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生きること:過去と未来とエスペラントと

昨日昼食はファミレスで

2017-04-11 13:19:42 | 福祉と教育
 ファミレスなんて言葉知らないというコメントが来そうなので一言。ファミレスはファミリーレストランの略語。
 姪がお休みの日なので兄を誘って3人でファミレスで食事をしました。90歳の兄は私達よりも良く食べました。脚の怪我は時々痛みを感じるそうですがほぼ完治。最近は散歩も開始したそうです。ところが、ヘルパーを派遣していた会社がつぶれたそうで、ヘルパーが見つかるまで帰宅しないでくださいとケアマネージャーに云われていました。姪の話では漸くヘルパーが見つかったそうで、10日後には帰宅するそうです。
 本当に良かったです!今まで週1日のヘルパーさんでしたが、週3日にして貰ったそうです。

 身内に老人が多くなると必要のない心配をしなくてはならなくなります。姉の息子からは母親がわがままを言い出して困っているとメールが来ますし、そのうち私だってどうなるかわからないのに!ゴタゴタ云わず、心安らかな老後でありたいですね。まて、老後と云う言葉は可笑しいですよね。老いた後は朽ちる以外にないのですから・・・。老い行く過程は心安らかでありたいです!
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本屋で

2016-09-18 15:06:14 | 福祉と教育
 そろそろMの誕生日に向けて本を選ぼうと買い物ついでに本屋に入りました。数組の親子が立ち読みしていました。私の立ち寄る本屋の片隅にはテーブルといすが用意されていて立ち読みを許しています。絵本売り場のところのも数人座れる椅子が置いてあります。親子は良くそこに座って本を選んでいます。

 今日見た母と娘。母親は40歳ぐらい。娘は2歳ぐらいでしょうか。母親は本を選んでいる様子もありません。立っているだけです。娘は本棚をいろいろかき回わしていましたが。そのうち紐でくくった雑誌を広げようと、床にたたきつけはじめました。母親はそれに合わせて云々うなづいていましす。まるで肯定しているように見えます。椅子に座った5~6歳の子がそれを眺めていました。それに気付くと雑誌を取り上げて小さな絵本を渡しました。娘はうまく開けません。うんうん云いながら本を開こうと引っ張ったり、床に打ちつけたらしていました。
 他の棚の前の平積みの本の上に8センチほどの人形が置いてありました。だれか落としたかもしれないので私は店員に渡しました。しばらくすると店員がその人形を持って本を開いています。その人形は絵本の一部だったようです。ふと気がつくとその母と娘は消えていました。床にはさっきその子の遊んでいた絵本の帯封が千切れて床に落ちていました。

 自由に手に取ってみて良いと云っても商品は商品です。さてこの母親はこれからどう子どもを育てて行くのでしょうか。老婆心と云えば老婆心。でも、やはり気になります!
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障害者殺傷事件

2016-07-27 08:27:07 | 福祉と教育
 昨日の事件は余りにも身近なところで起こったので色々な思いが交差し、ブログに書くかどうか迷いました。死亡者や傷を受けた人の名前は公表されていません。年齢の巾から推測すると私がかかわった人がその中にいるかもしれません。ある民放テレビは話題がないのかそのことを長々と伝えていました。いろんなコメンテーター、犯罪心理学者、精神科医等々を次から次へと画面に繰り出して・・・。

 私がこの事件を知ったのは昨日の朝9時ごろだったでしょうか、夫に大変だと呼ばれたからでした。テレビを付けるとどこの放送局もこの事件を報じていました。その中の局の若い:と云うのは70代の私からのことですので実年齢は分かりません:コメンテーターがこんなことを言ったのです。

 入っている人(利用者)がカギを開けて出るかもしれないし、外から侵入する人がいるかもしれないから外国では丈夫(?)な格子を作っていますと。 いったい彼はどこの外国の話をしているのだろうと不愉快でした。半世紀前、障害のある人たちはどれほど我慢を強いられ、外と遮断されて生きていたかこの人は知っているのだろうか。格子の生活が障害のある人にとってまるで普通であるような発言に怒りが抑えられませんでした。

