私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ホセ・ムヒカ再訪

2016-02-22 18:50:01 | 日記・エッセイ・コラム
2013年の暮れ、私はウルグアイのホセ・ムヒカという政治家にすっかり惚れ込んで、このブログで取り上げた事がありました。櫻井元という方からとても良いコメントを(2013年12月3日)付けの記事の方にいただきましたので、他の方々にも櫻井さんのコメントを是非読んでいただきたいと思って、ここに掲載させていただきます。
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政治家の鏡 (桜井元)
2016-02-21 01:52:08
TBSの「世界ふしぎ発見」を久しぶりに見ましたら、ウルグアイが紹介されていました。この長寿番組でウルグアイの訪問は今回が初めてとのことですが、番組の視点にはすばらしいものがありました。

サッカースタジアムは1930年の第1回ワールドカップ当時のものが大切に使われており、歴史的に貴重な建造物だそうです。スタジアムの内側は、学校として整備・活用されていて、子供たちの表情が実にいきいきとしていました。

ホセ・ムヒカの人物像も丁寧に紹介され、この偉大な政治家が国民から広く愛され続けている様子が伝わりました。幼少の頃に親を亡くし苦労した若き日のムヒカと、ある日系移民の花卉農家との交流という意外なエピソードも、心あたたまるものでした。

日本では、有権者受けを狙ったイメージ戦略としての「庶民的政治家」(虚像)ばかりがいますが、ムヒカは本物の庶民政治家で、番組はそうした生き方にも触れていました。

質素な家に、質素な服装、サンダル履きにノーネクタイ。「ネクタイなんてものは、政治家がウソが漏れるのを縛って抑えるものにすぎん。無駄な布きれだよ」というユーモアあふれる言葉も紹介されていました。

また、海外訪問へは他国の首脳と相乗りで行くという節約ぶりだそうで、この人物は、自身の哲学とその実践が徹底しています。

今回のTBSからの取材に対してムヒカは、「あいにく国会の仕事で忙しいから」と面会を辞退したそうですが、大統領を引退しても一人の国会議員として国政に熱心な姿勢がうかがえました。

ネットやテレビや新聞などの取材とあらば自分を売り込まんと必死になる日本の政治家との違いが、こういうところにも表れているように感じました。

番組では、貧困層のための住宅供給政策も紹介されましたが、これがムヒカらしいユニークなものでした。「入居者みずからが、建設業者とともに力を合わせて家づくりに従事すること」などが条件というのです。

カメラがとらえた一人の女性は、まともな家を得て(建てて)、生きる自信を取り戻し、子供の将来にも光がさして喜びをかみしめていました。番組では、ムヒカ大統領の諸政策により、短期間で貧困率が劇的に改善したことにも触れていました。

日本よりも小国で経済力も劣る国ではありますが、日本などよりもはるかに政治の質では上を行っていると実感しました。

日本では、貧富の格差が広がる一方で、とりわけ子供の貧困率がクローズアップされています。日々のニュースは、すさんだ世相を映し出すものばかりで、ニュースを見るたびに憂鬱になります。

震災の被災地で仮設住宅暮らしの人たちがいまだ落ち着かず、地域の復興もままならないなかでのオリンピック招致のお祭り騒ぎ(「感動」と「勇気」の虚飾のイデオロギー)。

しかも、国立競技場を補修すれば十分であるところを、無駄な金をかけて、周辺住民の生活まで破壊するという、弱者切り捨てのお祭り騒ぎです。(先日のNHK「にっぽん紀行」では、建設予定地近くの公営団地の住民(高齢の低所得層が多い)が立ち退きを余儀なくされる様子を映していました。長年つちかった地域のつながり・コミュニティが破壊されていました)。

日本の政治家や官僚は、福祉の需要に対して、ことあるごとに「財源がない」「財源をどうするんだ」と言いますが、ウルグアイの姿を見れば、問題は税金の徴収の仕方とその配分の仕方であることがわかります。「できない」のではなく、「やらない」「やる気がない」のです。

また、企業競争力、経済成長率が国家・国民の繁栄と幸福のカギだと言われますが、日本人はもういいかげん「成長」よりも「配分」の大切さに目を向けるときではないかと感じました。

番組をとおして、ウルグアイ国民が、ムヒカを敬愛し、国に誇りをもっている様子がうかがえ、そして何よりも幸福感に満たされている感じがして、うらやましかったです。

「政治が良い方向に変わると、社会全体がこんなにも変わるのか、人々の心まで変わるのか」と深く考えさせられました。

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藤永茂   (2016年2月22日)