雑誌KOMENCANTO、2005年2号の裏表紙に載っている詩が目に入りました。
“ Mia Vojo ” Nikolaj H^oh^lov
Mi levas mian kapon en c^ielon,
Sed per piedoj staras sur la ter’
Nur idealojn vidas kiel celon,
Sed nutras min krudreala ver’
Sur montoj kreskas mia sorc^a foro,
Sed enla valoj kus^as mia pan’,
Altiras animon c^iu floro,
Sed ankre tenas g^in la karna man’
Al c^iu bel’ ni tra la ter’,
Tra la dolora au^ g^iga prov’,
Sen tiru voj’ gxi estus nur h^imera,
Tuj palig^onta post la brila nov’
Samtiao preg^as mi dum ardaj kisoj
Kaj pli c^astig^as en volputa trem’,
Kaj la anim’ en blankon de narcistoj
Ne perda en frivolo de l’poem’.
【意味】
“ 我が道 ”:ニコライ ホフロフ
私は天に向かって頭を上げている
けれども足で地上に立っている
私は目的として理想だけを見ている
しかし、粗野な現実の真理で自分を育んでいる
私を魅了する遠くは山の上に聳えている
だが私のパンはその谷にある
私の魂をすべての花が惹き付ける
だが生身の手は錨のように魂を押さえつける
地上の試みを通して、痛みあるいは喜びを与える試みを通して
私はあらゆる美に到達する
その経過無しに美は単なる幻想であり
後に現れる煌びやかな新しさの前にたちまち色あせるかも知れない。
同じ理由で私は熱いキスの間も祈っています
そして官能に震えながらより貞淑になるのです、
そして私の魂は水仙の白さを
この薄っぺらな詩の中でも失いません。
【詩らしく訳せると良いのですがその力はありませんので許してください!】
ニコライ・ホフロフの名はエスペラントの百科辞典にも載っていません。雑誌の説明のよると彼は1891年にモスクワに生まれ、1909年には既にエスペラント運動に参加していました。ロシア革命後国外追放となりクロアチアでエスペラント活動を継続したのでクロアチアでは有名なようです。
ロシアのエスペランティストが初期のエスペラントを支えていたというのに私達は彼等について多く知りません。ツアーによる弾圧、スターリンによる弾圧で彼の多くは粛清されたり流刑に処せられたからでしょう。
彼の詩が今ロシアで脚光を浴びているのは、アナトリィ・ラダエフというロシアのポピュラー歌手が、ニコライ・ホフロフの詩をすべてロシア語に翻訳したこと、そのいくつかに曲をつけて歌っているからだそうです。
私も聞きたいです。
“ Mia Vojo ” Nikolaj H^oh^lov
Mi levas mian kapon en c^ielon,
Sed per piedoj staras sur la ter’
Nur idealojn vidas kiel celon,
Sed nutras min krudreala ver’
Sur montoj kreskas mia sorc^a foro,
Sed enla valoj kus^as mia pan’,
Altiras animon c^iu floro,
Sed ankre tenas g^in la karna man’
Al c^iu bel’ ni tra la ter’,
Tra la dolora au^ g^iga prov’,
Sen tiru voj’ gxi estus nur h^imera,
Tuj palig^onta post la brila nov’
Samtiao preg^as mi dum ardaj kisoj
Kaj pli c^astig^as en volputa trem’,
Kaj la anim’ en blankon de narcistoj
Ne perda en frivolo de l’poem’.
【意味】
“ 我が道 ”:ニコライ ホフロフ
私は天に向かって頭を上げている
けれども足で地上に立っている
私は目的として理想だけを見ている
しかし、粗野な現実の真理で自分を育んでいる
私を魅了する遠くは山の上に聳えている
だが私のパンはその谷にある
私の魂をすべての花が惹き付ける
だが生身の手は錨のように魂を押さえつける
地上の試みを通して、痛みあるいは喜びを与える試みを通して
私はあらゆる美に到達する
その経過無しに美は単なる幻想であり
後に現れる煌びやかな新しさの前にたちまち色あせるかも知れない。
同じ理由で私は熱いキスの間も祈っています
そして官能に震えながらより貞淑になるのです、
そして私の魂は水仙の白さを
この薄っぺらな詩の中でも失いません。
【詩らしく訳せると良いのですがその力はありませんので許してください!】
ニコライ・ホフロフの名はエスペラントの百科辞典にも載っていません。雑誌の説明のよると彼は1891年にモスクワに生まれ、1909年には既にエスペラント運動に参加していました。ロシア革命後国外追放となりクロアチアでエスペラント活動を継続したのでクロアチアでは有名なようです。
ロシアのエスペランティストが初期のエスペラントを支えていたというのに私達は彼等について多く知りません。ツアーによる弾圧、スターリンによる弾圧で彼の多くは粛清されたり流刑に処せられたからでしょう。
彼の詩が今ロシアで脚光を浴びているのは、アナトリィ・ラダエフというロシアのポピュラー歌手が、ニコライ・ホフロフの詩をすべてロシア語に翻訳したこと、そのいくつかに曲をつけて歌っているからだそうです。
私も聞きたいです。