glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

奇遇

2014-01-14 06:49:22 | エスペラント
 世の中には不思議なつながりがあると最近感じています。

 エスペラントを始めたころ私の所属したエスペラント会の講習に一人の女性が現れました。講師の伊東氏が新米の私に彼女は戦争前からのエスぺランティストだと紹介してくれました。50代で服装も地味でしたが表情が生き生きしていて若い私にもまぶしく見えました。ですがそうこうするうちに私はその名前も忘れてしまいました。
 
 10年後彼女が住んでいるはずの湘南に引っ越しました。もう一度あの方に会いたいと思いました。でも思い出したのは2文字の名字の下が松という事だけでした。縁あって入会した会の中に明治生まれの方がいました。年齢的にはこの方、背格好も似ていると勇んできりだしたのですが私ではないと言われました。他の方も松が付く名字の方は知らないし、旧性だとしたらなおのこと分からないと言われました。彼女たちもまだエスペラント初心者でしたから古い方は分からないかもしれないと探すのをあきらめました。もう43年前の話です。

 そのグループの最後の仲間が昨年亡くなりました。湘南に住んでいた6年そして引越してからもその仲間たちは人生の先輩としていつも私に手を貸してくれました。時には子ども3人連れて会に参加する事もあったのです。彼女たちはエスペラントで言う『gastoama』な人たちでした。思想・宗教・国籍を問わず、まさに来るものは拒まずと言う感じで接待していました。決して暇人ではなく店をやったり、その他仕事をしている人たちでした。経済的余裕があるだけでは決してできないことです。

 グループの最後一人が無くなって私は長きにわたって世話になったこのグループの成り立ちさえ知らな事に気付きました。やはり知っておきたいという思いに駆られました。彼女たちは自分たちをエスペラントに導いてくれた故人Yさんをとても尊敬し、Yさんはこう言ったとか、Yさんならこんな時こうするでしょうとか話していましたし、またYさんの娘さんがグループに加わってくれたらよいのになどとよく話していました。そんなわけで私はYさんの娘さんMさんが何をしているか知っていました。聞いておくことにしましょうと決心しネットで勤務先を調べて電話しました。

 よくは知りませんがでも資料ありますとMさんは言ってくれました。そして亡くなったお母さんの旧姓を聞いて私は思わず声をあげ聞き返しました。『重松』。私が若い日に出会ったあの人だたのです。私は彼女が育てたエスぺランティスト達の恩恵を受けていたのでした。資料をいただいた礼状にその事も書き添えました。
コメント (5)
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