6丁目のつぶやき

歩く、登る、耕す、聴く、造る、採る、乗る、見る、の写真ブログ徒然草

ほっとけ農場主 悩むその5

2016-08-31 | 家庭菜園
捕獲籠への餌まきを毎日繰り返し
一ヶ月で収穫1匹
餌代もかさみ
諦めの境地に達しつつある

今日も1本爪が朽ちたスイカに
ガッリッと・・・・


相変わらず
鹿、キツネ、アライグマは出没している模様

餌のキャラメルコーンは喰われ
毎日この状態を繰り返している

なんかおかしい
籠には蟻が無数徘徊して
捕獲籠の蓋は落ちない
何故か?
どうも、蟻のしわざではないかと
思いついた

そこで蟻退治の粉末を付近にまき
その上に捕獲籠を載せて
さあぁ
どうだ!


次の日確認したら
蟻はいなかったが
相変わらずキャラメルコーンは
しっかり無くなっている
どうやらネズミの仕業か?

ネット柵をつくり
電気柵を張り巡らし
テングスを張り
LED照明をセットして
捕獲檻
ネズミ取りと
蟻退治粉末
そして
スズメ蜂スプレーと・・・・

本州と違って猿が居ないのが
福音だが
獣対策に翻弄され
ほっとけ農場がほっとけない
昨今です

それに加え
無農薬故の害虫も今年は
すこぶる繁殖し
キャベツなどはかくの如し


人間様の浅はかな知恵は
生物たちには通用しない

どうも昨今
虫など小動物から鹿まで
数々の生物が動物天国化して
ほっとけ農場をのさばり
闊歩しているようだ

共存共栄だから仕方ないか・・・・・

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ほっとけ農場主 悩むその 4

2016-08-28 | 家庭菜園
アライグマ捕獲後
業者が持ってきた
新式の捕獲檻は前回の旧式檻より
セットは簡単だが一回り小さい

入るかなぁ〜


籠の編み目から手を入れたらしく
餌だけ全て取られ
おまけに周囲足跡だらけと獣臭
隣の大根葉も踏付けられて・・・・
その先のスイカ畑でまた一個被害
ここではLED照明が光ったはずだが
役立たず
敵もやるもんだ

雨の中
また捕獲かごへ
誘導する様に
キャラメルコーンを撒き

さて明朝は・・・?



案の定
餌だけとられ
しかも残りのスイカ一もまたやられ
今年はスイカは絶望かも・・・・・

西瓜はまだ青い実なのに
大きくなったものだけを
がぶりと皮を喰い千切り
どこかへトンズラ


付近の農園も皆んな食べごろに
被害続出
大きな足跡を残して・・・・?


残りの四個には
黄色の大型プラスチックのケースを
かぶせたが?


捕獲檻には夕張メロンを
ご馳走して
さあ、どうだ!

不思議にもヨソは
被害が無いと・・・・・
うちのは無農薬だし
甘く美味いのではないかと・・・・??
慰めて

市の業者は辛抱強く待っていれば
必ず捕獲できるからと奨励され
また仕掛けて様子見

悩むなぁ・・・・

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ほっとけ農場主 悩むその3

2016-08-26 | 家庭菜園
業者がスイカ畑内の通路に
捕獲檻をセットしてから
檻の中のキャラメルコーンは
綺麗に喰われ
捕獲もされず
傍の西瓜はまだ青い実なのに
大きくなった希少な2個ほど
がぶりと皮を喰い千切り
どこかへトンズラ

付近の家庭菜園も食べごろに
被害続出
その5日目


今日も遠くから恐る恐る
檻をみたら
なにやら動いているでは無いか


近くへ寄ったら
パンダの様なまなこで
ちょっと悲しそうに
檻に縮こまり
こちらをじつーと凝視して

ふさふさした毛皮をまとい
一見可愛いく見えるが
泥にまみれた手足は
長〜い指と尖がた爪
が獰猛さを示していた


ネットで調べたら
まぎれも無い
アライグマ


早速業者に連絡
子供のため重くは無いと
仕掛け檻ごと
持って行った

曰く
今年は去年より多く捕獲でき
この付近で親子3頭
捕獲したが
多分まだいるから
新式の捕獲檻をセットしますと
また置いて行った

可愛いいアライグマの
行く末は?
どうなるんだろうか

共存共栄なんて言っちゃって
ゴメンね❣️

でも
キツネも
鹿も
カラスも
ネズミも居るし・・・・?