 50数年前、短い間でしたが精神科の病院に勤務していました。開放病棟は別として病室に入る時は常に鍵のかけ忘れがにように確認します。窓から見えるわずかな景色の前に格子があります。それがどんなに心を圧迫したことか!たとえ体が動かなくとも窓から見える景色に格子がはない方がどれほどよいか!
 この格子、そして一般人の心の格子を外すために多くの人が長い年月努力してきたと云うことをこのコメンテーターは知っているのでしょうか。
 1990年エスぺランティストを頼ってスウェーデンとノルウェーの知的障害と身体障害を持つ人たち施設を見て回りました。自分で体を動かせないほどの重度の障害がある人でも一日施設いるのではなくそこからディケアに通っていました。そんな施設の一つですから私が訪れた時は利用者は誰もいませんでした。広々とした庭先に上をまたいでも、下をくぐってでも通れるような低い柵がありました。職員は恥ずかしそうに言いました。つい最近まで柵はなかったのです。この度入った少年がすぐに走って施設を抜け出すのです。足が速くて職員は追いつけません。彼の足をちょっと止めさせるためにあの柵を作りましたと。

 テレビのコメンテーターの云った外国とはどこの国を指すのでしょうか。私達日本人にとって日本を除くすべての国々は外国なのです。テレビの持つ影響は大きいです。利用者の安全のためにという口実で格子や丈夫な塀を設け、彼らを社会から隔離しようと云う考えが生まれることのないように願っています。
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保育所不足

2016-04-23 07:55:45 | 福祉と教育
 労働力不足を女性の雇用で補おうとする阿部政権の政策はちっとも進んでいないように見えます。数週間前のニュースで確か千葉市での出来事でしたが、ある土地に保育所を建てようとしたら、子どもの声がうるさいだろうからと云う地元の人の反対で取りやめたと行政側の人が話していました。
 本当にその地元の人全員が反対だったのでしょうかと疑問に思いました。実は30年ほど前の出来事を思い出したのです。
 我が家からさほど遠くないところに重症身体障害者施設があります。30年くらい前にできました。地域の反対で一度ダメになりそうになったのです。そこはかなり大きな宅地を持つ家が並んでいます。反対理由は施設ができたら土地の値段が下がると云うことでいた。しかしそのことがニュースになると住民の多くは施設を作る話も聞いたことがないし、反対したこともないと云いだしました。それは当時の自治会長が独断で住民の総意として反対していたのでした。
 千葉市のできごとも本当に住民の総意だったのでしょうか。断れたからと住民全体と話し合いもせず引っ込んだ行政のタイマンのように思われます。

 施設を地域が受け入れただけでなく、多くの人がボランテイアとなり買物の付き添いとか、洗濯物の整理とかお手伝いするようになりました。現在その地域は若い人が少なくなり、高齢者家庭が増えました。施設の近くにスーパーがあります。そのスーパーは今年全国で29店舗でしたか、閉鎖したとニュースで見ました。ですがそこのスーパーは閉鎖されませんでした。食料品部門の売り上げが好調だそうです。もしかして、小学校なども統合され、人口の減った地域でスーパーが維持されていると云うことは施設があるからかもしれないと私は思っています。

 子どもの声がうるさいという社会は老齢化し、活気を失って行くであろうことは目に見えています。
 政府は幼稚園で待機児童を政策に力を入れるようですが、仕事を継続するためにはすべての人が育児休暇を数年取れるわけでないでしょうから1~2歳児からの保育施設が必要でしょう。はたして、幼稚園がその代わりを果たせるのか疑問です。
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自動車の上を飛んだ子ども

