「生きがい」についての少考と川鵜の離水

「生きがい」と云う言葉は日本語だけにある言葉なのだと、しばらく前の朝日新聞の記事に書いてあった。元を正せば精神科医であった神谷美恵子氏(1914-1979)の「生きがいについて」(みすず書房 1966)の中で「生きがいという言葉は、日本語にだけあるらしい」が出所で、それ故「生きがい」と云う日本語は、世界でそのまま”IKIGAI”として広く使われているのだと云う。

 本当に日本語以外には生きがいと云う言葉がないのかどうか、いくつかの言語について調べてみた結果は次の通り。
英語:reason to live 生きる理由
ドイツ語:Lebensgrund 人生の理由
フランス語:Raison de vivre 生きる理由
ラテン語:quod vivere 生きる
スワヒリ語:sababu ya kuishi 生きる理由

 確かに多くの言語には「生きる理由」と云う表現はあっても、(複合語ではあるが)一語で「生き甲斐」と云う日本語に相当する言葉はないようだ。日本語の「生きがい」の中で解釈が難しいのは後半の「かい」、つまり「甲斐」であろう。「甲斐」は理由ではない。強いて云えば「意味」もしくは「価値」なのだろうと思う。理由ではなく、成否や損得でもなく、それを為したこと自体に意味や価値があったのかどうか、為した人が「為したことに意味があった、価値があった」と思うことこそが人生の意義であり、それこそが生きがいなのだろう。

 損得や成否ではなく、為したこと自体に自分にとっての意味や価値があったのかどうかが「甲斐」があったかなかったかの分かれ目なのだ。おそらくは、日本と云うもちろん西洋ではない、東洋の中にあっても最も東に位置する島国において長い年月を経て独自の文化を作りあげる中で、他国における「生きる理由」とは全く違った、自分自身にとっての意味あるいは価値、つまり「甲斐」と云う独特の考え方が生まれたのだろう。

 もし今、本当に世界で「IKIGAI」と云う言葉が正しく理解され使われているのだとすれば、それはすなわち日本人が持つ、利益や他者による評価ではなく、自身の内なる喜び、「甲斐」こそが人間にとって普遍的な価値の一つであると認めらことであり、それは実に喜ばしいことである。

 ただ、ひとつ思うのはキリスト教国(主として欧米)においては、生きがいどころか「生きる理由」、つまり英語でreason to live、ドイツ語でLebensgrund 、フランス語Raison de vivreと云う言葉はあっても、そのこと自体が意識されていないのではないか、と云う疑問である。

 なぜならキリスト教においては、人は神によって地上に遣わされそこで生き、やがて神の座する天に召される(召天)することになっているからである。つまり、この世に生きているのは神の意志によるものであり、神の意志により然るべき時に神の近くに召されるのであるから、地上での生活において、そこに何かの理由や意味、意義ましてや「甲斐」を見出す、考える必要がないのではないのか。

 もしそうであるならば、キリスト教文化の中に生きている人の中で、自分の人生の中にその生きがい=IKIGAIや意味を見出すこと(人)が増えているのだとすれば、それはすなわちキリスト教的人の「生」の意味が薄れ、日本的(あるいは東洋的)な「生」に対する考え方が受け入られかつ浸透し始めていると云うことになるのかもしれない。

 21世紀はアジア(東洋)の時代であると云われて久しい。それは長らく世界を支配してきた西洋=キリスト教、つまり一神教文化の時代は終焉を迎え、東洋=多神教的文化の時代が到来すると云う予言なのかもしれない。例えばここ300年のことを考えれば、西洋すなわちキリスト教文化と括ることは比較的簡単だが、東洋(アジア)の300年は宗教だけでも多種多様であり簡単に一つに括ることはできない。つまり、多くの矛盾と葛藤を包含しながらも多様性の時代を先取りしてきているのであって、東洋の時代はすでに到来していると云えるのではないだろうか。

 それぞれの国や地域にそれぞれの宗教と文化があり、近隣諸国・地域に互いに影響を及ぼし合いながら複雑な宗教的土壌と文化を作り上げてきている。その最たる国が東洋の東端、極東に位置する我が国、日本なのかもしれない。

 「生きがい」をキーワードに西洋と東洋、西洋と日本の宗教的、文化的土壌の違いを少考してみたが日本人の、特に若い世代があまり意識することがないであろう「生きがい」が世界で、特に欧米において考え、論じられているのだとすれば、私たち日本人は彼ら以上にそのことについて真剣に考えなければならないのではないだろうか。そのことはすなわち自分自身について考えることであり同時に日本固有の文化とそこに住む私たち日本人の精神構造を解き明かすことで21世紀を牽引する東洋の一国、その日本の一員としての地歩を確立し、「私」の生きるべき道を教えてくれることになるのだろうから。


 と云う訳で、例によってblog本文とは何の関係もない今日の一枚は、川鵜の離水。

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 横浜市青葉区の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影・掲載しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは6月9日に撮影した写真を6点掲載しております。田植えが終わり、梅雨が近づいている森の様子をご覧いただけたら嬉しいです。
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