エスペラント大会でインドの人と話して感じたこと。
まず距離的感覚。
あの広い国では3kmや4kmの違いは誤差の範囲内なのでしょうか。大会申し込みの案内にはどのホテルも大会会場から2.5kmぐらいとありました。ホテルで地図を貰って代表者はこれが徒歩圏内かと驚き、歩いてみたら約1時間、6キロ近かったので歩けないとバスを調達してもらいました。その後、案内してくれる人にホテルから会場までも距離を尋ねると、答えは2kmでした。
そういえば昔、子どもの頃お使いに出され、知らない田舎道を歩きました。なかなか到着しないので通りすがりの人に尋ねると、すぐそこと言われました。しかし、行けども行けども到着しない。そこでまた他の人に尋ねるとすぐそこと言われる。しかしやはりなかなか到着しないということがありました。あの頃は徒歩で行ける範囲はすぐそこだったのかなと思います。インドではいまだにその感覚が生きているのでしょうか。。
気温も同じです。今何度ぐらいといつ尋ねても答えは25℃。そういえばこの国の季節は2つしかないと言うことです。暑い季節と、ものすごく暑い季節の二つだけだそうです。
本来日本は農業国でした。農民たちは暦に従い、細かく温度や天気を気にして仕事を管理し、収穫を得てきたのです。ですから、私たちの生活から、台風とか雨とか、気温とかは切り離せなくなっています。いまではテレビの予報官まで、コートお忘れなく、傘を持ちましょうと余計なお世話と思えるくらい注意を喚起してくれています。常夏の国インドでは気温など気にする必要はないのでしょう!
彼らは私たちを毎日つまらないことを聞く人たちと思ったかなと今は無意味な質問をした自分を悔いています。
でもですよ、自分がどのくらいの暑さに耐えているのか知りたかったですね!
まず距離的感覚。
あの広い国では3kmや4kmの違いは誤差の範囲内なのでしょうか。大会申し込みの案内にはどのホテルも大会会場から2.5kmぐらいとありました。ホテルで地図を貰って代表者はこれが徒歩圏内かと驚き、歩いてみたら約1時間、6キロ近かったので歩けないとバスを調達してもらいました。その後、案内してくれる人にホテルから会場までも距離を尋ねると、答えは2kmでした。
そういえば昔、子どもの頃お使いに出され、知らない田舎道を歩きました。なかなか到着しないので通りすがりの人に尋ねると、すぐそこと言われました。しかし、行けども行けども到着しない。そこでまた他の人に尋ねるとすぐそこと言われる。しかしやはりなかなか到着しないということがありました。あの頃は徒歩で行ける範囲はすぐそこだったのかなと思います。インドではいまだにその感覚が生きているのでしょうか。。
気温も同じです。今何度ぐらいといつ尋ねても答えは25℃。そういえばこの国の季節は2つしかないと言うことです。暑い季節と、ものすごく暑い季節の二つだけだそうです。
本来日本は農業国でした。農民たちは暦に従い、細かく温度や天気を気にして仕事を管理し、収穫を得てきたのです。ですから、私たちの生活から、台風とか雨とか、気温とかは切り離せなくなっています。いまではテレビの予報官まで、コートお忘れなく、傘を持ちましょうと余計なお世話と思えるくらい注意を喚起してくれています。常夏の国インドでは気温など気にする必要はないのでしょう!
彼らは私たちを毎日つまらないことを聞く人たちと思ったかなと今は無意味な質問をした自分を悔いています。
でもですよ、自分がどのくらいの暑さに耐えているのか知りたかったですね!
「ついこの間の・・・」と切り出すので、先週位に起きた話題について話されるのかなと思いきや、白亜紀の話題を続けたのです。
インド人のようにその時間距離の中で暮らしている人には、自分達独特の尺ができてるんでしょうね。その先生も日頃岩石削って古来の時間のことを常に考えているので、彼独特の尺ができあがっているのでしょう。
それにしても、時間スケールの壮大な授業でした。
「ついこの間の・・・」と切り出すので、先週位に起きた話題について話されるのかなと思いきや、白亜紀の話題を続けたのです。
インド人のようにその時間距離の中で暮らしている人には、自分達独特の尺ができてるんでしょうね。その先生も日頃岩石削って古来の時間のことを常に考えているので、彼独特の尺ができあがっているのでしょう。
それにしても、時間スケールの壮大な授業でした。
英語が通じるから先進国の開発分野で活躍する人も多いと聞きます。
きっと、10年後は様変わりでしょうね。貧困層と国際化され力を伸ばしていく層との分布というか、接点はどうなのでしょうか。
時間距離と言うのは自然・社会的経験・個人的感覚に左右されるものかもしrません。
以前、エスペラントの集まりで先の日本の朝鮮に対する侵略について激高し喋っている韓国人がいたそうです。1900年代のことかと思ったら、秀吉の朝鮮征伐のことだったそうで彼にはその時代についての詳しい知識がないので困惑したそうです。
素晴らしく近代的ビルが建っていたそうです。しかしそこにゆくまでの渋滞は大変だったようです。町中に建てているのか壊しているのかわからに建物のが沢山ありました。
散歩していて修理中の家を見ました。床の外側にアルミの敷居らしきものをはめていました。3~4メートルほどものをはめるのに5人ほどが押さえていました。床には10人を小wると思える男性がしゃがみ込んでくぎ打ちをしていました。非能率的なこと極まりないのですが、それによって生活費の配分がなされているのでしょうか。
物乞いに対してどう接するべきか私にはわかりませんでした。