私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

キューバ、小さな大国

2015-04-22 20:57:18 | 日記
 ダスティン・ホフマン主演の『リトル・ビッグ・マン(小さな巨人)』というアメリカ・インディアン映画がありました。世界史的な重要さで言えば、米国のすぐ南のカリブ海の小国キューバは“リトル・ビッグ・ステイト”と呼んでよいでしょう。そして、人間個人としてのフィデル・カストロが世界史に名を残す“巨人”であることは、彼が好きであろうと嫌いであろうと、万人の認めざるを得ない歴史的既成事実と言えましょう。
 この4月11日、12日の両日、中米パナマのパナマシティで開催された第7回の米州首脳会議(Summits of the Americas)の会場でオバマ米国大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長(フィデルの5歳下の弟、83歳)が会談したことは日本のマスメディアでも大きく取り上げられましたので、いろいろご存知だと思いますが、多分あまり報じられていないと思われるいくつかの事実を書きます。
 米国が北、中、南米をコントロールする目的で1951年に作った米州機構(Organization of American States, OAS)には当初キューバも含まれていましたが、1959年のフィデル・カストロによるキューバ革命以後、1962年には国交断絶、キューバはOASから追い出されました。OASが主宰する米州首脳会議(サミット)でも1994年の第1回からキューバは排除されて今日に至りましたが、2012年の第6回会議で出席者の大多数がキューバをメンバーに加えることを要求したのに対して米国が拒否し、そのため、会議締めくくりの最終宣言も出せなくなりました。今回第7回のサミットにキューバが参加したのは大多数のOASメンバーの要望を米国が拒否し続けることが出来なくなったからです。
 今回の“歴史的”な両国首脳会議では国交正常化への前進が試みられるという触れ込みですが、オバマ大統領には、いつもながらの狡猾なもくろみが見え見えでキューバ側にとってどれだけの実益、状況改善が実現するか、危ういものがあります。最大のポイントは1960年から米国がキューバに課した経済制裁の解除です。それがどんなに過酷理不尽なものであるかを我々のほとんどは知りません。いや、日本人だけでなく、米国人たちの殆ども自国がキューバを経済封鎖でどのように苦しませ、締め上げてきたかを知らないと思われます。サダム・フセインのイラクに対する医薬医療品の輸入封鎖で50万人のイラクの子どもたちが死んだとされる話は有名で、このブログでも以前取り上げましたが、米国はキューバの人々に対しても同じような国際法違反を犯しているのです。しかし、これはカストロ政権打倒を目指した米国のサディズムの物語のほんの一部にすぎません。次回のブログでは主にSalim Lamrani 著の『THE ECONOMIC WAR AGAINST CUBA, A Historical and Legal Perspective on the U. S. Blockade 』(2013年)に基づいて、その全体を考えてみたいと思います。
 OSA主宰、つまり米国主宰の第7回の米州首脳会議に話を戻します。前回第6回のサミットではキューバに対する貿易封鎖に反対する文言を入れるか入れないかを巡って米国が他の国々と対立して拒否権に訴え、最終宣言を出すことができなかったのでしたが、今回第7回サミットも最終宣言を出すことに失敗しました。その大きな理由の一つが、宣言の中に、健康であることを基本人権として認めること、つまり、医療へのアクセスを人権として保証することを書き込む提案に米国が反対して拒否権を行使し、それに今は米国/イスラエルの属国に成り下がったに見えるカナダのハーパー首相が同調したことにありました。これを批判して、ボリビアの大統領エボ・モラレスは「健康は人権の一つだというのが重要なポイントだったのだが、健康は人間の権利だと考えるべきだということを受け入れず、オバマ大統領は会議の最終宣言を承諾しなかった」と発言しています。
 サミットの開幕に先立って、オバマ大統領が「キューバには人権問題が存在する」旨の発言したのに対して、キューバ政府の閣僚が「米国が行っているキューバの経済封鎖こそ人権問題だ」とやり返していましたが、キューバの一般市民の健康維持に必要な医薬医療品の輸入封鎖を実行した米国としては全く痛いところを突かれた感じであったのでしょう。米国が実施していて、今後も容易には解除しないと思われる経済制裁、貿易封鎖がキューバの人々にもたらしている苦難こそが、人権侵害の最たるものであることを私たちは明確に意識し、その観点から、キューバと米国のこれまでの、そして、これからの相互関係を読み解く必要があります。
 
藤永茂 (2015年4月22日)