2016-04-13 08:22:13 | 福祉と教育
 最近虐待その他で子どもが死んでゆくニュースが多く痛ましい限りです。しつけとして子ども衣装ケースに入れるて黙らせようとした話は母親も日常的なこと云っていたので悲しい限りです。少し前、ウサギのケージだったでしょうか動物用のケージに入れられて成長できずに死んだ子供もいたと記憶しています。
 生まれてすぐは何もできない赤ちゃんが、自己主張できるまでの過程は親にとっては大変ですが、それでも楽しいものだと思います。その時間も小学生になるとどんどん減って行き、中にはこどもが成長してもこども離れできずに苦労する親もいるようですが、幼児期の子どもの成長を眺めるのは楽しいのです。私は孫たちが来ると体力が続く限り相手をして遊んでやります。沢山遊んだ後は私が“もう疲れた!“と云うと彼らは私に休憩時間をくれます。帰る時は“おばあちゃんと遊んだ!”と云い、嬉しそうに帰って行きます。
 子どもと遊ぶのは疲れるけれど楽しいといつも感じます。

 先日、43階の自宅ベランダから落ちて亡くなった子どもがいました。空飛ぶアニメを見ていた時のこととニュースが伝えていました。もう30年近く前の出来事を思い出しました。

 放課後の子どもたちの世話していた頃のことです。一年生の子どもたちが自由に工作するようになった時期でしたから、多分5月ごろだったと思います。5人ほどの一年生が激しく言い合いながら帰ってきました。一人は段ボールに牛乳パックの底を抜き、ガムテープで張り付けた物を両腕につけていました。
 彼は羽があるからと云って赤信号の時、交通量の多い道路を渡ったのでした。何台かの自動車はブレーキをかけて止まったそうです。他の子たちがいくらいさめて彼は“僕は羽があるから自動車の上を飛んだ”と主張します。親を呼んで道路の歩き方をきちんと教えるように注意ました。
 ところが親は我が子がそんなことをするはずがありません。保育園の頃は一緒に歩いていて道路に飛びだすようなことはありませんでした。我が家では創造力を伸ばす教育をしています。車の上を飛んだと云うのは彼の単なる空想ですと母親は主張しました。彼女の職業は保育士でした。私は子どもの想像力と命と親としてどちらを選ぶかといったのですが、親は自分の子の行動お非を認めませんでした。
 その子一人だけ呼んで話し合ってもらちが明かないと思い一年生全員を呼んでその時の話をさせました。彼も本当は赤信号で横断したと認めました。その時親の驚愕は言葉では書けないほど大きかったです。一年生になると子どもは初めて親の目を離れ自由に行動できるようになります。その時に必ずしも親の教えに従って行動するわけでなないことを私達は頭に入れておくこと、様子がおかしい子には見知らぬ子どもであっても声をかけてやるべきだと私は思っています。

 あの子ももう30代後半でしょう!

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老人の歩幅

2016-03-09 16:22:38 | 福祉と教育
 先週の木曜日の出来事です。エスペラントの学習の帰り道、いつもと同じようにスーパーで買い物をしようと駅前のバスロータリーでおりました。降車場で私から二つほど前のバスに私よりずっと年上に見える老婦人がバスの降車口の手すりに方手でぶら下がっています。若い人が二人ほど眺めていましたが動く気配がありません。近づいて驚きました。彼女は右足をステップに載せ、左手で手すりを掴み、どなたか助けてください、どなたか助けてくださいと、小さな声で言っているのでした。良く見ると左足は車道にあるのですが、つま先は路肩にくっついてしまって体勢を崩し動けない状態です。バスの運転手は鏡を見ているだけなのでした。片手で歩道に抱え上げようとしたら、その重いこと!私の肩まであるかどうかの背丈で小柄でしたが、ずっしりと重かったです。
 ステップと歩道との間の巾ほどに彼女は歩幅を伸ばせなかったようです。せっかくステップと歩道の高さが同じになっているのに残念なことです。せめて20センチぐらいの巾なら彼女もなんなくバスを降りられたことでしょう。

 それ以来バス停でのバスの停まり方が気なって仕方ありません。歩道近くまでステップをくっつけてくれる運転手もいれば、バス停が歩道に入りこんでいるところでは近寄らないで、一メートルほども離して停める運転手もいます。歩道お降りて車道を進み、ヨッコラショッとバスに乗り込む老人もいます。停車位置は運転手個人にゆだねられているのでしょうか!

