熟年の手習い

熟年老い易くチェロなり難し

20年

2015年01月17日 | 昔のこと
あの日の明け方、ものが壊れる大音響と信じられない激震の中「ぜったい死なない!」と心の中で叫んでいた。

高い所から大きな物が、私を避けて落ちてくれてよかった。

ものすごい量のゴミを出して、引越しもした。

飛び跳ねて場所を移動したピアノも処分した。

あれから20年、懲りずにまたものがたくさん増えている。

何が必要で大切なものか選別しなければ。。。

懐メロ

2013年12月09日 | 昔のこと
腕利きぞろいのアマチュア合奏団で、思いがけず懐かしい曲を聴きました。
「メリー・ポピンズ」の数曲です。

Mary Poppins - A Spoon Full of Sugar with lyrics


小6~中1にかけて繰り返し聴いた音楽というと、ミュージカルのレコードだけ。たぶん。
マイ・フェア・レディ、メリー・ポピンズ、サウンド・オブ・ミュージックこの3枚。
リアルタイムで映画を見て、心底魅了されました。
宝塚歌劇を小学生の時に見たことがありましたが、
私にとってはミュージカル映画は、
はるか上を行くインターナショナルでゴージャスでファンタジックな世界。

何より、どの曲もいい曲に思えたし、
ジュリー・アンドリュースは信じられないくらい歌が上手で大好きでした。
(wikiで今頃知ったのですが、沢田研二もファンで、ジュリーと呼ばれるように?!)

でも中学生になり、親しくなった友人たちはビートルズが来日すると大騒ぎだったり、ベートーヴェンのピアノソナタが弾けたり、何だか大人びていた。
ミュージカルの曲をいつも聴いているというのが子供っぽく思えて、話題にしたこともなかったような。

自分がハマッていた新曲が、半世紀たっても演奏され続けているのは感慨深いものですね。

オルゴール

2012年06月26日 | 昔のこと


30年以上前、初めてのヨーロッパ旅行。
パリとロンドンへ気ままな一人旅。

当時、パリやロンドンには日本製の商品が溢れていました。
特に衣料品。
先進国の人件費が高いからと聞いて驚いたものですが、日本もそうなりましたね。

25才のワタシ、日本製を買わないよう気をつけながら、ささやかなお小遣いで買ったものは、後になって後悔するような子供っぽいしょーもない雑貨ばかり。
ディスプレーがとってもキレイなのでつい欲しくなるんですよね。
結局捨てました。

写真は、これぞさすがフランス!ステキ~!と感動して買ったオルゴール。
よく見たら、DancingClownと書いてある。英語やん!?
もっとよくみたらサインがkojimuraiとあり、ひょ、ひょっとしたら日本製?
激しく打ちのめされました。
私にしては、かなりのお値段だったので大ショック!

でも姪っ子達が生まれて、ウチに来るたびにこのオルゴールでよく遊んでくれました。
震災でも壊れなかったし、役割が終わっても、汚くなっても、何だか手元に置いておきたいオルゴール。

今回、大姪がグズった時に超久々に出してきました。
長い眠りから醒めた「踊るピエロさん」は大活躍。
興味を一気にひきつけてくれ、一発おとなしくなりました。
オルゴールは何年経っても美しい音色。
やっぱり生の響きはいいですね。
(図体ばかりデカくて美しい音がほんとに出にくいチェロはいったい・・・)

音が鳴っている時、赤ん坊は大人達の顔をじっと見て不思議そう。
「鳴ってるね?」と目がしゃべってました。
鳴り止んだら、床をバンバンたたいて大騒ぎ。
もっとも3日目くらいから飽きてきましたけど。

他にもこんな風なオルゴールはないものかとググっていたら、
お洒落なHPを見つけて、私のオルゴールの身元判明。
ネット時代になって、大昔の謎が解明するとは!!!