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ほっとけ農場主 悩むその2

2016-08-24 | 家庭菜園
アライグマ事件に続き
蜂の巣事件

アライグマの爪痕をたどったら
その先
小屋の軒裏になんと
高さ約30cm直径15cmの
蜂の巣発見
大きな4、5匹が巣に纏わりついて
穴から出たり入ったり
今度はアライグマに引き続き
空中戦の様相です


早速、ネットで調べたら
スズメ蜂の巣のようです

凶暴で
刺されると
命に関わるとのことで
業者に撤去を依頼しようかと・・・・



待てよ!

良く考えたら周囲を
ネットで囲んだため
蝶々が入らず交配が進まない

これを蜂が手助けして
受粉効果が望めるし
かつ虫を食べてくれるのではと・・・・・

胡瓜、かぼちゃ、ズッキーニ、西瓜
インゲン豆、茄子、トマトの花が
咲き乱れ
ブンブン飛んでいるが
危害は今の所無く

蜂様と崇め奉る
恐る恐るの
様子見が続きます


そのうちに痛い目にあったりして・・・・?
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ほっとけ農場主 悩むその1

2016-08-22 | 家庭菜園
高さ2mの獣対策ネットを
獣が喰わない
ネギやニンニク畑を除いた
部分に巡らし
何とか今年はと思っていた矢先です

朝行って見たら
小屋前の板にしっかり
爪の長い手足の痕跡が
着いていました
付近には木の実を食べた糞まで残して

そう言えば
ラズベリーが真っ赤に成って
食べごろを迎えていて・・・・

痕跡を人に見せたら
間違いなくアライグマとか

アライグマはネットなど爪を活かし
果実を取りに高い木も
苦もなく登るそうです

そろそろトーキビの食べごろ
去年もこの時期やられたので
トーキビの部分にまた
ネットを張り巡らし外側と合わせ二重にしました

市に連絡して
捕獲かごをセット
駆除をお願いしたが

誘導する餌は全て食べ尽くされ
生け捕りもされず・・・・?
五日間



ご近所のスイカ畑も被害です

今晩もまた捕獲籠に
餌まきをしますが
餌のキャラメルコーン代も
バカにならない


敵さんやるネェ

こちらも
電柵を張り巡らし
獣に反応するLED照明を購入して
また挑戦です



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北海道新幹線 初乗り

2016-08-20 | 旅行
新幹線開通以前は
蟹田まで鈍行列車
海底トンネルを特急に乗り
かつ普通料金で木古内まで乗車でき
そこからまた鈍行列車で
最北端の津軽平野や
道南の海添え景色を
ゆっくりと
楽しめたものです

