私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

IS(イスラム国)問題

2015-04-15 20:37:56 | 日記・エッセイ・コラム
「イスラム国」というものはどうもよく分かりません。ウェブロンザという朝日新聞のサイトに川上泰徳という方の長い解説記事が連載中で、私も読ませて頂いています(無料で読める部分だけですが)。川上さんは朝日新聞社を今年1月に退職するまで中東取材に20年間関わってきたベテランで、“[1]「イスラム国」はどこから出てきたのか”に始まって、私の知らなかった多くの重要な事柄を教えてもらっています。この記事の根幹は、2014年10月29日発行の『中東マガジン(朝日新聞)』に出たもののようですが、結論的な文章を少し引用させて頂きます。:

#「イスラム国」の出現は、「アラブの春」で目覚めたサラフィー主義の若者たちの運動だと位置づけるべきである。「アラブの春」の後の混迷が「イスラム国」出現を後押ししたという要素もあるとしても、イスラムの教えに基づいて正義や公正を実現しようとするサラフィー青年の運動が、「イスラム国」という形をとった、と考えなければならないだろう。若者たちは純粋であるだけに、運動が過激化しやすいことも確かだ。「イスラム国」をテロ組織として軍事的に攻撃しても、なくなりはしないことは既に述べたが、逆に過激化させることになる。
 「イスラム国」についての問題の本質は、アラブ世界を動かす存在となっている若者たちが直面する問題をどのように解決するかということである。そろそろ、「対テロ戦争」で「イスラム国」を壊滅させれば問題は解決するという考え方から、脱却すべきだろう。世界が「イスラム国」を軍事的に敵視し、たたき続ける限り、現在の「イスラム国」が世界にとっての安全保障の脅威、つまり「テロの温床」になる。必要なのは、世界の方から「イスラム国」との間で軍事的ではない対応をさぐることである。
 「イスラム国」に対する最善の解決は、「イスラム国」に参加しているサラフィー主義の若者たちが、シリアやイラク、またはその出身国で、サラフィー主義者として政治勢力として活動できるような民主的な政治環境をつくることだろう。いまの中東の混乱を考えれば、理想的に過ぎると見えるかもしれないが、民主主義や人権、法の支配を回復する中で、「イスラム国」として突出したアラブの若者をも包含するという中東正常化の方向に向かわなければ、事態はさらに悲劇的な方向にむかうことになるだろう。#

現地の言葉ができて現地で取材することがどんなに大切なことかは、十分に分かっていますし、私のように小部屋の椅子に座ってインターネットを覗き込んでいるだけの人間に発言の資格はないのかも知れません。しかし、私の貧弱なアンテナ(ここでレーダースクリーンと洒落てみたい気もしますが)に引っかかった情報で、気になる事柄がありますので、報告しておきます。
 今年の2月4日と11日に『ロジャバ革命(1)、(2)』という記事を掲げました。その始めの一部を再録します。:

