言葉遊び

 周知の通り、FIFA女子ワールドカップ決勝で日本が優勝した。よくワールドカップとかW杯とか云われるが、郷秋に云わせれば、「ワールドカップ」だけじゃ、サッカーなのかバレーボールなのか、はたまたバスケットボールなのか判らんぞ、と云う事になる。「今やっているのは女子サッカーだろう」と云われかも知れないが、正確さこそが情報の命である。物事は正しく伝えなければならない。わざと正しくない情報を流す輩が時いるけれど。

 

 さて、物事を正しく伝えるのが使命の新聞社も時に間違う事もある。「時事通信」がなでしこジャパンの優勝を伝える記事の中に、こんな行があった。

 

日本が1点を追う展開となった延長後半からはドイツ人も含めた観客の大半が総立ちで日本を応援。

 

 全員が立ち上がることを「総立ち」と云う。「大半」とは半分以上と云う意味だから、「大半が総立ち」などと云う日本語は成り立ち得ない。大半と云う事は、49,240人収容(満員だったとの事)のスタジアムの観客の内、24,621人以上が立ち上がったのだとは思うけれど、全員、つまり49,240人が立ち上がったのでなければ「総立ち」ではない。「大半が総立ち」なんて日本語が成り立つとすれば「温い熱湯」とか「半熟の固ゆで卵」も有りと云う事になる。それは変だろう。

 

 日本贔屓な記事となるのは仕方ないにしても、その中でより正確に、と云うよりは「大半」や「総」などと云う、裏付けに具体的な数字を必要とする文言を使わず、「観客の多くが立ち上がり日本を応援」と書くべきだったんじゃないかな。そうすれば、少なくとも郷秋に突っ込まれなくて済んだはずだ(^^)

 

 ところで「総立ち」と云う言葉、最近は全員が立ち上がる意味で、前述の通り「総立ちで応援」などと使われることが多いが、昔は「全員が出発すること」「全員が立ち去ること」の意味で使われることが多かったようである。つまり総立ちの「立」は「出立」(しゅったつ)の「立」。時代劇で「で、出立はいつでござる」などと云っている、今で云う「出発」の「発」の意味なんだな。

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、写真の話題でもカメラの話題でもでF1の話題でもなく、何の脈絡もなく突然登場した「言葉遊び」の記事に相応しく、実にまったく何の関係もない「ダチョウ」。ダチョウは駄鳥と書くのかと思ったら駝鳥なのだそうだ。東京都下某所にいたのを見つけたのだが、何故こんなところにダチョウが・・・。聞くところによれば、その肉はなかなか美味いと云うではないか。食用に飼育されていると云う事か。謎だ。

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