今は
新幹線に乗らなければ
相互に行ききできなくなり
鈍行列車で旅する者には
つらいものがあります

フェリーと言う手もあるが
時間調整と
乗り継ぎが面倒であるし
第一 鉄道の旅 ではありません

仕方なく
今回北海道新幹線
新青森駅から乗る羽目に・・・・



暗い海底トンネルをあっと言う間に
通過して
遮蔽壁の中
ただ車内を眺めるだけで
窓の景色を見る間もなく
新函館北斗駅へ・・・・

時間を旅する風情は何もなく
時間を持て余している年金者には
なんとも味気ないものです

はい!
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酒田界隈

2016-08-18 | 旅行
最上川の河口に
商人で賑わう湊町 酒田を数十年前に
自動車で寄って
さらっと見て
記憶が薄れていました

今回は鈍行列車で一人旅
酒田駅で約三時間の
乗り継ぎ時間があったため
観光案内所へ飛び込み
時間内の観光スポットを
教えてもらいました

年配のおじさんが
カタログを指しながら

山居倉庫、本間家旧本邸、旧鎧屋、浄福寺の唐門
4箇所程推薦
赤鉛筆でマークして
その道順を丁寧に教えてくれ

そのうえ
唯の自転車があるから
それで行けば
次の鈍行列車には
充分間に合うからと・・・・

安全に充分注意してと
念をおされ
喜び勇んで暑い陽射しの中
綺麗に整備された
高低の緩やかな広い舗道を
爽快に走り
地元の人の様な感覚で
紹介された施設を観て回りました

庄内米の保存をした山居倉庫


ここから江戸へ西回り航路

本間家旧本邸の片隅に

浄福寺の唐門


名所の駐車場には
観光バスが数台止まり
観光客が大勢です
以前の酒田の印象とは大分違って
賑わっていました

時々、迷うが
史跡案内表示盤が各所にあり
また立ち聞きすれば
親切な道案内です

酒田商人の人情と思えて
ルンルン気分の自転車は
言うまでもありません

木陰の茶屋で
コーヒーを飲み
ゆっくり駅に戻り
自転車キーを観光案内所へ
戻した時
案内してくれたおじさんが
笑顔でよかったですねと・・・・

ホームに待機しているガラ空き状態の
古い鈍行列車に乗り
靴を脱いで両足を投げ出し
人々の親切な案内と好印象な街を
思い出に
車窓から端正な鳥海山を眺めつつ
庄内平野を後にしました
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鶴岡市立 藤沢周平記念館

2016-08-16 | 旅行
藤沢周平の時代小説に
架空の海坂藩がよく出て
どこか寂しい郷愁を誘います

それは庄内藩 に違いなく
鶴ヶ城、北前船の拠点、出羽三山、
そんな豊かな土壌に
武士道が息づき
雪国の静かに包んでくれる環境が
強い影響を受けたに違いありません


しなやかな強さと
控えめな正義感をベースに
武家御家騒動もの
悲哀の中にも温かい人情もの
その夢と感傷を描いた
人間としてのゆるぎない生き様に
涙を抑えながら
身体が浄化されるように思え
むさぼり読んだものです

鶴岡のお城の跡地に
藤沢周平記念館が
あると聞いて
これは是非見学しなければと
行く道順を
今流でない使い古されたバス
の年配運転手さんに聴いたら
このバスは鶴岡公園には行かないが
降りるバス停がきたら合図するからと
庄内弁で言い
バスから降りても
運転席から
記念館への行く道順を
手振り羽振り
丁寧に教えてくれ
小説の題材になる様な
温ったかい人でした

これが庄内土壌と
暑い中
汗を拭き拭き
歩き始めました

瀟洒な建物には
昔読んだ数々の陳列本
小説から抜き出した文章の表示
周平の生い立ち
等々周平ワールドの
独特の風土を彷彿させる
記念館でした

ルネサンス風の旧西田川郡役所

郷土の人物資料展示の大寶館

庄内藩校致道館入り口

庄内藩校の致道館


再読する楽しみがまたできました


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宿坊の精進料理

2016-08-14 | 旅行

出羽三山のひとつ羽黒山へ行くべく
国宝 正善院黄金堂(頼朝が藤原討伐にあたって勝利祈願して寄進した寺)


近くの宿坊 奥井坊 に泊まりました



すでに到着していた大型バス2台分の
団体修験者は
早い夕食をとってすでに就寝
朝2時頃、静かに出て行った

残ったのは広い宿坊で自分一人
おかげで
神主が
晩酌まで付き合って
大太鼓の音、2礼2拍1礼、柏手、
山伏、野伏等々
その意味合いを
庄内弁の混じる
お酌のやりとりで
話に花が咲きました

