私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ノーム・チョムスキーが泣くのを私は見た(5)

2012-10-17 11:08:22 | インポート
<翻訳つづき>
 ノームは米国の戦争行為をサポートしていると彼が思う人たちに手厳しいことがあるが、それにも増して、彼は自分に対して手厳しい。私は、ノームと私の共通の友人で生涯かけて政治活動に携ってきた人物に、一生を振り返って何か後悔することがあるかと聞いてみたことがあったが、その友人からは、家族と一緒にもっと多くの時間を費やし、政治以外の関心事もいろいろ追求してみたかったという答えが返ってきた。ある時、私はその話をノームにして、“君はそうした後悔があるかね?”と聞いた。彼の答えは私を驚かせた。私に向けてというより、自らにつぶやくように“もっと十分にやりたかった”と彼は言った。
 また別の時には、ノームがこれまで沢山の本を書き、言語学の新しい分野の基礎を置いて世界中に影響を及ぼしてきたことから、どれ位の満足感を得てきたかをノームに質してみた。“何も”と彼は暗い表情で答えた。米国の指導者たちが世界中の“”たちをどんなに酷く残忍に取り扱ってきたか、その深刻さを理解するように十分多くの人々を仕向けることが出来なかったと感じるからだ、と彼は説明した。例えば、米国指導者たちが何十万という無辜の人民を殺害し、南ベトナム人社会が過去から継承してきた土台そのものを如何にして破壊してきたか、また、インドシナでは、実のところ、米国のそれに代わる経済的社会的モデルの可能性の芽生えを破壊し尽くすことで米国は勝利を収めた事を、大多数のアメリカ人が理解しなかったことにノームは挫折感を味わったのであった。
<訳注:上の文意の理解には、Sukarno とSuharto の関係などを知る必要あり>
 ある夜、ノームの家で私にあてがわれた寝室に行く階段を昇っていると彼の書斎の中が見えた。彼はコンピューターの前の大きな事務用椅子に腰を下ろして仕事をしていたが、その彼の姿が、瞑想中の仏教僧侶にまるでそっくりのように見えたのだ。そして、その瞬間、はっとした。“ノームは、私がベトナム戦争中の比較的短い期間だけ生きていたのと同じ具合に、この40年間を一貫して生きて来た。彼は、絶え間なく、読み、書き、人に説いて、米国の殺戮行為を阻止し、世界が‘抹殺ご免の人々’の惨状に目を向けるように仕向けることに、一分たりとも空費せず、全力を傾けて来た”ことを、私は突如として悟ったのであった。
 そして、その時、私はノームに対して大いなる愛を経験したと、何の気恥ずかしさもなしに言いたい。私の心の目が見たのだ。“マハタマ”ガンジーのことを読んで以来、私が記憶する限りにおいて、私は、ずっと、“偉大なる魂(Great Soul)”という言葉の本当に意味する所を思いあぐねていたのだが、その瞬間、私は遂にその意味を掴んだ。もし、“偉大なる魂”であることが、声なき人々の人間的苦悩に全面的に呼応してそれを和らげることに全身全霊を注ぎ込むことを意味するならば、私は偉大な魂の一つに遂に遭遇したのであった。
 ユダヤの伝統では、それを“三十六人の義人(The thirty-six just men)”の伝説として、一種ことなる趣が与えられる。彼らは?自らそうとは知らないままに?その時々に人類の安寧を守るという。もしノームがその三十六人の義人の一人でないとすれば、一体だれが義人であり得ようか? 同時にまた、ノームをエイモスやジェレマイアのような旧約聖書の中の誉れ高い預言者たちに比した多くの人たちを私は思い出していた。エイモスやジェレマイアは、彼らの時代の、今は名も忘れられた腐敗した支配者どもを激しく糾弾したのであった。
 この40年間に、結構まともな人々がノームの取った立場の幾つかに異議を唱えたことはあったのだが、階段の途中で書斎のノームの姿を見た途端に、そんな論争は、彼と彼が体現するものの尊さを認めることに何の関係もないと私は感得した。私や、知人の殆どが、過去何十年かの米国の戦争行為の犠牲者たちの悲鳴を途切れ途切れにしか聞いていない間、ノームはその悲痛な叫びに耳を塞ぐことが出来ずに聞き続けているのであった。
 私がノームの家に泊っていた時に、有名なインド人作家アルンダーティ・ロイがノームを訪ねて来た。彼女は、世界の多数の非アメリカ人と同じく、彼に対して絶大な尊敬と賛嘆と愛を抱いていることが私には明らかに感じられたが、彼女にとってノームが何を意味しているかを理解したのは、彼女の本の一章“ノーム・チョムスキーの孤独”から彼女の言葉の数々を読んだ時だった。:“チョムスキーはアメリカの戦争機構の冷酷非情な心臓を白日の下にさらす。・・・それは何百万もの人間たち、市民、兵隊、女、子供、村落、森林山野の全体を破壊してやまない?それも科学的に磨き上げた残酷な方法で。・・・このアメリカ帝国が落日を迎える時、その時は必ず来るし、来なければならないが、その時、ノーム・チョムスキーの仕事は必ず生き残るに違いない。・・・ 私もグークでありえたし、いつグークと呼ばれても不思議でないが、あれこれの理由から、私が心の中で‘Chomsky Zindabad (チョムスキー万歳)’と思わない日は殆どない。”(続く)