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シリア北部、トルコとの国境に近いコバニの町とその周辺で、イスラム国はその発祥以来初めての決定的な軍事的敗北を喫しました。コバニの死闘をスターリングラードの死闘と並べる声さえ聞こえてきます。そして、その勝利の原動力は女性戦士たちであったのです。イスラム国の軍隊に立ち向かったクルド人部隊に女性兵士も多数加わったというのではありません。男性部隊(YPG)と女性部隊(YPJ)が肩を並べて共々に闘ったのです。コバニの勝利に象徴される「ロジャバ革命」が女性革命だとされる一つの理由がここにあります。もし、「ロジャバ革命」のこの重要な本質が、専門家たちによって広く世に伝えられたならば、世界中の本物のフェミニストたちは歓呼の声を上げるに違いありません。
 いまイスラム国を称する勢力は2013年から特にイラクで活動を顕著にしてきましたが、それが激化したのは2014年に入ってからで、私たちの意識もこの辺りで急に高められます。米国の傭兵であるイラク政府軍は烏合の衆で大して役に立たず、米国は、2014年の夏以降、イラク内でイスラム国に対して空爆を開始しましたがあまり効果が上がらず、イスラム国の支配地域は拡大を続けています。イスラム国がシリアの東北部のラッカ県を制圧した後は、シリア国内でもイスラム国に対する空爆を始めました。イスラム国はイラク北西部の大部分を支配下に収めていましたが、首都バグダッドの占領には向かわず、その矛先をクルド系住民の多いシリア北部のトルコとの国境に近いコバニ(アインアルアラブ)の町(人口約4万5千人)に向けました。それにははっきりした理由があったのです。シリア北部のトルコとの長い国境線あたりに住むクルド系住民を壊滅させてシリア内のイスラム国支配地域とトルコとの交通を確保すれば、トルコからの武器やイスラム国軍隊に参加する外国人の流入が容易になるからです。2014年9月、対「イスラム国」で米国との共闘を約束した中東諸国の中に、ヨルダン、エジプトとともにトルコも含まれていたのですが、トルコの対「イスラム国」政策は極めて自己中心主義的です。もともとシリアのアサド政権を快く思わないトルコのエルドアン首相の政権は2011年4月に始まったシリア騒乱で一貫して反シリア政府勢力を支持し、武器などの供給を盛んに行って来ました。その支援がイスラム国の急激な成長を促したことに否定の余地はありません。さらにエルドアン政権は国内のクルド人もシリア内のクルド人も居なくなってしまえば良いと考えていましたから、コバニでイスラム国軍隊と闘うクルド系住民を軍事的に助けるなどもっての外で、むしろ、トルコ国内のクルド人がシリア側にある同胞に軍事的援助を与えることを厳しく阻止していました。それにも関わらず、クルド系住民の軍隊が4ヶ月の死闘に耐えて遂にコバニの町から凶悪なイスラム国軍隊を追い出した最大の理由は、どうしても彼らが理想として掲げる新しい世界を実現したいという、そのためには死をも恐れない熱い思いに燃えていたことにあります。
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私はこの「ロジャバ革命」 に、甚大な関心があり、そのうちに再び記事を書きたいと思っていますが、この革命的運動とイスラム国との関係で気になることがいくつかあり、その一つについてここで報告します。
 コバニをめぐる戦闘は熾烈なものでしたが、具体的には、まず圧倒的な武力を持ったイスラム国の軍隊がコバニの市街に侵攻して来て、主にクルド人たちであった住民たちは追い出されてしまいました。そのあと、米国空軍機によるコバニ市街の爆撃があり、市街は無残に破壊され、それからクルド人の戦闘員の反撃が始まり、結局、コバニからイスラム国の軍隊は排除され、廃墟と化した街が奪回されたのでした。周辺の攻防は数ヶ月続きましたが、その間、おかしなニュースが間欠的に目に入りました。米国空軍機はイスラム国の占領している地域を爆撃する一方で、軍事的補給もしているという報道です。米軍が爆撃している地域は、勿論、シリア国土であり、他国の土地で、シリア政府の許可を得た爆撃ではありません。コバニ周辺の戦いで負傷したイスラム国の兵士たちをトルコ国内の病院に収容して手当てをした事実を、トルコが正式に認めるハプニングもありました。また、これはごく最近のニュースですが、国連の安全保障理事会の「アルカイダ制裁委員会」に、シリアが“イスラム国を、テロ・グループとして、制裁の対象に加えること”を提案したのに対して、米国、英国、フランス、ヨルダンが反対して否決されたことが報じられました。 米欧は急いでイスラム国を潰す気は全くないのです。

http://presstv.com/Detail/2015/04/10/405650/West-blocks-Syria-request-to-ban-ISIL

 「イスラム国」に関する報道を、私は今日までかなりの時間をかけてインターネットを渉猟し、推考を続けていますが、細かいことは省略して、「イスラム国」についての私の考えの一部を書いてみます。
 川上泰徳さんがおっしゃるように、本質的には、「イスラム国」の出現は、「アラブの春」で目覚めたサラフィー主義の若者たちの運動だと位置づけるべきなのでしょう。しかし、それはそれとして、いまの私の目に明らかなことは、米欧とアラブ世界の一部の国々(トルコを含む)にとって、これはいわゆる“外人部隊”なのであり、“外人部隊”として利用しているという事です。世界各国からの隊員のリクルートのやり方も“外人部隊”のそれなのだと私は見ています。“外人部隊”は雇われた兵隊です。この“外人部隊”にとっての現在の最重要のassignmentはシリアのアサド政権の打倒であって、それ以外はサイドショウです。シリア国土の不法爆撃はシリアのインフラ破壊が大きな目的です。
 大昔、私はマレーネ・ディートリッヒの『モロッコ』やフランソワーズ・ロゼーの『外人部隊』に夢中になったことがありました。その頃を追想すると、胸に何とも形容しがたい痛みを覚えます。かの有名なフランスの外人部隊は今も健在で、日本の若者の中にも入隊を志願してフランスに出かける人がいるとのことです。

藤永茂 (2015年4月15日)