glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

人柱

2005-09-08 09:24:51 | Weblog
 子どもの頃住んでいた町を流れる川は毎年のように氾濫し、数年に一度は橋が流されました。川の名は雄物川。
 戦争が終った年の秋も、橋は橋脚の1部を残すだけで無残な姿をさらしていました。母は私と弟を連れ、隣の伯母さんは私と同い年の息子アーチャンを連れて薪拾いに行きました。橋が無いので船で川を渡りました。渡し舟は激しい流れに逆らい、押し流させながら対岸につきました。
 船の上から激流に手を伸ばすと母に激しく叱れらました。水に吸い込まれるということでした。大人二人が藪の中に入った後、私は二人のお守りでした。ア―チャンはお姉さんが3人もいていつも甘やかされていました。大人がいなくなった後に泣きべそをかき水が欲しいとかなんと言うのです。
 側には30センチほどの巾小川が流れており、湧き水で濁っていませんでした。私は蕗の葉を取り、茎の皮を少し剥き、葉の端を縮めて柄杓を作り二人に水を飲ませました。多分これは普段兄達がしてくれた方法だったと思います。

 家に帰ってから、流れに手を入れたことでまた父に注意されました。昔の人は水に吸い込まれることを河童に引き込まれると言ったそうです。

 また、この川が如何に流れが激しいかを教える為に人柱の話しをしてくれました。昔からこの地では橋が流されるたびに川の神への貢物として、中心になる柱に若い女性をくくりつけ、柱を川の中に打ち込んで橋を作ったそうです。

 題名が『ひさの星』だったと思いますが、人柱になった女の子の絵本があります。この本はこのような事実をもとにして書かれたと聞いた事があります。幾人のひさが人のためになると信じて犠牲になったことでしょう。

 科学が発達した今、私達は台風のメカニズムを理解していますが、それでも台風発生を防ぐことができません。暴風がきた時、被害を避ける方法を見出すためにはもっと自然を研究し大切にしなければならないのでしょう。

 台風14号はハリケーン・カトリーヌより強大だったと聞きました。ニューオーリンズほどの被害は無かったとしても、沢山の方が被害を受けました。心からお見舞いの申します。亡くなられた方は本当にお気の毒です。ご冥福をお祈りします。
コメント (4)
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