精進料理は
地元の旬の食材を使い
肉っ気のない素朴な
それでいて手間のかかる
お袋の味といった
美味しい料理で
神主さん手作りのつや姫 のご飯ともに
盛り上がりました


晩酌時に明日の朝ご祈祷を
してくれると私一人のために
朝一番
神主が自ら灯りを灯し

大音響の大太鼓を打った時には
なにやら心がときめき
無心に頭を下げ
それから
精進の朝食

何故か食堂の壁に
伊達政宗公の遺訓が・・・・


神主に見送られ
晴々しい気持ちになって
宿坊を
あとにしました
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2446石段の羽黒山と三神合祭殿

2016-08-12 | 旅行
昔、日本百名山の月山に登ったが
笹が一面なびく穏やかな山で
スキーなら気分も最高だろうと・・・・

 「ありがたや雪をかをらす南谷」

芭蕉は奥の細道で
出羽三山の羽黒山、月山、湯殿山
を草鞋で登り
しかも月山山頂で宿泊
その健脚ぶりに脱帽します

羽黒山では

「涼しさはほの三日月の羽黒山」

と句を残しています

そう高くは無い414mのこの山は
両側に大杉と数々の御堂があり
途中
1000年超える大杉
雄々しく建つ国宝五重塔
を仰ぎ見て
山岳信仰、修験道の山として圧巻でした

長々と続く急激な2446段の階段
聞くところ日本一段数が多い階段で
四国の金毘羅さんも真っ青だとか







広い頂きには月山、羽黒山、湯殿山
の三神が合祀されている
三神合祭殿がデンと構え
信仰の奥深さを出羽ならではと・・・・

茅の大きく跳ね出した
茅葺屋根が度肝をぬき
総朱塗りの豪壮な建物に
多くの白装束の信者、山伏が
手をあわせていました





山中の国宝五重塔
夜はライトアップがされると聞いて
カメラを持って
挑戦しようかと・・・・

だが待てよ
山中の塔を照らして
自然体系は・・・・?
芭蕉の ほの三日月が・・泣くよねぇ
などと言って
疲れも加わり
登る元気も無く
精進料理を食べて
一杯飲む方向に
舵を切りました

こんな事では
祈願は叶えられないですね
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村上 早朝の 瀬波温泉

2016-08-10 | 旅行
日本海の夕日が見たく
村上駅の観光案内所に飛び込み
夕日の瀬波温泉に泊まれるか
聞いたところ
本日金曜日は生憎どこも満杯
仕方なく駅前旅館へ
素泊りで泊まった

旅館の親切な女将は
朝一番
朝日は陸側だけど、景色が良いから
レンタル自転車で
瀬波海岸へ行ったらと
30分前後で行けるし・・・・

次の鈍行列車の発車まで
時間もたっぷりあるし
海岸と温泉街を観るのも良いかなと
早速荷物を預かってもらって
空身でらんらん気分です

幅広の1本道路の海側には
見るからに宿泊料が高そうな
立派な観光ホテルが
何軒も建ち並び
反対側はズッと砂浜の雑木林
砂漠内の道路と見間違うほど
よく見る温泉街の風情はなく
人の気配もない

そこをママチャリ自転車で
風を切りながら通り過ぎ
外れの海水浴場へ

朝早いので泳いでる人は
まだいない
潮騒の音が汐風と共に
聞こえ
遠くの粟島がかすんで
穏やかな安らぎです


海は母だなぁ






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村上市 3商店のつながり

2016-08-08 | 旅行
村上と言えば
三面川で採れる鮭を
塩引きに吊るす風物詩が有名です

駅前旅館でそこを見るなら
有名な味匠 喜っ川をと紹介
行って見ました

やさしい笑みをたたえた店員が
薄暗い奥まで案内して
説明してくれました

特有の匂いが鼻をついて
裸電球と小さな窓から射し込む僅かな光の中に
1m前後の大きいな鼻曲り鮭が
天井一面に吊るされ
熟成されている光景は
まことに凄いです


粗塩を引き、塩漬けにした後
寒風にさらして3週間
そしてこれを一年間で3回程
洗って塩漬けを繰り返す
アミノ酸発酵が生じ
熟成するのだそうです



鮭を切腹させないと
曰く因縁
(米の不作時は鮭が採れる、そのおかげで村上は死なずに済んだ
 鮭に感謝を示し、全部開かないで腹の一部を残す)
を解説して
鮭の加工技術、鮭料理
100種を超える伝承の技があるそうです


