6丁目のつぶやき

歩く、登る、耕す、聴く、造る、採る、乗る、見る、の写真ブログ徒然草

北の大地の風景

2022-05-29 | 旅行

残雪のチロロ岳それに続く日高連邦
その麓にのんびりと牛が放牧され
思い思いに草を喰む
まことにうららかな風景

 
一直線に伸びる暴風林
それをまたぐ直線道路
青々とした穀倉牧草地帯が
水平に広がる
これこそ北の大地
 
 
残雪のある白い日高の山並みと
穀倉地帯の対比が圧巻で
思わず自動車を停めて
雄大な景色を眺む
 
 
昔、日高連邦を夢中で登った
チロロ岳、芽室岳、剣岳、
エサヲマントッタベツ、幌尻岳の
頂を遠く眺め
当時の青春がよみがえったが
今は登山靴も下駄箱で埃まみれ
スニーカーで
ドライブに変わってしまったかと・・・
 
綿毛が舞った
 
 
 
 
 
 
 
 
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北海道縄文遺跡 北黄金貝塚

2022-05-27 | 旅行

狩猟漁猟採取型の生き方に共鳴して
伊達市に北黄金縄文遺跡を訪ねた

黄金貝塚の名称が気になって
砂金か何か出て
現代人が付けたと勘繰ったが
違った
 
北海道の場合大概アイヌ語から
来ているがここも
昆布の取れる川を
意味するアイヌ語で
オ・コンブ・ウシ、ベツに漢字を
当てはめた黄金藁が
黄金となったらしい
 
ここは約6千年前の縄文前期に
内浦湾を望む丘陵地に
定住が始まって
漁労を中心に
自然に負荷をかけず
心豊かな暮らしをしていた
 
 
北黄金貝塚情報センター
の展示を観て
堆積断面と採掘物
スリ石や人骨を目の当たりに
当時を偲ぶ
 
 
 
幅15m長さ60mの大きな
復元した貝塚をみて
貝塚の中に墓が作られて
人骨も見つかり
すべての生き物の墓地と捉えて
神聖な場所だったと・・・
 
 
鹿の角が外へ出て刺激的
大量の貝塚が
縄文人の年代長さを想像でき
悠久の生活に唖然とした
 
復元小屋内は広く中央に窯場があり
家族が囲んで団らんか・・・
 
 
縄文の森や水場にすり石等
当時そのものをみて散策
 
 
ピンクの桜草が際立っていた
 
 
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我家の種苗とタンポポ

2022-05-20 | 家庭菜園

我が家庭菜園ほっとけ農場では
雪が解けて寒い中石灰撒き作業が
始まる一方

自宅では種苗培土を買ってきて
ボットに入れそこへ
色々な種子を蒔く
 
 
居間に発泡スチロール箱を
何個も置き
土こぼれも気にせずに毎日毎日
覆っていた新聞紙を除き
水遣りを行い徒長を見守る
徒長も長くなったり
か細かったりで
頼りないが甘やかしすぎか・・・
 
 
朝起きてパジャマのまま
毎日水遣りしながら
観察
1〜2週間経つと芽が突然出始め
これはトマトの芽だ
キユウリの芽だと
一喜一憂
 
 
まだ芽が出ない種子は
次は何かと気長に待ち
花豆など
ある日突然土が吹き上がり
力強さをくれる
 
量が余りに多く作り過ぎ
友人やご近所へお裾分けだが
皆んなが喜んでくれ
願ったりかなったり・・・
 
 
 
大玉、中玉、ミニトマト、茄子
キユウリ、ヤーコン、花豆、大豆、
ささげ等の豆類、カボチャ、トーキビ、
ズッキーニ、オクラ
等々発芽時期も違い
葉の形も違い面白い
 
今年はスイカの種もチャレンジしたが
たった9粒の袋入
値段が高いのに驚いたが
さて発芽率は・・・
 
本州では梅雨入りと言うのに
毎日晴れ間が続き
ほっとけ農場へ行ってみれば
初夏の陽射しに
タンポポがたくましく
畑中に満ちていた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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五稜郭のソメイヨシノ

2022-05-15 | 旅行

以前、
五稜郭に寄った時には
桜はまだ蕾の段階で
寒かったことを思い出した

今回、北方縄文遺跡の
垣の島遺跡の近くに
五稜郭があり桜の満開と聞いて
道内桜スポット二位を
見なくてはと行ってみた
 
近くなるにつれて車は渋滞
街並みは大勢の人で
ごった返し桜見物なのか
騒々しい
 
ソメイヨシノ、ヤエザクラと
桜の本数1600本
それが一斉に満開
素晴らしい
 
 
 
 
 
 
 
桜吹雪、満開、チョット早い葉桜と
郭内、城外に咲乱れる
その下でスマホぱちぱち
宴会は無し
 
西洋式城郭も桜が咲いて
一段と冴え
良かったね!
 
