国指定重要文化財
江戸時代に交易を請け負った
旧下ヨイチ運上家(や)を
余市に訪ねた
何故漢字で余市と書かず
ヨイチと書くのか?
当時はアイヌ人が主で
和人は少なかったのでは
と考えたが・・・
そして何故旧下と?
余市川を挟んで上と下に
運上家があって
この様な家は
全盛期では道内に85ヶ所あったと
旧下ヨイチ運上家は
間口40m奥行16m建築面積540平米(164坪)
寛永6年(1853)に改築し
当時の図面をもとに復元
木造平家建て
一部中二階の大きな建物
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b4/9157e1493b76b2aff413ddb2d07e350a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/14/44f5fbc95bb232b53cd577a1cc931725.jpg)
松前藩は経済的基盤が農業でない為
蝦夷地の砂金、木材、
アイヌ交易で得た収益、
商人が運上金を払って
漁業を行う
その番屋からの収益が
松前藩の立ち位置だ
建物正面入口右側に出先役所
左側が番屋で番屋入口は左端にある
家屋は一体化してはいるが
右側の役所部分は上段に位置して
畳式だ
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/db/8640d9e2e35217a93bddc8c2be7398d1.jpg)
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番屋部分は大きな炉を中心として
炊事場、台所、酒蔵、
吹き抜け部分には
漁師の寝所が2階部分にある
天井が高く内部空間は広い
柱や梁は太く
豪壮な造りに驚く
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/1b/9f39cbbd6e02736ee42951f7b1131fa7.jpg)
当然とは言え
今様の新建材など無く
耐久性のある本物の建築が
時と共に美しくなり
本当に心安まる
こう言う建物を観ると
今の建築は
安く軽く100年も持たない薄っぺら
建築と思えて仕方ない
既存の建物を活かして
建物を建て替えるとか
使用する人と向き合い
使い捨ての美徳はやめて欲しい
地球環境的にもったいない事を
現代はしているなとつくづく思う