遅まきながら、日本人の書いた良書を、老人らしからぬ興奮を持って読みました。2001年12月15日第1刷発行の本ですが、中身の肝心なところは聊かも古くなっていません。勿論、私が書いている幼稚未熟なクルド論を叩き台にして、この著者が最近の状況について書いてくださると嬉しいのですが。書評は次のサイトやアマゾンにも出ています。
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2001/akasu.html
私にとっての圧巻は終章第10章の50ページにわたるオジャランのインタビューの記事です。著者中川喜与志さん自身も、このインタビューに関しては「間違いなく、ある種の歴史的価値、資料的価値があると思うので、本書第十章に全文を掲載した」と書いています(263頁)。以下では、湾岸戦争での、日本政府の米国追随の不甲斐ない有様についての、オジャランの発言の一部を書き写させて頂きます。彼の透徹した観察眼には驚かされます。この25年間、日米間の状況は寸分も変わっていません。
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オジャンラン 日本は、米国の、極めて存在感の薄い、主体性のない、無人格な共犯者としての行動をとった。まるで村人が地主の言うことなら何でもそれに従うように(笑)。つまり極めて従属的な、そして無個性な政治である。あまりに主体性がない。あまりに限度知らずだ。九十億ドルもの、しかも財源の当てのない巨額な資金を、米国の軍事独占資本家たちに送り届けた。ひと言で言えば、これは、日本政府の責任者が誰であれ、日本政府の主体性のなさを証明するものだ。明日また別の戦争が起こって、また日本が同じように米国を助け、追随するなら、日本はますます墓穴を掘ることになるだろう。
少なくとも独自の政策をもって登場していたなら、完全中立の立場であれ、調停者の立場であれ、この巨額の資金を使っていたなら、自国民の利益にもなったろうし、同時に中東の人々の利益にもなっただろうに・・・・。しかし、米国の政策にまったく異議を唱えることもなく、米国の命令に従ったことは、日本の人民の利益にも中東の人民の利益にも反する政策である。最悪の政策だ。こんな政策をとるべきではない。
このような隷属的な立場をとり続けるならば、それは現代において最も危険な、下男としての共犯政治となる。日本の野党がどのような態度をとったのか、詳しくは知らない。しかし私の考えでは、日本は強大な経済力をもった、しかしながら政治的な主体性を持っていない国家である。残念ながら、この事実を指摘しなければならない。言いたくはないのだが・・。経済の面ではあれほど創造的で豊かな力をもっているにもかかわらず、政治の面ではこれほどに無能である、無力である。これは深刻なる矛盾だ。・・・・・・・・
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これは、このインタビューの極めて豊かな内容のごく一部ですが、このインタビューが、1991年6月16日、レバノンのベッカー高原にあったPKKの“ゲリラ”キャンプで行われたことを考えると、“ゲリラ”指導者オジャランの日本政府解析の明哲さにほとほと感心させられます。彼の分析は、全くそのまま、いま現在の日本政府に100%当てはまるではありませんか!
中川喜与志著『クルド人とクルディスタン』(南方新社)という、専門的な知識とそれにふさわしい見識を湛えた書物に接して、私のような者がクルド問題について全体的な解説を試みるのは、誤りの元になると思い至りました。それで、今後は、シリアのロジャヴァをめぐる状況と、この刮目すべき人物アブデュッラー・オジャランを中心に、私の心に去来する想いを書き綴ることにします。
藤永茂 (2016年2月16日)
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2001/akasu.html
私にとっての圧巻は終章第10章の50ページにわたるオジャランのインタビューの記事です。著者中川喜与志さん自身も、このインタビューに関しては「間違いなく、ある種の歴史的価値、資料的価値があると思うので、本書第十章に全文を掲載した」と書いています(263頁)。以下では、湾岸戦争での、日本政府の米国追随の不甲斐ない有様についての、オジャランの発言の一部を書き写させて頂きます。彼の透徹した観察眼には驚かされます。この25年間、日米間の状況は寸分も変わっていません。
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オジャンラン 日本は、米国の、極めて存在感の薄い、主体性のない、無人格な共犯者としての行動をとった。まるで村人が地主の言うことなら何でもそれに従うように(笑)。つまり極めて従属的な、そして無個性な政治である。あまりに主体性がない。あまりに限度知らずだ。九十億ドルもの、しかも財源の当てのない巨額な資金を、米国の軍事独占資本家たちに送り届けた。ひと言で言えば、これは、日本政府の責任者が誰であれ、日本政府の主体性のなさを証明するものだ。明日また別の戦争が起こって、また日本が同じように米国を助け、追随するなら、日本はますます墓穴を掘ることになるだろう。
少なくとも独自の政策をもって登場していたなら、完全中立の立場であれ、調停者の立場であれ、この巨額の資金を使っていたなら、自国民の利益にもなったろうし、同時に中東の人々の利益にもなっただろうに・・・・。しかし、米国の政策にまったく異議を唱えることもなく、米国の命令に従ったことは、日本の人民の利益にも中東の人民の利益にも反する政策である。最悪の政策だ。こんな政策をとるべきではない。
このような隷属的な立場をとり続けるならば、それは現代において最も危険な、下男としての共犯政治となる。日本の野党がどのような態度をとったのか、詳しくは知らない。しかし私の考えでは、日本は強大な経済力をもった、しかしながら政治的な主体性を持っていない国家である。残念ながら、この事実を指摘しなければならない。言いたくはないのだが・・。経済の面ではあれほど創造的で豊かな力をもっているにもかかわらず、政治の面ではこれほどに無能である、無力である。これは深刻なる矛盾だ。・・・・・・・・
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これは、このインタビューの極めて豊かな内容のごく一部ですが、このインタビューが、1991年6月16日、レバノンのベッカー高原にあったPKKの“ゲリラ”キャンプで行われたことを考えると、“ゲリラ”指導者オジャランの日本政府解析の明哲さにほとほと感心させられます。彼の分析は、全くそのまま、いま現在の日本政府に100%当てはまるではありませんか!
中川喜与志著『クルド人とクルディスタン』(南方新社)という、専門的な知識とそれにふさわしい見識を湛えた書物に接して、私のような者がクルド問題について全体的な解説を試みるのは、誤りの元になると思い至りました。それで、今後は、シリアのロジャヴァをめぐる状況と、この刮目すべき人物アブデュッラー・オジャランを中心に、私の心に去来する想いを書き綴ることにします。
藤永茂 (2016年2月16日)