 以前はぐずぐずするな、早く降りよと言わんばかりだった運転手の方々、停車前に動かないでくださいというようになり、老人や子ども連れなど動きの遅い者にとってバスは使い易くなりました。停める位置も考慮してもらえたらもっと使いやすくなります!
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育児休暇

2015-11-29 23:47:22 | 福祉と教育
 昨日テレビでマタハラと男性の育児休暇についての座談会を目にしました。子育てをしながら働ける社会であることはもちろんですが、最近では働き盛りの人が両親の介護のために仕事をやめなければならなくなる事例が増加している。両親の介護をしながらも働ける工夫が必要云々と議論していました。

 実は我が息子MとTの父親は9月から育児休暇を取っています。多分収入は少ないだろうと思います。
 Mはようやく日本語を覚え始めたころ、3歳1カ月で母親の国ラオスに帰りました。ラオスでは幼稚園に通っていましたのでラオス語はかなり上達しました。が、日本語はすっかり忘れて2か月前日本に帰ってきました。来年は日本の幼稚園に入ります。先生や友人たちとコミニケーションががうまくとれるかが心配でした。でも毎日父親と過ごしていますので精神的にもとても安定していますし、言語力も増しています。育児休暇は彼の発達を強く寄与しているようです。4月にはほとんど言葉に対する心配はなくなるように感じています。その上に父と子の良好な関係をきずけたことはこの子の生涯にとってかけがえなのいものとなるでしょう。

 我が夫は子どもが小さい時ほとんど家にいませんでした。それは父子にとって凄く残念なことと常日頃感じるのです。

 世の若いお父さんには是非育児休暇を取りじっくりと親子関係を築いてほしいMと息子を見て感じています。
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誕生日

2015-05-18 10:59:42 | 福祉と教育
 先週ドイツにいる孫のEが9歳になりました。昨年編み物と縫物に夢中ということでしたのクリマスプレゼントに編み残りの糸を沢山送りました。その糸を活用できるように誕生祝いは編みぐるみの本です。編み方の目数とか段数とかが書いてあります。でも子どものことですから想像力を働かせて色々な形に仕上げて行くでしょう。今朝写真が送られてきました。

 どうしても必要ならば説明を読むでしょうし日本語も上達することになるでしょう。
 春から秋の休日はほとんど庭で過ごします。家にいるときは必ず日に1度は公園へ散歩に出かけます。徒歩30分ほどのところにも大きな公園があります。子どもの遊具でいっぱいです。この子はお転婆で2~3歳の頃から親に手助けしてもらって小学生が上るような網状のあるいは棒を組み合わせた遊具によじ登っていました。

 父親と二人で来日したのは4歳間近の時でした。父親が自分の知っている公園に連れて行ったのですがブランコなどの遊具が無くなっていると云うのです。仕方のなく遠くの公園に車で送り迎えしました。
 先日テレビの討論会を聞いてその理由が分かり驚きました。子どもの声がうるさいからとの苦情で児童公園がから児童と云う名称が外され子どもが集まらないように遊具を撤去したところもあるというのです。ある公園には“しずかに遊びましょう!”という看板のあるところもあるそうです。
 我が家の近くの公園からもいつの間にかブランコが無くなり、年寄りたちがゲートボ-ルに興じていました。
 今の若者たちが家にこもり、ゲームに夢中といわれますがそんな環境を作ったのは大人の責任でしょう。そして彼らが親になった時その子どもたちはどんな環境で育つのでしょう!