これは、大ヒット商品だったそうですね。
未だわからないのはオルゴールの曲名です。
たずねてみようかしらん。


入試の思い出

2011年02月27日 | 昔のこと
この前、学生時代の友人達としゃべっていて受験の思い出話になりました。
試験中ちょっとしたハプニングがあったのですが、私の記憶力が一番!
すごい観察力で呆れられました。
私はしょーもないことは克明に記憶するタイプです。

ハプニングその1、こんな時に重大な忘れ物をした受験生がいて、試験官に大きな声で堂々と訴えたこと。
その2、別の受験生、本人は真面目なのですが、ふざけた質問をして試験官を怒らせたこと。
1,2とも憮然とした試験官とのスリリングなやりとりを覚えています。

後日、他のハプニングも思い出しました。
試験当日にラブラブでお弁当を食べてるツーショット。
女子はとても高校生に見えないおミズっぽいお姉さん。
何者?何しに来てる?

試験が惨敗の自分も含めて、この人達も合格は無理と思っていたら、
ツーショットの男子以外、入学式で顔を合わせて大仰天。

私は違いますが、ハプニングのみなさんは冷やかしや成り行きの受験だったのです。
こんなところへ来とうはなかった方ばかり。

おミズ姉さんはしばらくして自主的に退学。
その後の消息はわかりません。
浪人かと思ったら、れっきとした現役で、それも大阪一の名門校出身。
(落ちこぼれてグレたにちがいない)
ちなみに試験当日に彼をナンパしたとか。

後の二人は、最初その気がなかったのに、どちらも専門を生かして堅実に公務員。
ひとりは、地方大学の副学長だなんて人生わからんものです。

入りたくて入った私は専門外の人になりました。

思い起こせば、入試の直前に浅間山荘事件もあり、大学紛争の余波が残っていました。
機動隊がジュラルミンの盾を持って入試会場を厳戒態勢です。

今じゃ、入試を妨害するのは携帯によるカンニング。
機動隊はそれらを警戒するのは向きませんね。






猛残暑にて候

2010年09月02日 | 昔のこと
きのう、10年前にパソコンを買ったと書きましたが、間違い。
正確には9年半前。

思い返せば、ちょうど10年前の今頃は、不安で落ち着かない日々でありました。
それを悟られないように、一日一日過ごすのがやっと。
そんな苦しい記憶も遠のいてしまうなんて暑さボケか!?

父は在宅でガンの終末緩和ケア真っ最中(本人には告知せず)。
母も自宅で結核療養中。
荷の重い仕事や出張でかなり多忙なワタシ。
素晴らしい在宅医療チームに恵まれたのと、手のかからない病人だったので在宅が可能になりました。
ヘルパーさんはもちろん、最後には家政婦さんにも来てもらったっけ。

10月に入って間もなく父は旅立ちました。
医師の「わたしも自分の家でこんな最後を迎えたい。」という言葉が有り難かったです。
あの時の9月は、今よりずっと涼しかったことは、はっきり覚えています。



おいしいフレンチ、なつかしい話題

2007年05月13日 | 昔のこと

大阪・北浜のフレンチレストラン(ラ・クロッシュ何とか)で、友人達と食事。
東京から帰省の友人がテレビで知って、予約してくれました。
但し、テレビで見たのは姉妹店の方。
場所が違う!前に淀川がない!とバタバタしましたが、
実力派シェフが実際腕をふるうのがこの店の方でした。

大当たり!
さすが大阪、激しい競争に打ち勝ってきたことが伺えます。
だいたい、大勢でおしゃべりに花が咲くと、せっかくのご馳走も印象に残らないことが往々にしてあります。
それが今回、メニュー選びから、全員真剣になり、最後までそれぞれのお皿をじっくり味わい、ヒトサマの分も観察しました。
いくらおしゃべりしていても、しっかり味わいたいと思わずにはいられません。

そのおしゃべりですが、ワタシが「何で今marimekko?」と振ったことで昔話に花が咲き・・・

特に、メンバー最年長58才(ちょい悪おやじ風のヒト)のファッション遍歴が大受けだった。
知人、友人でこんなにオシャレな男性も珍しいのですが、年とってもその姿勢が変らないという頑固一徹さに一同拍手。

さて、最年少30才女性も大好きというmarimekkoですが、70年代日本中に販売されていました。
ファブリック以外の日本製ライセンス商品もありました。

当時ワタシは学生で、自宅が改築されて自分の部屋のインテリアを考えたので覚えているのですが、世界のインテリア全般、ポップなイメージでカラフルでした。
マイルームもなんとテーマカラーをオレンジにしました。
派手!よほど、うれしかったのでしょう。

スウェーデンはイノベーターというメーカーの、カラフルなキャンバス地の椅子なんかが人気であこがれてました。
買わなかったけど。

カーテンの図柄もmarimekkoの影響を受けたというか真似した商品が多く、知らないうちにそれ風のカーテンを選んでいました。
ポピー柄でした!
60年代のポップアートの名残?
はたまた、染料の技術革新で色があふれたのか?

