6丁目のつぶやき

歩く、登る、耕す、聴く、造る、採る、乗る、見る、の写真ブログ徒然草

念願の石山寺

2019-06-29 | 旅行
琵琶湖沿岸に近く
あの安土城跡の裏と言うか奥に
日本100名城
山城の観音寺城跡は位置する

交通の便悪く行ったとしても
史跡はちょっとした石垣のみ?
先に行った大阪の千早城のようでは
ないかと
二の足を踏んでいた

この付近に
石山寺があることを知って
どちらにしようか迷って
ホテルで
地図とにらめっこだが・・・

建築史を学んでいた若い頃
石山寺 多宝塔写真の
二層目の白い漆喰壁が
強く印象に残っていて
なんと均整の取れた
美しい塔なんだろうと・・・

芭蕉も奥の細道の那谷寺で一句
石山の石より白し秋の風
と読んでいたが、
石山寺と関係あるのかないのか
もちろん秋風の澄み切った
吹き渡る風のことだと思うが
石山寺が気になって・・・

いつかこの寺を訪れてみたいと
思っていたがその機会もなく
今日に至って・・・

芭蕉もこの寺を
訪れているし
紫式部も源氏物語を
ここで着想したし
枕草子の清少納言も
和泉式部、島崎藤村
錚々たる面々が・・・

是非行かなくてはと
心はすでに石山寺優先となり
電車で乗換えも無い
石山寺駅へ直行していた

終点の石山寺駅下車
琵琶湖から流れる
瀬田川のほとりを歩いて15分
豪壮な鎌倉時代の様式らしい東大門が
招いてくれた


境内の石畳を進み本堂を見て

起伏のある中腹に差し掛かると
感銘を受けた多宝塔が鎮座していた

下階が方形、上階が円形の上に
深い庇の屋根をかぶせ
上下左右均整のとれた姿を見せて・・・

塔内には鎌倉時代の大日如来像が
厳かに安置されて


建久五年(1194)に
源頼朝より寄進された塔は
建築的な発想が素晴らしく
当時の斬新性に頭が下がる


山全体が珪灰石で
それがいわれとなり石山寺と
名付けられたようだが

芭蕉はこの石を見て
石山の石より白し秋の風
と言ったのかどうか?

大杉は樹齢350年 幹周4.3m 樹高30mともかくでかい
元気をもらう


東大門、本堂、多宝塔、月見亭、鐘楼、
心教堂、等々


ゆっくり鑑賞して
紅葉の季節ならもっと
清々しい気持ちになったのではと・・・

観音寺城跡には申し訳ないが
石山寺へ来て正解だったと
つくづく思った




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日本三代山城の高取城

2019-06-25 | 
奈良盆地の南
標高583mの高取山山頂に築いた
高取城は
備中の松山城、岐阜美濃の岩村城
と並んで日本三大山城のひとつ
山城歩きを行なっている者には
欠かせない城だ

古都奈良の古墳群を
車窓から次々に望みながら
近鉄線壺阪山駅を下車
徒歩で土佐街道から
武家屋敷藩主植村家長屋門を横目に



急登の続く山へ入る
この間30分

坂道の続く
七曲りを汗拭きながら喘ぎ
登山気分で60分登る

途中
石垣用の石を飛鳥から運んだ
転用石、猿石 (礎盤は古墳石だそうだ)
を見て一休み

また登り
国見櫓跡で下界を見下ろし休み

二ノ門跡の崩れそうな石垣を経て

急峻な坂道を登れば
次々と朽ちかけた城門、櫓跡
二の丸、本丸の立派な石垣が現る








南北朝時代から
周囲3kmに及ぶ広大な縄張りに
いくつもの枡形虎口、石垣の高さ等
度肝を抜かれ
明治の初年まで三重の天守が


あったそうで
往時の栄華を感じる










石は平地から担ぎ上げ
その量たるや想像するだけでも・・・
中には石膏のついた石も
発見されたそうで
これは切石古墳から
運び出されたものと・・・

時の権力者の横暴、権威、シンボル性、
食料や生活物資の担ぎ上げ、等々
当時の苦労は血と汗と涙
並大抵ではなかったかと
唖然とする


泰平の江戸時代は
城番を置いて藩主以下大部分の人が
下界に降りていたそうだ

天空の城だったのでは!

嶮さ、壮大さ、複雑さにおいて
日本三大山城まちがいないと実感した

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市民の紀州和歌山城

2019-06-22 | 
関空から高速バス40分で
直接JR和歌山駅へ
そこからまた市バスに乗換え
公園駅で下車
徳川御三家和歌山城は
和歌山市内の中央に
でんと堀をめぐらし
早朝のためか市民が大勢
散歩している


大手門から入城して



すぐ右側に
巨大な大木 楠
戦災で被災したが生き返り
幹回り直径7m 背丈25m 枝ぶり35m
樹齢450年と
その大きさに目を見張り
その生命力に
力をもらう


秀吉の弟秀長が築城
関ケ原の合戦後浅野幸長が拡張
徳川家康の十男頼宣が入封して
御三家の格式にかなう
大城郭に拡張して
戦災に遭い
鉄筋コンクリートで建て替えた


雨上がりの城内は
しっとりと濡れた石垣が
豊臣期の石を加工しない野面積み

淺野期の加工した打込接ぎ

徳川期の石種が違う切込み接ぎが

その時代時代の石工技術と
為政者の威光を反映して面白い

森の中に浮び上る大天守は
紀伊徳川家の威光を示して
荘厳だ

早朝のためまだ開場されず
天守閣も庭園も見られなかったが

城内は
犬の散歩、ランニング走者
そして
四つ葉のクローバーを探している
お婆ちゃん
身近な市民の城なんだなぁと・・・


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南北朝時代の千早城

2019-06-19 | 

楠木正成が築城して
100日の籠城戦で鎌倉幕府軍は撤退し
幕府滅亡の引き金になった
千早城は
日本100名城の山城と聞き
電車乗換えを何度もして
やっと辿り着いた