 老人を大切にするなとは言いません。でも、老人たちにも子どもたちの未来を考えて欲しいです!今私たちにできることは何でしょう!
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地下鉄の中で

2015-04-21 10:07:07 | 福祉と教育
 昨日は久しぶりにバスと地下鉄を使って買い物に出かけました。帰りの地下鉄で椅子の付いた手押し車を押した女性が付き添いの女性と共に乗り込んできました。私の隣は空席でその隣はドアに近い位置で中年の女性が座っていました。その方は体の不自由女性がドアに近いところに座れるように立ち上がり席を譲りました。席を譲られた女性はおぼつかない足取りで席に座ろうと体の向きを変えていました。その時反対側に座っていた小学生が私と付き添いの方の間を通り抜けてその席に移動してきました。彼は何食わぬ顔をしていました。
 私は腕を伸ばしその子の腕をとりその席を空けさせながら云いました。‘ここはあなたの席ではないでしょう、あの方(立った女性)がこちらの方を座らせてあげようと譲った席ですよ。’彼は無表情に前の席に戻ってゆきました。疲れていたので目をつぶって私は座っていましたが、一駅ほど通過した後に人の視線を感じて目を開けました。なんとその子が憎々しく光る眼で私を睨みつけていました。私が眺めるとその子はそっぽを向きまた無表情になりやがて隣の車両に移ってゆきました。
 もう2時半すぎ。新入生ではないでしょうし、その所作を見てこの子は自分のしていいることは理解していると感じました!この子はいつもこうやって大人が咎めないことを良いことに自分の好きなところに割り込んで移動していたのでしょう。

 さて家に帰ってこの子は親に今日の出来事を話すのでしょうか。話すとしたらどこから話すのでしょうか。自分が座ってとがめられたところから話すか、その前の自分が体の不自由な人が座ろうとした席を横取りしようとしたところから話すか…。
 その行為の時間的差は1~2秒です。ですが親の受け取り方は大きく違ってくるでしょう!

 何とも複雑は思いです。
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予防注射

2014-11-04 04:38:14 | 福祉と教育
 一月ほど前でしょうか、肺炎球菌の予防注射を勧める書類が市役所から届きました。注射の嫌いな私はその用紙を廃品回収の袋の中に入れました。

 予防注射は30代の頃住んでいる地域に破傷風菌が多いと聞いて子どもたちと一緒に摂取したのが最後です。インフルエンザ予防注射を医者にしつこく勧められてはいるのですが、まだ未経験。
 先日医者に『しつこいようですが肺炎球菌の予防注射だけはしなさい、今までの10年間とこれからの10年間は違いますよ』と言われ、捨てた用紙を探し出しました。その用紙をテーブルの上に置き、まだ迷っている私です。

 私曰く:老人が長生きするから年金が足りなくなると言いながらなぜ補助金まで出して老人に予防注射を受けさせるのだろう?!
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子どもの苛め

2014-07-04 08:47:15 | 福祉と教育
 先日小学3年生の女の子が友人が苛められているのを見かねて、いじめるなら私をと身代わりを申し出たら当事者ではなかった子どもが3人がかりでその子に暴力をふるい怪我をさせたというニュースを見ました。先生は単なる遊びと見ていたようですが。