手間暇かけた逸品である事が
良く理解出来
試食などして
北海道から見れば割高と想いながらも
お土産に買う始末です

女将さんに
鮭の上手い料理店を聞いたところ
二軒ほど教えてくれ

一軒は駅前旅館 石田
偶然にも
宿泊先なので
話が進み
もう一軒は割烹 千鳥

場所はこの近所と
そんなに高くはないと教えられ
ここへ・・・・・

女将は味匠 喜っ川の女将と
同期で娘同士も同じとか



狭い土地柄
皆さん繋がって
宿泊人の私もつながり
楽しく盛り上がりました

料理はもちろん
鮭の酒蒸しをベースに刺身等
つながり気分も手伝って
地酒と共においしく
やっぱりと
満足の村上でした











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村上 重文 若林家住宅

2016-08-06 | 旅行
羽越本線、鈍行列車の車窓から
どこまでも続く丹精込めた稲田をみて
町に入れば村上です
どこか品の良い
ひびきのする地名です

村上藩150石中級上位
武士住宅の茅葺平屋建若林家
簡素な曲家住宅で
小さく狭い間取り



囲炉裏で薪を燃やし
煙が部屋に漂い
梁や柱そして食器棚が
黒く染み付いて・・・

そんな囲炉裏をかこんで
鉄瓶で沸かした湯の
お茶を頂きながら
昔、疎開先の借家もそうだったなぁと
懐かしくタイムスリップして
住んでいた人の暮らしなど聞いた
ひとときでした

大変なおもてなしです



手入れの行き届いた広い庭園と
上手く調和して
武家屋敷らしい
武士道の精神が
ここかしこに
横溢しています


今の合理的な住宅にはない
日本古来の羨ましい豊かな空間です



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会津若松駅前

2016-08-04 | 旅行
会津若松駅は
磐越西線と只見線が走っている


会津若松駅の緑の窓口で
出発時刻を聞いたら
若い男の駅員さんが
親切に数々の時刻を
プリントまでして教えてくれた

駅舎の正面は小さな唐風屋根がポツンと
出入り口にはりつき
堂々とした会津のイメージ
にはちょっとそぐわない
気がするが・・・・


駅前には
バス乗り場と駐車場がだだっ広く
これから整備するのか
しないのか?

子供が喜びそうな
模様を凝らした
数種のマイクロバスが
市バスの発車する合間に
運行していた

菅傘をかぶった老夫婦が
仲良く手をつなぎ
ゆっくり歩いていたが
なぜかこの街にピッタリ
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会津 鶴ヶ城(若松城)

2016-08-02 | 
戊辰戦争で官軍の
砲弾にさらされ
籠城一か月
半壊になった 会津鶴ヶ城 写真は
何度見ても
その無惨な姿に
戦はするものでは無いと
常々思っていたが
再建されたと聞いて行って見た


既存の石垣を残し
新たに鉄筋コンクリート造で
外観を忠実に復元したそうだが
新しい漆喰壁と窓のプロポーションが
なんとも無表情で本当かなぁと・・・・

ボランティアの人に聞いたら
忠実に再現したとか



一方
石垣は野面積み、乱積み、と築城年代が
鶴ヶ岡城の幾多の変遷とかさなり
松平容保もこの石垣を見て
徳川家の伝統精神を養ったのでは
と思ったりして
ならぬものはならぬ などと言って
京都守護職を受けなければ
悲劇は起きなかったのに









やはり城は石垣ダァ〜
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