大阪南部の三方を谷に囲まれ
三角錐の急峻な頂上にあるこの城
つづら折りの階段を約25分
喘ぎながら標高673mの
二の丸、本丸にたどり着く




南北朝時代の縄張りで
今は二の丸、本丸跡が平地になって
千早神社の社が本丸跡地に
人気なく寂しく建って いた


800人の手勢で10万の北条軍を
撤退させたこの地形
崖淵から集落「千早」が見下ろせ
敵の動向が手に取る様だ

目に見える遺構は何にもなく
ただの金剛山登山の端としか思えず
これが100名城かと思ったが
おそらくどこかに
土豪や空堀などが残って
いるのだろう

香港から来た男性が
100名城スタンプ帳を見せて
スタンプは何処にあるかと
スマホ通訳で
聞いてきたが
こちらもわからず
麓で探してみたらと
手話とスマホで答える


私の中ではガッカリ100名城ナンバー1だが
多分
鎌倉幕府滅亡のきっかけとなったことが
選定の理由か?

良いトレッキングだったと
ふもとで缶ビールを飲んで慰めた







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畑の草花

2019-06-11 | 家庭菜園
急に暖かくなり
ほっとけ農場も草花が
野菜類を尻目に咲き出した


タンポポ、クサノオウ、ツクシ、イタドリ、スベリヒユ、シャク、カキドオシ、フジアザミ、コンロンソウ
勿忘草、除虫菊等の野花が一斉に咲き出し
春を通り越して夏の風情だ














モンシロチョウが
畑中をヒラヒラと飛び交い
やがて青虫に・・・

そして
野菜の畝間にビッシリ
低く赤い茎を這わせ
厄介者の雑草プルピエ
ヨーロッパでは栽培して
いるそうだが・・・


これを我が家では
ほうれん草代りに
食卓を賑わす大事な草と・・・
中性脂肪を減らすそうだ

一方畑の中で雑草菊芋が繁茂して
日当たりが悪くなり
野菜類の成長を妨げているどころか
いじけている

無農薬有機栽培の畑は
生物との共存共栄で
いま花盛り・・・

やがては憎っくき獣類が
果実を食べにくるが
これも致し方ない
相手も生きなければならないし・・・

畑にいたカラスが
こちらを気にしながら
チョンチョンと
ミミズを食し


かぁかぁと言って
飛び去った

しばらくして
子鹿が二匹フェンスの外を
一目散に駆けていった

近所の畑でフェンスが有るのに
アライグマが侵入して
イチゴが全滅と聴いたが・・・
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除虫菊が花盛り

2019-06-07 | 家庭菜園
除虫菊が六月になり
あぜ道のあちこちに
一斉に白い花を咲かせた
キク科の植物で蚊取線香や殺虫剤の原料
になるそうだ

我が畑にも咲きだし
虫除けに貢献しているのでは?
と期待しているが・・・


作物は日照り続きで元気が無いが
除虫菊と菊芋だけは
元気百倍
少しは遠慮したらと思うが


花の大きさの割合に
茎は細長く背が伸びる
葉はとってつけたように小さい


花言葉は「しのぶ恋」だそうで
ちょっとピンと来ない

花びらはキリッとひらき
涼しそうな淋しそうな
清潔感があるが
花芯は黄色く力強く
車道にも生える
生命力のある花だ

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厄介な菊芋 「ブタ芋」

2019-06-04 | 家庭菜園
数年前からか畑の中に
背丈が2メートル近く伸び
繁殖力が旺盛な雑草である

生命力の強いネギを植えたが
ネギも真っ青
そんなのお構いなく堂々と
繁茂して枯らした


ネットで調べたら
菊芋 別名ブタ芋
憎っくき外来種である


土中深く赤い魂茎を作るので
スコップで45センチほど土起こし
腕は痛くなるは腰は病むし
ちょっとでも残せば
また二週間後に
発芽するし・・・
絶滅は不可能と思われる


強力な農薬を散布すれば
すぐに駆除できるらしいが
一年畑は休まなくてはならないし
無農薬の建前上そうはいかない

そんな訳で
我が菜園はブタ芋ぼりに
明け暮れしいるが
掘っても掘っても
直ぐにまた芽が出て
辺り一面
独占してしまう事態である
ほっておく方が良いのかも?




戦時中はこれを食べたそうだが
まずくてとてもと言うくらい
敬遠された芋で・・・

ところが昨今
天然インスリンが豊富で
糖対策に効果があるとか
腸内細菌の善玉菌を増やすとか
健康テレビで話題になって
俄然ブタ芋の見方が変わった

ブタ芋をそのままに成育させ
秋に収穫してみることにしたが
さて食べ方も分からず・・・

そこで考えついたのは
周囲1メートルぐらい耕しそこへ
かぼちゃの苗を植え
かぼちゃつるをブタ芋の枝に
からまらせ
かぼちゃを吊るすことに
ならないかと・・・

さて
秋の収穫期にどうなるか?
コメント (2)
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