6丁目のつぶやき

歩く、登る、耕す、聴く、造る、採る、乗る、見る、の写真ブログ徒然草

タンポポの綿毛

2019-05-31 | 家庭菜園
タンポポが畑のあちこちに咲いて
あっと言う間に
綿毛の球形になり
危なかっしく風に揺れる


綿毛の球は繊細で誠に綺麗だが
その形態は
長くは続かない
次第に一本一本抜けて
空中に舞い始め
抜け殻を尻目に
どこかに立ち去る




抜け残ったハゲ頭は
なぜか自分を観ている様で
寂しく哀れだ




よく見るとこれはこれで
命が宿っているような
味ある形態で
生命力を感じるが・・・




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ヤグラネギの生命力

2019-05-26 | 家庭菜園
葱坊主を作らずネギの先にまた
小ねぎが枝別れしてまたその先に枝別れ
だから別名 二段櫓ネギとも三段櫓ネギとも・・・


去年のヤグラネギに
今の節どんどん小ネギが成長して
くねくね曲り
怪しげな風情を畑に放っている


その部分をちぎり
地中にさせばまたまた根付いて
ぐんぐん伸び絶対に途絶えない
なんとも生命力の強いネギです




いつでも食べられる
重宝なもので
納豆に!味噌汁に、薬味に!


昨今の暑さ
手作り冷奴に
刻んだ青ネギとオカカをかけ


大吟醸 山田錦使用の
酒冷やして
お気に入り盃で味見
ちびりちびり


栄養価が高く中性脂肪が減り
万歳‼️


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石垣の無い山城 春日山城

2019-05-21 | 
上杉謙信の居城
春日山城は北陸へ行った時に
信越線の車窓から
いつも望んではいたが・・・

日本100名山踏破後
今度は山城に興味を持ち
日本100名城の一つでもあり
謙信が敵に塩を送ったり
領土的な野心で
戦を起こしたこともなく
生涯独身で過ごした
義を重んじる姿勢に
是非行かなくてはと・・・

直江津から
妙高はねうま線に乗り換え
春日山駅で下車
そこから春日山城登り口まで
平地徒歩30分

さらに
徒歩90分の登りはきつく
さすが山城
汗を拭いては草花を愛でながら
中腹まで行けば
山の頂が見え始め
城の全容が想像できた


急峻な小山で標高182m
自然の地形を生かし
空堀や土塁を重ね
南北朝時代に築いた連郭式山城で
石垣などは造らなかった


本丸天守台、水のある大井戸、毘沙門堂、景勝の屋敷跡、直江屋敷跡、二の丸、三の丸等の
石碑をみて当時の様子を想像・・・













頂上の天守台に立てば
昔登った八海山、妙高山、火打山、焼岳、等の山々に残雪が輝き
眺望が素晴らしく
また足下では頸城平野、日本海が一望
敵の動静は全てわかる位置付けだ




上杉藩の財源である越後上布の材料となる
青苧の葉が茂り

白いヒメシャガがあちこちに
咲く

花言葉は友達が沢山できると・・・

謙信には長江兼続の様な優秀な部下が
多くいたことを思うと
ひときわ印象深い

戦国時代のロマンに
充分浸ったひと時だった

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嶮しい坂戸城跡

2019-05-16 | 
JR上越線六日町
直江兼続の生誕地で
大河ドラマ「天地人」が記憶にあり
坂戸城跡を偲ぶため下車

風の無い絶好の快晴
駅前は
目指す坂戸山634mは眼前に
樹木が萌えて鬱蒼と春たけなわ
右側に残雪の金城山1367mを
左端に八海山1778mが遠く
陽に輝いていた

麓の旅館に荷物を置き出発
坂戸山の登り口はため池のような
水たまりに鯉が泳いでいた
これがパンフによれば内掘跡であり
なんともお粗末な堀になってしまった



領主の居館跡は
どこにもある石垣がシダ類に埋もれていた

頂上の城跡を目指して
登り始め
中腹には平時の居住跡が
更地になって・・・


そこから
急登の山道がつづら折りで続き
城跡らしい形跡は皆無
幅の狭い嶮しい山道で
馬など通れない

この上に城があるのか?
食物の運搬は?
築城は?いつ?
と想いをめぐらし
びっしょり汗をかきながら
90分
途中カタクリの群生、イカリ草、すみれ
等々の花々を愛でながら
ようやく実城跡に到達する







見晴しは絶景
昔登った100名山
八海山、中岳、巻機山、谷川岳、苗場山が真白に雪を被り360度の絶景で
思いがけず登山気分を味あう






足元は六日町市街の平地が拡がり
ここなら敵の軍勢を把握しやすく
櫓の役目をはたしていたのでは?