表参道のハートアートというお店。
神宮前のヨーガン・レールとともに、東京へ行くたびテキスタイルデザインに心ひかれていました。
まったく何も買えない若い頃の話。

あと、ワコールもアーティスティックな柄のテキスタイルで有名でした。

瞬く間に、カラフルでポップなテイストは古いとされ、絶滅。
自然志向や高級志向に。
単純パターンのプリントより高度なプリントや織りの方に目が行きます。

marimekkoの社史をネットで見ましたが、昔の柄を引っさげて再出発なのですね。
折りしも、ファッションも昔のデッドストックだった、ジオメ柄とか息を吹き返していますね。
あとは、時代にマッチしたマーケッティング戦略でしょう。
ブランド力って大きいと思いました。

日本のメーカーのブランド力が育っていないのは悲しい限りです。
ハートアートのサイトがあるのには感動しましたが。

それから、湯に黒(こんな変換でました)がホームテキスタイル部門誕生だか、リニューアルだかだそうで、現物を見てみたいです。

なぜか、ポピーっぽい柄もあって不思議です。


万博

2005年07月27日 | 昔のこと

朝、蝉時雨の大音響の中、家を出る。
思わずチューナーで音程をチェックしたくなる。
どの音で鳴いてんだ?
暑い!

愛・地球博へ名古屋の友人訪問かたがた行こうかなと思っていたけど、この暑さでは気が萎えてしまった。
ワタシの周りでは「隣の葡萄はすっぱい」ではないが、大阪万博(1970)の方がいいに決まってるから行かないという人たちもいる。なんと35年前と比較するわけね。

子供の頃に万博に行った人でも、思い出や記念品やら大切にキープしているので、よほど印象深かったのだろう。
当時の子供は今の子のように情報や刺激がないのでその分興奮のルツボだったと思う。

ワタクシはもう、高校生だった。
例によって思い出の品とか処分したようで、少しの写真以外は何も残っていない。

でも、なんと言っても一番の思い出はヨーグルト。
学校から夏休みだったか暑苦しい制服着て行かされた時の事。
事前に新聞でリサーチしていたワタシはクラスメート数人誘って、いざブルガリア館へ!

「ここでホンモノのヨーグルトが食べられるからね!!!
冷たくて、甘くてきっとおいしいよ~~~!
日本には売ってないんだからね!」
さんざん期待を持たせたワタシ。

ブルガリア館もレストランもすいていた。
かなりお高かったと思う。一番安いプレーンにした。
ガラスのボールに入った白いどろっとした物体。
(カフェオーレのボールの大きさ)
お砂糖が別に出ていたっけ。

一口食べて、みんな「げ~っ、なにこれ!」としかめっ面。
「すっぱぁ~」「くっさぁ~~」(追悼・岡八郎)
「こんな変なヨーグルト食べられへん!」
全員食べ残してワタシは袋だたきにあった。

明治乳業の社長がこのヨーグルトを日本に広めようと、まさにブルガリア館で決意されたそうな。
苦労して発売したものの、最初は全然売れなかったと聞いている。
それまでヨーグルトといえばビン入りで寒天で固めたような甘いものだったのだ。

食文化の変化、人の順応性はおもしろい。
プレーンヨーグルトを浸透させたメーカーもすごい。

ワタシはここ数年カスピ海ヨーグルトを培養している。
ワタシを責めたみんなもヨーグルト食べてるかな?
(いま、ヨーグルトといえばプレーンヨーグルトのことだもんね)

そうそう、他国の発酵食品は好きになれたのに、納豆は未だに苦手だ。