシー受付があり
やけにチグハグなバランスで・・・・?

 北村西望の喝だ



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島原湾を横切るフェリー

2016-03-17 | 旅行
潮風が吹き荒ぶ
どんより曇った岸壁を
小さなフェリーは
ゆっくり熊本港を離れ
一人の気まま旅を
カモメが送ってくれた



広大な海苔養殖棚を遠くに
日本の情景だなぁと
入り江の島原湾を
横切って行った

あの火砕流の雲仙普賢岳
キリシタン弾圧の一向一揆と
島原への旅情は深まる







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熊本城近くの旧細川刑部邸

2016-03-16 | 旅行
熊本郊外をさんざ歩いた挙句
閉館間もなくの旧細川刑部邸
細川家三代忠利公の弟
刑部少輔輿孝が起こした

建坪300坪風雅な上級武家屋敷
熊本県指定重要文化財

細川刑部家2万5千石の屋敷としては
下屋敷だからか
庶民的で瀟洒な・・・・・

御玄関が唐破風屋根

入り組んだ瓦屋根

さりげない庭園を望んで

広々とした湯殿から武家の生活が想像できる


ただ広い敷地に
建物が雁行して
雅な風情があり
多くのお付きがそれをささえ
格式は上級武家屋敷か・・・・?



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熊本城

2016-03-15 | 
数十年前
九重山、阿蘇山へ登った時
熊本城へ寄ったが 整備途中で
全体像が把握できず
加藤清正が造った城か~
ぐらいしか記憶がない

今回は外周から巡り





しだいに城内へ



大手門、石垣、櫓





新装なった本丸御殿を順次観て



関ヶ原の合戦
朝鮮出兵
そして西南戦争と
歴史変遷の疾風に思い馳せた

天守閣から望む
田原坂は想像していたより近く
その戦いは城より観ていられたんだぁと・・・・・

天下の名城を観て
やはり城は石垣とガッテン



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鶴丸城跡のお濠沿い

2016-03-14 | 旅行
城巡りは栄華の歴史が偲ばれ
好きです
特に城郭よりも崩れしままの石垣が
リアリティと哀れさを
正直に語ってくれて心に響きます

ですから
城内より城外の城塞をみて
その環境や歴史を思い浮かべる訳です

鶴丸城は天守閣のない平山城で
薩摩という最南端の藩で
密貿易で得た富が
多くあるのに何故・・・・・

戦がないとふんでの事なのか・・・・・?





篤姫もこの橋を通り江戸へ


西南戦争時の官軍の鉄砲弾あと
が、昨日の様です



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