熟年の手習い

熟年老い易くチェロなり難し

万博

2005年07月27日 | 昔のこと

朝、蝉時雨の大音響の中、家を出る。
思わずチューナーで音程をチェックしたくなる。
どの音で鳴いてんだ?
暑い!

愛・地球博へ名古屋の友人訪問かたがた行こうかなと思っていたけど、この暑さでは気が萎えてしまった。
ワタシの周りでは「隣の葡萄はすっぱい」ではないが、大阪万博(1970)の方がいいに決まってるから行かないという人たちもいる。なんと35年前と比較するわけね。

子供の頃に万博に行った人でも、思い出や記念品やら大切にキープしているので、よほど印象深かったのだろう。
当時の子供は今の子のように情報や刺激がないのでその分興奮のルツボだったと思う。

ワタクシはもう、高校生だった。
例によって思い出の品とか処分したようで、少しの写真以外は何も残っていない。

でも、なんと言っても一番の思い出はヨーグルト。
学校から夏休みだったか暑苦しい制服着て行かされた時の事。
事前に新聞でリサーチしていたワタシはクラスメート数人誘って、いざブルガリア館へ!

「ここでホンモノのヨーグルトが食べられるからね!!!
冷たくて、甘くてきっとおいしいよ~~~!
日本には売ってないんだからね!」
さんざん期待を持たせたワタシ。

ブルガリア館もレストランもすいていた。
かなりお高かったと思う。一番安いプレーンにした。
ガラスのボールに入った白いどろっとした物体。
(カフェオーレのボールの大きさ)
お砂糖が別に出ていたっけ。

一口食べて、みんな「げ~っ、なにこれ!」としかめっ面。
「すっぱぁ~」「くっさぁ~~」(追悼・岡八郎)
「こんな変なヨーグルト食べられへん!」
全員食べ残してワタシは袋だたきにあった。

明治乳業の社長がこのヨーグルトを日本に広めようと、まさにブルガリア館で決意されたそうな。
苦労して発売したものの、最初は全然売れなかったと聞いている。
それまでヨーグルトといえばビン入りで寒天で固めたような甘いものだったのだ。

食文化の変化、人の順応性はおもしろい。
プレーンヨーグルトを浸透させたメーカーもすごい。

ワタシはここ数年カスピ海ヨーグルトを培養している。
ワタシを責めたみんなもヨーグルト食べてるかな?
(いま、ヨーグルトといえばプレーンヨーグルトのことだもんね)

そうそう、他国の発酵食品は好きになれたのに、納豆は未だに苦手だ。