 私の2男も小学3年生の時に苛めにあいました。当時男の子たちは野球に夢中でした。多分テレビの影響もあった事でしょう。ガキ大将がしごきのまねをしたのが始まりでした。遊びが次第にエスカレートし投げ方が悪い、落球した、打ち方が悪いなど何でもしごきの対象となっていたようです。ある時息子が僕のお尻を見てと言いました。お尻には真っ赤な跡があり、その子にバットでぶたれたものでした。彼が言うには僕はお尻だからまだいいけれど○○君は腰を打たれて地面に倒れて動けなかった。もし怪我しているといけないから電話して調べて欲しいという事でした。電話を受け○○君の母親が息子の腰を見ると8センチ幅15センチにわたりは赤く腫れているという事で彼女があちこちに電話して子どもが怪我していないか聞いたので大騒ぎになりました。でも、子ども力関係は変わりません。学校へ行くと子どもたちはガキ大将の言うなりで、いじめの対象は我が子一人に絞られました。学校帰りも狙われました。息子は自分で解決したいから口を出さないでと言うので気が気ではありませんでした。正門も裏門を封鎖され、塀近くにあった松の木によじ登り塀に登り跳び下りて帰ったことがありました。母親たちは大騒ぎするも中年の先生は動きません。母親たちが騒ぐのでいじめの対象が息子からガキ大将に向かいそうな気配が見えました。そんな時、息子が血相を変えて帰ってきました。ガキ大将△君の父親から家に来るようにと彼を通じて言われたのだそうです。‘まさか、あのお父さん僕を殴ったり殺したりしないよね。僕は自分が悪くないから逃げるのは嫌だから行ってくる。夕方帰らなかったら警察に電話してね!'彼は決死の思いで出かけてゆきました。
 数時間後帰ってきた彼はほっと溜息をついて言いました。‘家に着いたら△君のお父さんが出てきてね、今日は一緒に遊んで欲しいと言ったんだ。僕はいつ△君に殴られるかと思って怖かったけれど、お父さんは玄関のドアも、書斎のドアも、子ども部屋のドアも開け、僕がいつでも逃げ出せるようにしていたから怖かったけど我慢できた。だけど怖かった!'と話しました。以後△君の息子への苛めは消えました。また、△に君いじめが移行する事もありませんでした。息子をクラスメートと和解させようと決断し、自分の目の届くところで和解させた△君のお父さんのとった処置は素晴らしかったと私は今も思っています。
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蜘蛛

2014-06-01 07:07:09 | 福祉と教育
 昨夜本を読んでいたらテーブルの奥に置いてある紙の下で撚りがほどけたような麻ひもが動いたように見えた。茶色い麻ひもなど我が家にはない。それに窓は閉まっているから風も入ってこない。恐る恐る覗いたらなんと直径8センチはある蜘蛛の足でした。窓を開けて紙で追い払うと敏捷とは言えない動きで外に出てゆきました。

 私は昆虫が好きではないのです。なぜかカマキリと蜘蛛は魔法使いを連想させ子どものころから息がとまるほど嫌いです。それに私が育った東北地方にはこんな大きな蜘蛛はいませんでした。朝露を光らせながら巣の真ん中で動かない女郎蜘蛛。そっとよけて通れば向こうから近寄ってくることはなかったのです。
 初めて壁を這う蜘蛛を見たのは50数年前、保育所を立ち上げるために出かけた伊豆の新島でした。壁を這う大きな蜘蛛に驚いたのなんのその・・・。その様子を見た子どもたちは粘土で蜘蛛を作り始めました。幾つもの不気味なな蜘蛛が机の上に並んで行きました。子どもとは残酷なものだと思いました。‘良くできた!いっぱい作りなさい!'と言う私の言葉に子どもたちは蜘蛛作りに興味を失いそのうち作らなくなったのですが。

 これは子どもにとって嫌がらせと言うより遊びだったのでしょう。いじめで自殺した子に対していじめた方はいじめではない遊びだと主張します。人の嫌な事をして楽しむのはいじめだと小さいときから教える必要があるのです。そんなことを考えながらあの蜘蛛はどこから侵入してきたのだろうと寝つけませんでした。

 それにしてもあんな大きな蜘蛛が現れるのも温暖化が進んでいることを意味するのでしょうか。
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おもちゃ

2013-03-25 12:26:00 | 福祉と教育
 先週姪が自分の息子が使ったブロックの入ったバケツ二つを持ってきてくれまいた。孫の喜びようは大変なもので飽きずに遊んでいます。1歳3カ月過ぎの幼児には組み立てるのはが難しいですが、全てをばらまき、大人が組み立てた物を壊し、バケツに入れたり出したりと単純な遊び方です。わが家の狭い居間は足の踏み場もありません。ばら撒いた本人でさえブロックを踏み時には顔をしかめています。

