glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

日食

2012-04-21 10:20:18 | 雑感

 今年の5月21日は日食だそうですね。今朝のニュースである会社が福島県に日食観察用のシートを6500枚とか贈ったというのがありました。今は特殊なシートを使うのが当たり前になっているのですね。

 私が小学5年生か6年生の時にも日食がありました。理科の時に観察することになりました。先生にガラスの破片を持ってくるように言われみんなで探し、それを持ち寄り墨を塗って日食を見ました。当時は窓ガラスが割れると和紙で貼り合わせ大事に使っていたので破片探しも結構大変だったように思います。今ガラスの破片を持ってこいなどと学校が言ったら危険だと訴訟になるかもしれません。当時は子どもたちもガラスの破片が危険だと知っていたから怪我もせず利用できたのでしょう。

 割れたレコードも大切でした。あれは何と言う物質でできていたのでしょうか。適当に切り取り、ろうそくの火で温めると柔らかくなるのです。それを丸めて鳥の羽を3本差し込んで羽子板用の羽根を作ったものでした。割れたレコードもみんな大切にしていたので手に入れるのは大変だったのです。羽根ですが手持ちがない時は鶏を追いかけて頂戴したりしました。ですから道に綺麗な羽根が落ちていたりすると大喜びしたものです。

 そんなことばかりしていた習性はなかなか治りません。捨てるべきものに囲まれています。以前トロントの日本人会が絹の布端、ぼろでも良いから欲しいと言っていたので押し入れの隅から出てくるたびにより分けておいたらかなりの量になってしまいました。どれだけ持って行けるか今は悩みの一つとなりました。本当にため込んでいたのだと少し後悔もしています。かといって捨てるより欲しい人にあげたいという思いもあります。

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2 コメント

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割れたレコード板の利用法 (街中の案山子)
2012-04-22 04:20:42
初耳でした。
「太陽を見るのに、下敷きに墨を塗って・・・」ということをした記憶があるような世代です。
NHKの朝のドラマ「梅ちゃん先生」を見ていらっしゃいますか。戦後の東京蒲田が舞台ですが、「焼け野原になったとは知っていても、東京の戦後のイメージ、ほんとうに家がバラックとか、悲惨だったのだねー」と、兄に話題にしたら、「自分が小学生時代に学校から見に行った映画には『鐘のなる丘』とか、浮浪児たちをテーマにしたのがいくつもあったものだ」とか。私の東京というのは、東京オリンピックころからのイメージで、それ以前の「焼け野原時代」は、戦争のニュース記事や、文学の世界って感じなので、朝のテレビで学びなおしです。これは兄弟であっても9歳のちがいだな、と思いました。
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鐘のなる丘 (glimi)
2012-04-22 09:23:16
 小・中学生の頃先生に連れられて年に何度か映画を見に行きました。個人では映画さえ行けない子が多かったのです。鐘のなる丘もその一つです。浮浪児の施設を造りに奔走する男性の話でしたが、この時の少年の一人が彼そを突き動かしていたという事を近年になって知りました。その少年は自力で大学を出てアメリカに留学しそのままその地に住んだとドキュメンタリーで言っていました。その他、24の瞳・麦飯学園。しいのみ学園・ひろしま・原爆の子など今の自分に繋がる考え方が生まれたであろう映画が多いです。絵本とか映画とか視覚文化は子どもの成長に大きな影響を与えると思っています。
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