戦国時代一度も落城したことのない要害と聞いて
この嶮さならと頷けるが兵糧攻めに
会ったらどうしょうもなく
簡単に落城するのではと?



所々に石碑が無ければ
城の痕跡はまったくわからず
ただの坂戸山登山道だが・・・

今は山ガール、山菜採りおじさんが
花々を観て登山を楽しみ
往き来する
時のうつろいを感じる

旅館の露天風呂から
坂戸山の頂上が見え
夕陽が沈んで神々しかったが
在りし日の実城も
今日の様に見えたに違いない


泊まった旅館では旬菜の数々
山に抱かれてるなぁ

酒も地元酒造会社限定酒で
魚沼で候、雪あかね、雪男と
三種の味見で舞いあがり
グビッグビッ


酒の命は地元で出来立てと
再確認して
またグビグビッ旨っ!
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昔畑中の新発田城

2019-05-12 | 

実家に帰る時に堀部安兵衛の出身地
であり

いつか新発田城に
寄ってみたいなぁ
と思ってたが
乗り継ぎやら
新幹線が開通して疎遠になり・・・

日本100名城の一つとあれば
是非行かなければと
今回実家の様子見のついでに
やっと寄る事になった


JR羽越本線新発田駅は
白と黒の城風な新装デザインで
ひっそり活気がない

その新発田駅より
北側へ徒歩20分

いくつかの道を曲りくねり
見通し難く
攻めにくい城下町が想像できる

築城は室町時代と古く
沼地に作った平城で
御館の乱の
景勝と対立した新発田氏の居城だった


その後秀吉の命令で溝口秀勝が
尾張から入封して
関ヶ原の戦いで徳川方に付いた
外様大名として明治まで続く

公園内に面した
緑色の水をたたえたお堀には
桜老木の新芽が
石垣に映える


表門、旧二の丸櫓は江戸時代から
現存する国の重要文化財
鉄砲櫓、辰巳櫓は戦後解体修理したが
内部に入ると木造の包むような温もりが
ロマンをかりたてる






乱積の石垣は寛文9年(1669)の大地震で大半崩れ
石を整形した切込はぎ積みで
復旧したもの
全長350mの長さの石垣に驚く




実際は南側に三の丸があったのを
お堀や武家屋敷が
道路になったり市街化して
残念である

本丸の北側三方は(馬足不叶)と
湿地であり南側だけを警備した
櫓が11棟と主な門が5棟と
沼の多い未開墾地の
立地条件を考えた縄張りです

蘇った三階櫓と辰巳櫓をみて
本物の城が石垣と共に
今も息づいて越後平野の平城を
味わい楽しんだ
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たんぽぽと白樺の新芽

2019-05-08 | 日常
若い頃、
東京から転勤してきて
初めての五月を迎え
真っ黄色なたんぽぽが
どこでもパッと
はち切れんばかりに咲き
穏やかな日差しの中に
雪原から解放され
あぜ道や野原で
次から次へと咲き始める


これが北海道だ!
とうなずいたものだった



生命力の力強さが
健康そのものです


一方あちこちに生える
白樺の木立に
芽吹いた小さな
新緑の若葉が
若々しくそれはそれは美しい






春の息吹が爆発した様な
そんな北海道の風景が
見られる朝は
清々しく
大好きです

転勤を断わって
北海道に
永住する気になった一つは
今の季節の萌える生命力でした

自然大好き人間です





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疲れを癒すヨガポール

2019-05-04 | 日常
大型連休はどこにも出掛けないで
家庭菜園で汗流すことにした

幸い晴の日が多く
土を耕すことにはもってこい
雪解けで硬くなった畑は
朝から晩まで土起こし草取りで
中腰姿勢は続き
万歩計は1万歩を優にこえる


連日の土起こしの疲れは
蓄積されて
加齢が原因か
ぎっくり腰で
腰が曲がらず
寝起きが不自由なことになった

カミさんの一言
直径12㎝のパイプがあれば
それに布を巻き付け
ヨガポールを作るから
その上に寝転んだら治ると・・・

畑で不要のエタパイプを探し

作ってもらい
早速試してみた

背中のストレッチができ
背骨の疲れを癒し
すこぶる気持ちがよく
疲れも猫背も治ると
居間でコロコロと寝転ぶ始末です


桜も野花も咲いて
春爛漫なのに




歩くこともままならず
年は取りたくないものだと・・・

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