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縄文文化交流センターと垣の島遺跡

2022-05-11 | 旅行

朝早く起きたら函館地方は
風は強いが雲のない快晴
民宿の窓から山肌が
緑の新芽と赤紫の山桜に彩られ
春の息吹を自然に感じる

縄文文化交流センターは
国道278号に接する
野原の真っ只中に
コンクリート打ち放しの壁が
広く平屋でのびのびと建ち
縄文の悠久世界を表している様だ
 
9時の開館を待つ間
周囲を散策
 
 
津軽海峡が一望に遠く
津軽が 
海風が強い
北側には恵山が連なり
西側に垣の島川
センターの下部には
垣の島遺跡が・・・
 
 
入場一番で場内はひんやり
縄文時代の発掘品が
系統的に陳列され次第に縄文にはまる

特に漆製品は九千年前で
中国より古く世界最古との事

またヒスイは新潟糸魚川産で
本州との交易が
あった事を物語る
 
 
 
別室の部屋には
高さ41.5幅20.1の
国宝中宮土偶が
ガラスケースに入り
造形が現代的でもあり
しばらく縄文の世界に
タイムスリップ
 
 
外へ出て
縄文早期から実に6000年間の長期に
地域の拠点になった垣の島遺跡を
実感
 
国内最大級の長さ190m高さ2m以上の
盛り土遺構
コの字型に紀元前三千年から
二千年に積み上げ
儀式に使われたらしい
 
 
国道のバイパス工事が
きっかけで
発掘は今も続けられ
まだ発掘率2%と言う
 
周りの山々は針葉樹が4割ぐらい
当時はこの木はなく
落葉樹ばかりとの事
現代は針葉樹が山景色を変えていた
 
縄文時代の
木の文化、森の文化に
引き込まれた
巨大な垣の島遺跡でした
 
北海道、東北の北縄文文化を
一体化して
そのモチーフデザインが
素晴らしい
 
 
 
 
 
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世界遺産 大船遺跡

2022-05-07 | 旅行

海辺から急坂を登った所に
野原がひらける
その中央に聳える
竪穴住居の骨組が
濃霧の中たたずむ

 
誰も見わたらない中
ボランティアの人が
気の毒に思ってか
良かったら
説明しましょうと・・・
年配のおじさん
 
これ幸いとよろしくお願いすれば
どこからか4.5人集まり
歴史環境を話し始めた
 
穀物を砕いた切り石が無造作に
無数おいてある所から
舟形竪穴住居の前に案内
 
 
地中2mを超える
深く掘り下げた空間に
炉があり墓もあり
ここでの生活をるる説明
縄文の世界に引き込まれる
 
 
 
自然の中から必要に応じた
食料だけを調達する
狩猟採取型の生き方がこの環境で
よく理解できる
 
 
大規模集落跡、盛り土遺構
竪穴住居の復元、胡桃の木など
環境の再現が図られ
千年を超える歴史を物語る
 
古代人になったかの様な
錯覚を覚え
彼方の太平洋海原を眺めたが
もやに邪魔され
胡桃の木が寂しく揺れていた
 
 
 
 
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森町の縄文時代早期の遺跡群

2022-05-04 | 旅行

駒ヶ岳の太平洋側森町には
縄文時代早期、前期、中期、後期の
遺跡群が噴火湾沿いに
なんと52の遺跡が発掘され
いわば森町すべてが
遺跡の中と・・・

 
九千年前の早期の土器が多数
出土しているが
そのうちの一つ
駒ヶ岳1遺跡では約200個も
土器や石器が出土しているとか
 
 
その中の鷲の木遺跡は
高速道路のトンネル上に
環状列石があると聞き
現地には行けなかったので
代わりに
森町遺跡発掘調査事務所を訪ねた
 
住所氏名を記入した後
数々の遺跡群の地図
他資料、そしてご丁寧に
マスク、
濡れティッシュの入っている
立派な袋を森町教育委員会から頂き
隣室の資料部屋を観る
 
環状列石は模型でみたが
北海道最大規模の祭祀遺跡
直径35mのほぼ円形の配石で
外側に列石が二重に巡らし
いくつかの竪穴墓がある
 
 
その下に高速道路が貫通して
工事は遺跡への影響を
防いで行われたとか
 
駒ケ岳の噴火で火山灰が
1,200m積もり
10世紀の白頭山の火山灰もあり
その下に縄文時代が・・・
 
縄文時代後期前半(約四千年前)
て埋設土器が出土している
この一帯の祭祀を丸く囲んで・・・
 
ロマンですね
 
 
 
 
 
 
 
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北海道縄文遺跡 入江貝塚 高砂貝塚

2022-05-02 | 旅行
世界遺産に指定された
墓を伴う竪穴住居を観たく
入り江、高砂貝塚へ
出かけた
 
洞爺湖から新しくできた
トンネルを走ると噴火湾だ
そこから
入江 高砂貝塚は小高い丘で
近い
 
まず入り江高砂貝塚館で
情報を得て
広大な入り江貝塚を歩く
 
噴火湾に面し
狩猟に適している立地だなぁと
直感
 
 
貝塚、魚骨、動物骨、釣り針、すき
石器、土器等堆積した地層断面を見て
縄文時代前期末(約五千年前)から
千年以上もの間に形成され
長い時の流れを感じる
 
 
竪穴住居の骨格を再現して
地中深くの土間に
土葺きの屋根だったとか
防寒対策の為か・・・
 
 
そこから歩いて5分程度の高砂貝塚は
縄文時代後期(約四千年前)
墓 配石遺構がある
縄文後期(約二千五百年前)の貝塚に
ホタテ貝を敷き詰めていたが
生々しくチョット違和感があった
 
 
復元も無く看板説明だけで
アイヌの人達も暮らしていた
痕跡があるとか想像を巡らすしかない
 
噴火湾に面し
自給自足できる
広大な敷地に竪穴住居が
数多く見つかり
そこで何千年も
長々と生活できる集落を想像すると
平和だったんだなぁと・・・
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