 ラオスの広い居間でおもちゃを散らかしたら片付けが大変ねと言う私の言葉に息子が答えました。散らすことができるほどラオスの子どもはおもちゃを持っていないと。

 昨日姪がミニカーとかままごと遊びの道具を出したのでもらって欲しいと言う事で息子の所に行く途中受け取りました。驚きました。ミニカーが大きな袋に1つ、その他のおもちゃが同じくらいの量、そしてままごとセット。もしみかん箱に入れたら二箱はゆうに超えるでしょう。いらない物は捨てて欲しいとの事でした。中にはまだケース入りの未使用のミニカーもありました。

 このおもちゃの山を孫の母親はどういう思いで見るのでしょうか。

 少ないおもちゃで繰り返し工夫して遊んでこそ子どもの知力は育つと私には思えます。日本人はずいぶんと無駄なお金を使い、子どもの育つ力をさま妨げているのではないかと考えてしまいました。
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エイズの治療

2013-03-05 09:37:45 | 福祉と教育
 今日のニュース。アメリカで先天性エイズの赤ちゃんに生後30時間以内から治療を行ったところ10ヶ月後の今も菌が確認されないとの事。特にアフリカでは先天性患者も多いと聞きます。この治療法が早く確立して欲しいです!

 いつだったかアフリカで活動している尼僧の一人がエイズに感染したら他人にうつすと治ると信じている人もいると話ていました。恐ろしいことです。
 でも、日本でも戦前のことですが淋病とか梅毒とかの性病があり、当時は人にうつすと自分はなるという考えが流布していたと聞きます。
 幼児の頃鼻がつぶれて無くなった乞食を見て震え上がった記憶があります。梅毒のせいだと聞きました。当時は治療法がなかったのでしょう。また偏見も多いから乞食になるほか生きる道はなかったのでしょう。近寄るのが嫌ですから空腹の彼を見た母はおにぎりを握って門前に置きました。

 またある患者が白血病になり骨髄移植を受けたらエイズも治ったと言う事もニュースは伝えていました。でも誰もが骨髄移植が受けられるわけでもありません。誰もが受けられる治療法が早く確立して欲しいです!
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吉祥寺刺殺事件

2013-03-02 08:07:41 | 福祉と教育
 今朝は気分良く目覚めました。西の空は灰色の雲に覆われていましたが、東の空が白んで枕草子の冒頭の文など思い出しながらまさに春だと感じたのでした。

 ところがニュースで吉祥寺で22歳の女性を背後から刺し殺したルーマニア国籍の17歳の少年が強盗を成功させるために脅して騒がれるより殺した方が金品を奪いやすいと話していると聞き愕然としました。自分の欲しいものを得るために動物的に本能のままに行動している少年。しかし殺す方が楽と考える力があると言う事は知能が低いわけではない!どんな教育を受けたのでしょう!仲間の少年が日本人ということは国籍はどこであれ、彼も日本で教育を受けたのでしょう。これは現在の学校・家庭・社会教育の結果であり彼を単なる鬼子と考えるわけにはゆきません。

 先日はモンスターペァレンツであると教師が担任の子の両親を訴えた裁判がありました。裁判所は訴えを却下したとか。自分の子しか見ない親、自分の予測通りに子どもが行動しないとヒスティリックになる教師など色々な話を耳にします。自分以外はどうでもよいと考える人間が増えています。

 政府は道徳教育を強化すると言っていますが、どんなふうに道徳教育を強化するのでしょうか。道徳とは教え込むものではなく社会が培うものと思いますが、社会そのもが変化してしまった以上そう簡単に道徳感を変えることはできないでしょう。云うは易く行い難しというところですが、それぞれに個人が考え行動する必要がる様に思えます。
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