<訳注> 私は「三十六人の義人」の伝説を知って、大変興味深く思いました。
ネット上に簡潔な説明がありますので、興味のある方は是非読んでみて下さい。

THE THIRTY-SIX JUST MEN
http://www.dozenalsociety.org.uk/metrix/justmen.html

説明の始めと終りの部分をざっと訳出します。「イスラム、ユダヤ、ペルシャの書き物の中に言及されている古い言い伝えがある。この世界は、それぞれの世代に少数の義人たちが居ることによって、愚行と邪悪さの中に水没することから免れているのであり、彼らが、その振る舞いと善き行いを通して、世の人々の安寧と生存を確保しているのである。彼らは目立つことなく機能しているのであって、滅多に他の人々は、また自分たちさえ、その事に気付いていない。・・・・・この伝承の詳細や起源がどうであれ、真理の響きを持った良い話だ。この世界は極めて少数の普通の人々によって維持されていて、その人々は、何の報償や栄誉も求めず、危急の時に彼らの日常の仕事を黙々と行い、正気と連続性のオアシスを提供する。・・・・・」これを読みながら、私はアメリカの作家ヘンリー・ミラーの一作品『冷房装置の悪夢(The Air-Conditioned Nightmare)』を思い出しました。これは実に卓抜な「アメリカ論」であって、こういう本を読むと優れた小説家たちに対する私の尊敬の念は深まるばかりです。この本の冒頭に、ヴィヴェカナンダ師(Swami Vivekananda)の言葉として次のようなことが書いてあります。:
「この世のもっとも偉大なる人々は、無名のまま消えていった。われわれのしっている仏陀やキリストのごとき聖人も、世人が何も知らぬそれらの偉大なる人々にくらべるなら、二流の英雄に過ぎない。これら凡百の無名の英雄たちは、いずれの国においても、黙々と働いて一生を終っている。黙々として生き、黙々として消え去ってゆく。そして、やがて彼らの思想が、幾人かの仏陀やキリストのなかにあらわれてくる。われわれに知られるようになるのは、この後者の人々なのである。至高の人々は、自分の知識から虚名や名声を得ることを求めない。彼らは自己の観念を世に残すのである。なんらおのれの要求をなさず、自己の名で学校や機関を設立することもしない。彼らのもって生まれた天性のすべてが、そのようなことから彼らを尻ごみさせるのである。」(大久保康雄訳、1967年)
原文の“establish no schools or systems in their name” は「自分の名で学派や組織を設立することもしない」と訳してもよいでしょう。ヴィヴェカナンダが言っていることは、三十六人の義人の話と同じことです。私たちも、胸に手をあてて、反省、自戒してみなければなりません。
 私の年代の人間は“gook”という言葉を、まず、米国がとことん痛めつけたベトナムの人々に向けた軽蔑語として学んだ筈です。その語意を大きな辞書で調べてみると、実にひどい言葉であることが分かります。(訳注おわり)

藤永 茂 (2012年10月17日)